impatiens balsam 性格にやや難はあるものの、マーリンの魔術はグランドの名に恥じない超一流のものである。 「サーヴァントとなったことで制限が掛かっているから」と本人は謙遜するが、ベディヴィエールからすれば詠唱に失敗することがなくなった分ブリテン時代より格段に良いと言えた。派手なことをやろうとして失敗するより、程々の効果を毎回確実にサポートして貰える方が前線としては有難い。 マーリンとベディヴィエールは戦術上での相性が非常に良い。立香としても同時代同郷の出身である二人を組ませることには何となく安心感があるようで、幾度となく共に戦場に立つことになった。マーリンは明るくフレンドリーなのに何故か皆から距離を置かれがちなところがあるから余計だろう。特に女性からは徹底的に避けられているのが可笑しかった。インキュバスとはいえ英霊を相手にするのは一般人のそれとはまた勝手が違うらしい。 ベディヴィエールも初めはマーリンに対して遠慮があった。顔見知りと言っても王の相談役であった宮廷魔術師と円卓の末席。雲の上にいた相手が地上に降りてきてやっと並び立ったような間柄だった。 しかし今では―― 「この辺り、いじった方がいいんじゃないか?」 「ひゃっ!?い、いじる?そんなところをですか!?……というか実際に身体に触れる意味はあるのですか?」 「おや。そんな根本的な疑問を持たれてしまうだなんて私は相当信用がないようだね。実際に触れた方が魔力が分散しないに決まっているだろう。……それはそれとしてキミの下半身は実にいい。つい触りたくなってしまうよね」 「マーリン。ベディ。……シュミレーターとはいえ、集中してくれない?」 「ハッハッハ、すまなかったねマスターくん。謝るからそんな遠い目をしないでおくれ」 「申し訳ありません、マスター!」 「ちなみに俺、ベディの下半身がえっちなことにはマーリンより先に気付いてたから」 「どういう張り合いなんですか!?」 ――なんてことを繰り返して人徳と好感度を着実に落としていった結果として(藤丸立香への好感度ではなく、マーリンへの好感度の話だ。……え、そうだよね?)結構気軽な口を叩けるようになっていった。並び立った結果、今まで覆い隠されていた粗が余すところなく晒されてしまったわけだ。 そんなある日のことだった。 * 「なーに、何事もやれば出来るさっ!」 「適当なことを仰らないで下さいっ!最善は尽くしますけども!」 真名解放の詠唱と共に、ベディヴィエールの銀腕は内側から美しい黄金色の光を放ち始める。星の聖剣であると、見るものが見れば一目で分かる圧倒的な輝きだ。 ……痛みくらいあった方が自然なのだろう。マーリンと話をしたあの日から、ベディヴィエールはたまにそう考えるようになった。そんなものを自分が座から任されたことや人理修復の途方の無さ、マスターとの繋がり。知識はあるものの今まで地に足の着いていないあやふやな感覚でいたことも含めて、色々と。 「――一閃せよ、銀色の腕!」 足裏に力を込めて思い切り右腕を振り被る。強大な力を秘めてこそいるが、何せそれは直接相手に叩き込むしかなく、つまり間近まで迫らないと攻撃出来ない。昔はアーサー王が退治するのを援護するだけだったドラゴンにだって、時には真正面から立ち向かった。放浪の内にベディヴィエールにもそれだけの度胸が身についていた。 此度の相手はヌエと呼ばれる東洋の怪物の一種だった。見た目はおどろおどろしく世界中の呪いを掻き集めたかのように陰気だが、ワイバーンやドラゴンに比べれば威圧感は劣る。アガートラムに腹部を水平に引き裂かれたヌエは臓腑を零しながらこれまた不吉極まりない鳴き声をあげ、全身をぐらりと傾けた。 倒したと確信するだけの手応えがあったが、かといって警戒を怠っていたわけではなかった。噴出するヌエの体液がびたびたと顔を濡らしてもベディヴィエールは目を背けなかったし、慣れ切った動作ですかさず細剣を取り直した。 轟音を立てて地に倒れ伏すかと思ったヌエの体躯は――しかし、倒れる前に、ばちん!と風船のように弾けた。 思いがけないことに一瞬反応が遅れて。気付いた時には、ヌエの中から現れたらしい真黒い人影がベディヴィエールに迫っていた。 「――――!」 それがシャドウサーヴァントと呼ばれる類の影だとはすぐに分かった。対峙したことも今までに何度かある。だが恐らくアサシンの類であるそれの初動はあまりに早かった。 選択肢は限られている。攻撃や防御は間に合わない。思考ではなく反射で判断し本能的に飛び退いたが、踏み込みが浅いこともあり影が肉薄するスピードの方がずっと早く――逃げ切れなかった。 漆黒の小刀が閃く音は妙に虚ろで、幼子が息を引き取る最期の一瞬みたいに、ひゅ、と短く響いた。影は華奢な女性のシルエットをしていたが、鎧に掛かる神秘の守りなど諸共しない。エーテルの隙間を通したかのようにするりと刃が突き立てられ、ベディヴィエールの身体をも容易に貫く。 「っ…………!」 衝撃は痛いというよりも熱く重たかった。回避出来ないと悟った瞬間に刺し違える覚悟を決めてあったので、手から力が抜けそうになるのを歯を食い縛って耐え、渾身の力で細剣を薙ぐ。跳ね飛んだ細首ごと、女の体躯は砂塵と化して風に洗われていった。 深々と刺さっていた得物もそれと同様に吹き消えると、傷口から一気に血が噴き出した。……この位置は、人間であればまず助からない。掠れる意識の中で分析する。 まとまった量の血液が喀血となって口から溢れた。息が出来ない。地上にいるのに溺れているようだった。サーヴァントであれば吹き零れているものは血液ではなくエーテルだろうが、赤く生暖かくご丁寧に塩辛くもあるそれは体感として血潮そのものだった。堪りかねて地に両膝をつく。 不必要になった鎧を消去し、手で胸と口元を抑えた。吸い切れなかった血がチュニックの上で水溜まりのようになっている。熱いと思っていたはずなのに、今では震えるくらい寒かった。視界が暗くなる。身体が支えきれない。 「ベディっ!!」 遠くなりかけた意識を一瞬引き止めたのは誰かが名を呼ぶ声で、けれどももう目が見えないし、意識もあやふやで、誰であるかは知覚出来なった。ただ、肩に腕が回される感覚があったので有難くぐたりと体重を預けて……そこで、ベディヴィエールの意識は途切れた。 消耗の速度を見るに霊核を損傷したとしか思えなかった。概念としてサーヴァントの心臓に近いそれは相当な魔力を持ってしか傷つけることは敵わない。ただの『影』に、ここまでサーヴァントを傷つけることは普通は出来ないが――傷の状態を見るに先程の影は直死を持っていたようだ。回復を施そうとしても傷口が死んでしまっているので治癒出来ない。外側ではなく、内側から治す必要がある。 マーリンは躊躇うことなく、ベディヴィエールに口付けた。 唇を割って舌を捩じ込み、唾液を流し込む。ベディヴィエールにはあの頃から幾度となく魔力を流し込んでいる。お陰で調節は容易かった。多くも少なくもないように。波長がぴったり合うように。 ベディヴィエールの指先がぴくりと震えたので、一度口を離した。傷口を手で撫でて確認する。……出血は治まっていた。もう心配は要らなかったけれど、個人的な欲求も兼ねてもう一度口付ける。 藤丸立香はその行為の意味を正しく理解はしている。レイラインが途切れた場合は最悪体液の交換で魔力供給を行うことができるとロマニから講習で教わっていた。しかし実際にこの形での供給を見るのは初めてだったし、思春期の少年には刺激が強かったのも事実だった。ふんわりと広がったマーリンの髪が邪魔をして直接光景を見ることはなかったが、唾液なのか血液なのか、とにかく体液による湿った音とささやかな息遣いが二人の唇の間から漏れ聞こえてくる。「ベディは大丈夫なの?」と、一言聞くことさえ出来なかった。それにこの男――グランドキャスターであるマーリンがここまでやって、助からない筈が無いとも思えた。 「せんぱーいっ!!ベディヴィエールさんが怪我をしたようだとダ・ヴィンチちゃんから聞いてマシュ・キリエライト、ただ今駆け付けましたっ!!手は足りていますか?!」 「うわあああああマシュっ!?だ、大丈夫!!足りてる!!全然足りてる!!ベディはマーリンが今治療してくれてるから任せて俺たちは帰ろうっ!!回れ右して!すぐに帰ろう!!!!」 「ええっ?!で、でもっ、いいんですか先輩っ?!」 「いいのいいの、こういう時の為のグランドキャスターなんだから!それじゃマーリン、ベディをよろしく!」 という微笑ましいやり取りがすぐ後ろで行われていたが、マーリンは全く気が付いていない。 * 血色が戻ってきたので唇を離した。 「……ベディヴィエール、」 そう呼び掛ける自分の声が思ったよりも優しく響いて驚く。薄らと開かれた深緑の瞳は最初は焦点が合っていなかったけれど、何度か瞬きをした後に意思を宿した。 「……口に、血がついています」 掠れた声で指摘され、マーリンは唇を手の甲で拭った。 「私の血では無いから安心して。気分はどうだい?何があったか覚えてる?」 「……ええと……力及ばす、すみません……」 「謝って欲しいわけではないよ。ただね。万が一のことがあったら、座に席のないキミはもうここには戻って来られないかも知れないことは覚えておいて欲しい。サーヴァントなんて使い捨ての道具みたいたモノだけど、マスターもボクも、もう少しキミと一緒にいたいと思っているよ。……もう少し眠りなさい」 まだ意識が覚束無いらしいベディヴィエールは子供みたいに素直に頷いて、静かに目を閉じた。 長身の彼を抱き上げるにはコツがいる。各パーツが長いから、無理のない体勢で抱き上げるのはやっぱり少し難しい。でも以前にも何度か抱き上げているし、その時の感覚はまだ、忘れてない。 ◆ 「あなたの母君はウェールズ王妃様でありました」 司教は一度だけマーリンに語った。しかしそれは当のウェールズ王妃が病死して葬儀を執り行った翌々日のこと。マーリンは彼女の棺に花を入れることも、顔を一目垣間見ることも叶わなかった。 「今際の際まで、王妃様はあなたのことを気にかけていらっしゃいました」 まだ乳飲み子であったマーリンを王妃から預けられたのも、王妃の臨終の懺悔に立ち会ったのも自分であると彼は語った。 どう返事をしたかは覚えていないし、もしかしたら何も言わなかったかも知れない。覚えているのは、特に何も思わなかったということだ。初めからいないものだと思っていた母親が本当にいなくなったことで、初めから孤児だと思っていたけれど本当に孤児になった。そういう事実としてであれば理解した。司教はこの話をすることでマーリンに何らかの変化が起こることを期待したのかも知れないが、大きな見当違いだったと言わざるを得ない。何たってまだ感情や心が欠片も存在していなくて、であれば立て板に水を掛けるようなものだった。 教会には溢れるほどの孤児が当たり前に生活していた。見目や気立てのいい者は引き取り手がついてすぐにいなくなる。残るのは言わずもがなの者たちばかりなのに、桁外れに見目の整ったマーリンが今の今まで誰にも引き取られずにきたのは成程、王妃の血を引いていたからなのだろう。 生活は何も変わらなかった。味のしない食事を食べ(「味付けが薄い」と子供たちが口々に言っていたので調理の問題だと思っていたが、マーリンの味覚の問題だったのだと後々分かった)、教会に住まわせて貰っている見返りに人々に奉仕する。ただしマーリンはその事情からかあまり表には出されず、髪が目立たないように白いフードを被り、主に裏庭の手入れをしていた。 「司教様から贔屓されている」と後ろ指を指されたのも無理はなかったかも知れない(それは事実だとも言えた)。「贔屓っ子め」と言って子供たちがマーリンの分の食事を皿から盗ったり、長テーブルの下で脚を蹴飛ばされたり、歩けば小石を投げられたり、わざと脚を引っ掛けられて転ばされても、仕方がなかったのかも知れない。どうでもいいが、食べなくても空腹を感じないと分かったのはこの時だった。 父親は夢魔であるとも司教から聞いていた。そしてそれに由来する『力』が備わっていることも段々に理解していった。初めは人の感情の波を何となく悟り、視界の広さの違和感から目を擦るくらいだった。しかしそれらは日増しに強くなっていく。異変に気付いた司教から「その力は使ってはいけない」と言い含められたが、それらはまるで空気のように、いつでもマーリンのすぐそばにあったので不可能だった。 ブリテン全体が見通せるようになった頃、誰に教わったわけでもないのに魔術も行使出来るようにもなった。司祭を含め人前では注意深くそれを隠した。神秘が健在の時代だったのもあって特に困惑はなかった。元々のオドの強さから、マナは気軽に便利にマーリンの意思を反映してくれた。 状況が急変したのは司祭が亡くなった時で、マーリンは少年と青年の間くらいの域にあった。……まさかその葬儀の次の晩に輪姦に遭うとは思っていなかった。もし天国があるのなら司祭はさぞかし嘆かれたことだろう。 頭から麻袋を被せられていたが、視覚が利かずともマーリンには『視える』。全員教会の人間だった。 ヒトの生態や営みはとうに知っていたし、女との交わりを禁じる教会では少年との交わりは普通のことだった。だから特に抵抗はしなかった。折れそうなくらい腕を捻り上げられ、破れそうな程に腹を突き上げられたが気にならなかった。それよりも自分に向けられた感情の波の、未だかつてない甘美さに驚いていた。男たちは毎晩マーリンを犯しにきた。顔は日毎に違ったが内容には代わり映えはなく、十日程経過した深夜に教会を抜け出した。 抱かれるのもそう悪くはなかったが「そちら側ではない」と本能は常に囁いていた。マーリンにはインキュバスの血が流れている。ヒトに組み敷かれる側ではなく、ヒトを組み敷く側。そしてその相手は女だ。ならば教会に居場所がある筈がない。 己の事を知る人間は少ない方がいいだろうと直感し、出がけに教会を全焼させた。司教も孤児もみんな纏めて焼けただろうが特に何とも思わなかった。惜しむモノなど何も無い。 「…………あ」 手掛けた裏庭の花々だけは、ちょっと惜しいかも知れない。けれどもそれに気付いた時にはもう手遅れだった。建物にぐるりと取り囲まれる形で存在した裏庭に咲いていた花々はもはや跡形もなかった。 夜が明けかけていた。 まずは精液で汚れた身体を洗い清めようと立ち寄った湖の水面に己の顔が映っているのを見付けた。手でぺたりと頬に触れてみる。意外と柔らかで心地よいそれをむにゅっと持ち上げてみてから、 ……にっこりと、生まれて初めて微笑んでみた。 「……おはよう、そしてこんにちは。ボク」 胸が温かくなって、掻きむしりたくなるくらいにむずむずした。 ――自由だった。 ◆ 気付いた時には目を開けていて、カルデアの無機質な天井をぼんやりと仰ぎ見ていた。 サーヴァントは夢を見ないが、自身の過去の記憶を反芻することはある。また魔術回路とはそのヒトの歴史、根源であり、魔力を交流させることで相手の過去の記憶を共有することもあるという。 ……であれば、こんな夢を見たのは何故なのか。 「……ベディ、起きた?」 囁く声は藤丸立香のそれだ。声の聞こえた方に顔を傾けて「はい、マスター」と返事をしたが、声はかなり掠れていたし、喉が渇き切っていて危うく咳き込みそうになった。 「お目覚めになりましたか。失礼いたします、サー」 きびきびとした声と共に、ライトグリーンの仕切りカーテンが(ベディヴィエールの返事など待たずに)さっと開いた。立っていたのは、正気の上なのか狂気の内なのかが一番よく分からないと評判のナイチンゲール女史だった。 「水差しを枕元に置いておきますので喉が渇きましたらこちらからどうぞ。今夜は経過観察の為このままこちらでお休み頂きます。今のご気分と体調は如何です?」 「えっと……特には……」 「結構。他に病人も怪我人もいないので会話は構いませんが、消灯時間まであと十二分三十七秒なのでそちらにはご協力頂きます。よろしいですか、サー?」 「は、はい……」 彼女の言葉と視線には妙な迫力がある。圧されて思わずどもってしまった。 「仕切りの向こうに控えているので有事の際は呼びかけるように。声が出ない場合は枕元のボタンを押せば分かります。では失礼いたします、サー」 開けた時と同じ、気持ちいいくらいの速やかさでカーテンがさっと閉められた。 「……ベディ、本当に身体は何ともない?」 再度、立香が話しかけてきた。 「はい。特に痛みや気分の悪さはありません。……ただ、ええと……何があったかよく覚えていないのですが……」 「新型のエネミーにやられたんだよ。撃破してもフォルム変えてまた攻撃してくるやつ。ダ・ヴィンチちゃんはブレイクシステムって名付けてた。また同じような敵出てくるかも知れないし、見分ける為のプログラム今組み立ててる」 「そうでしたか。……すみません、ご迷惑をお掛けして……」 「全然。変わったエネミーにたまたまベディが当たっちゃったってだけだし、気にすることないって」 立香が歯を見せてにかっと笑うのを見ると、何だかとても赦された気分になる。彼のこの屈託のなさに救われるサーヴァントは多いだろう。 「たださ、俺がベディを回復する前にマーリンが……その、魔力供給したから。大丈夫なのかな?ってそっちをみんな心配してるよ」 本当に何ともない?と重ねて訊く立香に、ベディヴィエールは「本当ですよ」と小さな子供に言い聞かせるように優しく返した。 「ならよかった。具合が悪くなったらいつでも言ってね。その為に俺も一応ここにいるわけだし。……マーリンは一応俺と魔力のパス繋がってるけど、独自の回路も持ってるんだって。マスター以外の魔力が混入した副作用が何か出るかも知れないけど一時的なものになるだろうから、一晩経って何事も無ければ大丈夫だってさ」 サーヴァントの中にはかつて恋人や夫婦であった者たちも多い。もしそういった者たちが愛を交わしても、マスターが同一であれば結局は同一の魔力が循環しているだけなので問題はないとされている。 「マーリン、今日も独房で寝てるって。あとついに私物持ち込み始めたってドクターが怒ってた」 立香はそう言うと、堪えきれないとばかりに笑った。召喚されて以来マーリンは気ままに問題行動ばかり起こしているし、自室で寝た日数と独房で寝た日数は恐らく半々くらいだろう。助けてもらったのに悪いとは思いつつも、ベディヴィエールもつられてちょっと笑ってしまう。最初に自分で言っていた通り、独房をマイルームにしてしまった方が早そうだ。 「それにしても意外です。マスターがいらっしゃったのに、マーリンが私を?」 「うん。俺より近くにいたからだろうけど」 「自分がやらなくてもいいことを、あの人がそんな風に率先してやるとは思えませんが……でも、それなら明日にでもお礼を言わないといけませんね」 「えっ!?」 「えっ?」 思わず過剰に反応してしまった立香を、ベディヴィエールがまじまじと見詰めた。程なくして視線に耐えられなくなった立香は「穴が空くからそんな風に見つめないでっ」と乙女のようなことを言って顔を手で覆う。 「……あの、マスター」 「……何?」 「先程、魔力供給と仰いましたが……マーリン殿はどのようにして私に魔力を提供して下さったのでしょうか?」 来るべくして来た質問だった。 「聞かない方がいいと思うけど……」 「いいえ。聞かないと怖いです」 キッパリと言い放つベディヴィエールに、立香もこれはもう避けようがないと腹を括った。こんな言い方をされたら、自分だって同じこと思うだろうし。 「……口から、って。言えばいいかな」 「消灯時刻です」 バチッと。ナイチンゲールの無慈悲な声と共に、部屋の電気が一斉に切られた。 真っ暗闇の中。藤丸立香とベディヴィエールがそれぞれどんな表情でいるかは、誰にも窺い知ることが出来ない。 * 出来ることなら偶然に顔を合わせ、さらっと一言謝りたかった。改めて顔を合わせるのは何となく気まずいような気がしたからだ。けれども。必要のない時はそこにいて無駄に騒ぎを煽ってくる癖に、肝心な時はいくら探してもどこにもいないのがマーリンという男である。 「あっちに行った」「さっき席を外した」「そういえばいつの間にかいなくなってる」と、まるで避けられるかのようなタイミングで全く会うことが出来ない。トリスタンとは片手では足りない回数すれ違ったし、初めは「早く見つかるといいですね」と言ってくれていた彼も最終的には「まだやってるんですか?もう諦めて私の部屋で飲みません?」なんて言い出す始末だった。……「心の準備が出来てないからマーリンはアルトリアさんたちとは顔を合わせたくないんだって。その内無理やり引き合わせようと思ってるけど」とそういえばマスターが語っていたっけ。 まあ、結果から言えばそれはただの邪推というやつで。ただただマーリンはあちこちをふらふらと遊び回っていたに過ぎず、夜になって観念したベディヴィエールがマーリンの部屋を尋ねれば「なんか妙にやつれてない?」と言いつつにこやかに出迎えてくれたわけだが。 「……流石に今回は城勤めしていた頃を思い出しました」 「アハハ、キミはよく人の捜索に駆り出されていたよね。末席ってそんなモノだろうけど」 「今思うと完全に使いっ走りでしたよね。一応騎士なのに王から馬飼いから墓守まで身分問わずたくさんの人と顔を合わせてましたし。……楽しかったですけど」 「そういうところも含めて、アルトリアの人選は全く以て正しかったとしか言いようがない」 お茶を淹れよう。キミに是非頼みたいところだけど、疲れているようだから座っていなさい。そう言って自らシンクへと向かったマーリンは三分もしない内に戻ってきた。トレイはカルデア支給の物だが、上に乗っている陶製のカップは自前だろう。薄桃色の花の描かれたカップの縁からはティーバッグの尻尾が垂れ下がっている。 「……変わった香りですね」 「キミは逆にそう感じるかもね。カレルチャペックのガールズティー。入手経路は秘密」 「フレーバーティー?」 「そう。残念ながら味の方は知らない」 カップを受け取って一口啜った。強い香りに引っ張られてか、妙に甘ったるい。 「……ううん、ちょっと甘すぎる?どうだい、ベディ?」 「当たり前みたいに人の感情齧るのやめて頂けませんか?」 「だってそうしないと私は味が分からないし」 「そもそも何故ガールズティーなんて名称の物を買ったのです」 「可愛い女の子とお茶会する時に役立つと思って。まさかこの私が膝を付き合わせて男とお茶会とはね」 「それなら紅茶やカップより先に椅子を入手すべきだと思いますよ」 カルデアの各部屋には一脚しか椅子が備え付けられていない。今はベディヴィエールがそれに座り、マーリンはベッドにゆったりと腰掛けている。 「あの頃と違ってナンパは不調のようですね?」 「本当だよ。華やかな女性や女神で溢れかえっているというのにみんなあっさり断ってくるし、誘ってくるのは明らかにヤバい類だし。スタッフの子に声掛けようとするとロマニくんが邪魔しに来る」 「ふふ。目に浮かびます」 「笑わないでおくれよ。私にとっては死活問題なんだぞぅ?」 この人とこんな風にお茶をするのは初めてのはずなのに妙に心地がいい。そう気付いた時に、胸がちくりと痛んだ。とろけるような甘い香りと時間の中でベディヴィエールは少しだけ戸惑う。 ……用事を済ませて早めに立ち去ろう。仕切り直しにひとつ息をついて、話を切り出した。 「あのですね。先日の私の怪我はマーリン殿が治癒させたとマスターからお伺いしました。それで、今回はそのお礼を申し上げに参ったのです」 「アハハ、気にしなくていいさ。私はいつだってキミたちを鼓舞し、戦場に送り出し、必要と思った時には保全しているだけだ。良いようにキミを扱ってるだけなんだ、キミも私を都合よく利用しておくれ。でもそうだな。せっかくの気持ちを受け取らないのも勿体ない」 マーリンは悪戯げに笑んで、カップをサイドテーブルに置いた。ベッドから立ち上がるとベディヴィエールの座る椅子のひじ掛けに手をついて、覆い被さるような体勢から見下ろしてくる。 「先だっての通りナンパが不調でね。共寝までは請わないけれど、キスくらいであればどうだい?……私がどういう風にキミを助けたか。どうせマスターくんから聞いたんだろう?」 「それは……」 「嫌なら嫌でいいとも。私はキミたちとは事情が違う。人を誘う目的は魔力ではなく、発生する感情を味わいたいというただの欲求だ」 どうだい?と、マーリンが何でもないことのように問い掛ける。きっと本当に、彼にとっては何でもないことなのだろう。 心の奥底に落ちている一本の針に知らずに触れたかのように、また胸がちくりと痛んだ。この先に進んでいけないと、何かが警鐘を鳴らしている。 マーリンがカルデアに来てから、胸がざわついて落ち着かない。 彼が苦手だ。それは確かに昔からある記憶であり感情だ。 しかしそれ以外の何かが胸の中にある。 逃げるのではなく向き合いたいと願う、何かだ。 |