bluebell woods 「私は構いません。……どうぞ、貴方のお好きなように」 ベディヴィエールの静かな返答に、一拍を置いた後でマーリンは瞳を大きく見開いた。常に飄々としている彼のそんな表情は滅多に見られたものではない。少し、可笑しくなってしまう。 「怒った?」 「いえ別に。何故そうなるんです?」 「そうじゃなかったら一体どういう意図だい、今の」 「言葉にした通りですよ。私は構いません」 心を覗けばどうやら確かに、彼は怒っているわけでも、ヤケになったわけでも、からかっているわけでもないらしかった。ベディヴィエールの心は凪いでいる。 マーリンに読めるのはあくまでヒトの感情であって思考ではない。だからヒトの思考に生じるバグじみた泥沼にハマることがたまにあった。出した結論は分かるのだ。しかし過程が辿れない。 黙ってしまったマーリンに代わり、ベディヴィエールが口を開く。 「マーリン。私は無くしてしまった記憶を、貴方は持っている。そうですね?」 「……うん、そうだね」 「だから私は貴方と向き合いたい。貴方と向き合うことは、私自身と向き合うことなんだと私は思いました」 自らの霊基の奥底に、鍵の掛かった領域が存在していることを知っていた。ことカルデアにおいては記憶の不足や解離など大した問題にはならない。ここに集まっているのは逸話の集大成としての英霊で、ベディヴィエールに同じく、等しく誰もが歴史の影だ。アーサー王一人を取っても驚く程の人数・亜種が存在しているのだ。そういうおおらかさの元に、カルデアという組織は成り立っている。 しかし記憶が無いからと言って過去が無くなるわけではない。頭が覚えていなくても身体や心が覚えていることは多々あると皆語る。 今まではその寛容に赦されていたとも、だから避けていたとも言えるだろう。 「マーリン。私と貴方の間に起こったことを、私は知りたい。この腕を授かった以外にも、何か大切なことがあったのではありませんか?」 「……ボクにとっては大切なことだ。とてもね。でも今のキミにとってはそうではない。私はそう思う」 「だから、教えない?」 「このくらいのわがまま、以前のキミなら赦してくれるとも。ベディヴィエール。キミはね、キミが思っているよりもずぅっと確率の低い、奇跡みたいな可能性を辿って今ここにいる。だからね、過去よりも今現在を大切にしてほしい。ボクは、キミが今現在に存在しているのを、ただ間近で眺めたかっただけなんだ」 マーリンは美しいけれど、どこか冷たい印象を与える人だと思っていた。けれど彼が今浮かべている笑みはとても柔らかで、優しくて、ベディヴィエールは素直に驚く。 筋張った真白い手が、巣から落ちた雛鳥を拾い上げるみたいにそうっと、ベディヴィエールの右の頬に触れた。ひんやりとした感覚が思いがけず肌によく馴染む。懐かしいような、安心するような。不思議な心地がした。……気持ちいい。 「……私たちは、愛し合っていたのですか?」 「いや、ボクの片思いだったんだ」 「……本当に?」 「キミは昔から私のことが苦手だろう?」 「よくご存知で。でも貴方だって、昔は私のことなんてその辺の石ころくらいにしか思っていませんでしたよね?」 「……よくご存知で」 マーリンの口真似は相当上手で、二人で小さく笑い合う。笑い声が途切れると共にマーリンが顔を近づけてきて――唇が、重なった。 多少舌は絡めたけれど、そんなに長く口付けていたわけではないと思う。ただマーリンの舌先はどういうわけか妙に甘く、ほんの少しの触れ合いでも頭の芯が蕩けてしまいそうだった。いっそこのまま身を委ねてしまいたい。そんな欲が頭をもたげるよりも少しだけ早く、マーリンが唇を離した。名残惜しさから「あ」と小さく声が漏れてしまったのを、目を細めて笑う。 「ありがとう、ベディ。キミからは貰ってばかりだ」 「何を仰います。貰ってばかりなのは私の方です、マーリン」 「私はいつだってキミを都合よく利用しているだけだ。でもキミは違う。……そういうところが、好きだった」 喉から絞り出すような、こんなにも苦しげな声を、この人が出すなんて思いもしなかった。 ◆ どうやら自分は死なないのだと気付いたのは森の中で生活している時だった。何も食べなくても差し支えがなく、大粒の雨に濡れても病気に罹らない。怪我をしても傷口はみるみる内に塞がった。崖から足を滑らせて頭から落ちた時も、気づいた時にはまるで初めからそこでうっかり眠り込んでしまっていたみたいに地面に横たわっていて、それだけだった。髪の中を指で探ってみると小さな瘢痕があったが、それもすぐに消えてしまった。 動物たちはマーリンには近寄らなかった。きらきらした妙な光が周辺を飛び回っていることはよくあって、その時はまだ上手に捕捉出来なかったけど、妖精の光だったのだと後から分かった。 物珍しさもあって最初は市中によく出掛けていた。そこかしこを歩く女にも深い興味はあったものの、一体どう声を掛けたものか分からず、結局この頃は髪一筋として女に触れることはなかった。稀に彼女たちの方から優しく声を掛けられても、混乱して即座に逃げ出してしまった。きっと女たちはマーリンを口の利けない者だと思っていただろう。 最終的に街へ行くのは季節ごとに衣服を調達する時だけになった。調達と言っても硬貨なんて持っていないので、軒先に干されている手頃な物を勝手に持ち帰った。誰も盗みを咎めなかった。というより、マーリンを見かけると誰もが顔を真っ青にして一目散に逃げ出した。 マーリンは、人の死を見るからだった。 これはまだマーリンが市中を練り歩いていた頃の話だが、基本的に無表情であるマーリンが、人の顔を見るなり声を出して笑うことが時折あった。無邪気な表情と声に「あの子も笑うことがあるのね」「可愛らしい」と初めはどちらかといえば人々は好意を抱いたが――マーリンに笑われた者は近い内に死亡することにやがて気付いた。あと数日で死ぬのに、あれこれと未来に思いを馳せている彼らは、マーリンからすると可笑しくて仕方なかった。 「あれは死神が女に孕ませた子に違いない」という当たらずとも遠からじな噂が広まり、誰もがマーリンを恐れた。マーリンには人々の強烈な「嫌悪」や「恐怖」がはっきりと目に「視えた」。そんなところをのこのこと散歩できるほどの図太さはなかった。 数年間を森の中でひとりで過ごした。秋にひめりんごの実を齧ることがほぼ唯一の楽しみだった。味はしなかったが、りんごの歯応えが好きだった。 その軍勢がやってきた時。春先の森ではやっとブルーベルの花が咲き始めたところだった。 マーリンはその様子を既に視ていた。髪は伸ばし放題のままだったが、前日に服を替え、顔と身体を湖で洗っておいたのもこの日を既に知っていたからだった。 軍勢は暴君・ヴォーティガンの手の者。築城の呪いに使う父無しの男児を捜索する折、マーリンの噂を聞きつけてやってきたのだ。 またもや麻袋を被せられて、今度は手足まで縛られた。マーリンは青年と呼べる歳まで成長していたが、背は小さく痩せこけていた為、少年を名乗っても十分通じる風貌だった。顔立ちばかり妙に美しく、白い長髪も相俟って外見では男女の区別もつけられなかったらしい。一度無造作に脚を開かされてから荷車の上に土嚢のように放り投げられた。マーリンが今のような逞しい青年の姿へと変貌を遂げたのはヒトと感情を交流させ始め――特に女を抱くようになってからのことで、乙女の夢の中に入り込む術を身につけたのも同じ頃だ。 二日ばかり荷車の上にいた。抵抗の意思がなかったので生きた人形のように大人しくしていた。夜になると引きずり降ろされ男たちに代わる代わる犯されたがそれも別に今更だった。 後のことは大体伝承されている通りだ。 城壁に生き血を塗りたくられるところだったが、築城について助言を行ったマーリンの命は助けられた(まあ、身体を八つ裂きにされようと別に死なないのだが)。 ヴォーティガンはやがて兄弟でもあるウーサーと、その娘――いいや、息子であるアーサーによって滅ぼされることになる。 マーリンはその全てを、すぐ側で見てきた。 ◆ トリスタンは人の嘘を見抜くのが得意である。 初めは並外れた聴覚によって相手の呼吸や心音の早まりなどから真偽を推測していた。やがて人が嘘や隠し事をする時に何気なく、しかしよく行う仕草や視線の動かし方にも聡くなっていった。 ベディヴィエールを心から気に入る者は大抵そうであるように、トリスタンはベディヴィエールの純朴さが好きだった。心音との乖離が全くないとは流石に言わないけれど、殆どブレはなく、安心して話が出来る。ただし持ち合わせた口の上手さから嘘にならない範囲で喋るのは大得意だし、隠し事を見抜くのもまず不可能である。ついでに言うと嘘だと見抜くことは簡単でも、重要な情報に関しては拷問されようと一切喋らないので一筋縄ではいかない。彼も、円卓に連なる騎士の一員なのである。 ランスロットなどは生来の生真面目さと優しさに言葉の不器用さが合わさって、かなり嘘の多い男だった。あのような結末に至ってしまったこともトリスタンからすると納得がいく。ベディヴィエールとは正反対だが、ランスロットはランスロットでトリスタンは結構気に入っていた。自分の気持ちにごまかしが利かないからこそ嘘になってしまう、とても正直な男だ。ベディヴィエールを親友と呼ぶのなら、ランスロットは悪友というものであっただろう。 そして、本題。 マーリンには心音がない。拍動はないのに全身をしっかり血液(以前見た出血が赤かったので、恐らくは)が巡っている。どういう構造になっているのか知らないが、とにかくヒトとは全く違うはずだ。 ……心臓に蟲が巣食っているような雑音でもしてくれた方がいっそマシだった。こんなに何の音もしないのでは――生きていると言っていいのかさえ分からない。機械の方がずっと賑やかだ。氷で出来た洞のように、彼からは一切の生命が感じられない。 そんな得体の知れない男とベディヴィエールが一緒にいる状況はトリスタンにとっては物凄く不快だった。湧き上がるのは彼の隣を取られてしまうなんてチープな恐れではない。いつかベディヴィエールはどこか遠くへ連れ去られてしまうのではないかという、超自然的な畏れだった。 「――魔術師殿と何かありました?」 トリスタンが訊ねたのはグラス二杯のワインを空けて、ベディヴィエールの頭がとろんとしてきたタイミングだった。酒の相手にはランスロットを選ぶことの多い彼が今日は珍しいなと思っていたが――成程、これはベディヴィエール口の滑りを良くするために持ってきた物らしい。計算に乗ってしまったと思うとちょっとムッとしたが、野次馬が目的ではないのは何となく分かったので控える。 「……何故?」 「何となく。声の調子とか、心音とか、視線の方向とか。そういう一つ一つからの推理です」 「目を閉じているのに視線の方向が分かるので……?」 「目に映るものだけが全てではありませんからね。まあ、卿とイゾルデ以外には流石にこんな芸当出来ませんが」 必要ならあの人の首を断ってきますけどどうします?と、未だにマーリンのことが気に食わないらしいトリスタンがアサシンのようなことを言い出した。首を横に振り、必要ないと示す。 「話すと長くなるのですが……。先日、私が負傷した際に彼から魔力供給を受けまして」 「セックスしたんですか、私以外の男と……!」 トリスタンが身を乗り出すとベッドのスプリングが大きく軋み、グラスの中身が揺れた。カルデアのマイルームには相変わらず椅子が一脚しかなく、トリスタンとベディヴィエールは揃ってベッドに腰掛けている。 「口付けだけですよ」 「並んで立っているのを見るだけで気が狂いそうになるのにとても許せませんっ!殺します。あの人を殺せば卿とキスしたことある男は私一人になりますよね?」 「と、トリスタン、少し落ち着いて!酔ったケイ卿やガウェイン卿にキスされたこともありますから!」 「……ベディヴィエールの浮気者っ!」 「誰に対しての浮気ですか?ていうか貴方にだけは言われたくありませんが?!」 どうでもいい口喧嘩が十分ほど続くが、二人ともそれなりに酔っているので仕方がないことだった。トリスタンはグラスを飲み干し、空になったそれを叩きつけるようしてサイドテーブルに置くと、仕切り直すように息をついた。 「……で、たかが魔力供給にキスした程度で恋する乙女じみた反応してたんですか、卿は?」 「彼とキスするとその後にですね、」 「他の男とのキスの感想なんて聞きたくありません!!」 「違いますけど?!」 「いや、ぶっちゃけどこまでシたんです?口付けだけにしては卿の反応がおかしいんですよね。卿は嘘が下手なんだからもう正直に仰いなさい」 「口付けだけって言ってるじゃないですか!それは本当ですっ!」 どうやら、そこは嘘ではないらしい。けれどもその割に――ベディヴィエールが、一度抱かれた男の話をする乙女みたいな表情を浮かべているが不可解だった。 「……ベディヴィエール」 柔らかに呼びかけると、ベディヴィエールは無防備に顔を上げた。肩に手を掛け、ご丁寧に顔を傾けて、ぴったりと唇を重ねる。たっぷり三秒ほどそのままでいたが、その間ベディヴィエールは――相当冷ややかな目でトリスタンのことを眺めていた。トリスタンも普段は伏せている目をわざわざ開けてそれを見返した。 「……何なんです?」 唇が離れるなり、ベディヴィエールは呆れたように問うた。 「それはこっちの台詞です。全く動じないのですね」 「貴方、酔っ払うとすぐにキスしてくるじゃないですか。舌も入れてくるし。慣れ切ってるんですよ」 「キスには慣れ切っているのに、マーリン殿が相手だとあんな反応になってしまうんですか?」 「……問題はキス自体ではなくて、その後に……必ず彼の夢を見るのです。それが気になって……。どう説明したらいいのでしょう。すみません、酔いが回っているようです」 歯切れの悪い返答に加え、夢に出てくるなんてマーリンの出自を思えば当然のことをわざわざベディヴィエールが言うなんて。……現実には口付けしかしていないが、夢の中で抱かれたかと、トリスタンが考えたのは自然な流れだった。 「……もういいです。口から引き出せないなら卿の身体に訊きます」 「は?ちょっと、トリスタン何を言って……!ひゃ?!」 ご婦人が相手ならこんな風にはしないのだろうな、と思うような乱雑なやり方で、トリスタンはベディヴィエールをベッドに組み付した。とうに空であったグラスを奪い、先程置いた己のグラスの隣に並べる。 「口閉じていいですよ。代わりに脚開いて。……ふふ。若くて熱を持て余していた私のモノを、あの頃の卿は何度も受け入れて下さいましたよね」 トリスタンの手がいやらしく、ベディヴィエールの内腿を撫でた。 「だ、駄目です、トリスタン、話すから、ちゃんと全部話しますから……っ!」 「手に全然力が入ってない。酒を飲むとベディヴィエールはすぐに手足に来てしまうんですよね」 熱の篭った声を、耳元に吹き込まれる。ベディヴィエールもこれはもう避けようがないと悟った。 「っ、素股までならいいです!それ以上は後で怒ります……っ!」 「……分かりました、今夜はそれで手を打ちましょう。勿論、話も聞かせて貰いますから」 翌日。トリスタンとベディヴィエールの髪や肌が妙に艶やかに輝き女性たちの噂の的になっていたが、それは完全に別の話である。 * 賑やかなのも好きだけれど、なんせ千年以上独りでいた身だ。基本的には静かな方が落ち着くので、マーリンは結局反省室を乗っ取って半自室としていた。居住エリアから離れたこんなところまでわざわざやって来る者は……まあ、結構いるけれど。でもそういう輩はマーリンと同じで孤独を愛する者だ。我関せずを互いに貫くのみである。 例外的にドアをノックする者も勿論いる。ロマニ・アーキマン(彼は規則に従って時折直接監視に来ているだけだが)やベディヴィエール(例外中の例外)。それからマスターである藤丸立香などである。 この日も軽快にこんこんと、反省室のドアが叩かれた。 「――どうぞ、鍵は開いているよ 」 「やっぱりマーリン、ここにいた!一緒に来て欲しいところがあるんだけど、今大丈夫かな?」 本日の例外者・藤丸立香は、マーリンの顔を見るなり歯を見せて屈託なく微笑んだ。 「勿論だとも。何があったか知らないけれど、お兄さんの力が必要とされているのならいつでもどこへなりともお供するよ、マイ・マスター」 アヴァロンから千里眼で見通していた時の方が、こうして実際カルデアにいる今より内情に詳しかったというのもおかしな話だ。そう思いながらもマーリンは慇懃に微笑む。 「カルデアにもサロンを作りましょうよ」と初めに呼び掛けたのは、第一特異点修復直後にカルデアへやってきた、かのマリー・アントワネットであった。「作れないか」や「作りたい」ではなく「作りましょう」という確信的な物言いを自然と行ってしまう辺りは流石王族だと、既にアヴァロンからカルデアを眺めていたマーリンは思わざるを得なかった。 マリーと共に召喚を受けた、後に親衛隊などと呼ばれるフランス出身のサーヴァント達はロマニ・アーキマン(余談として彼は熱烈なマリーファンの一人だ)から許可を貰うと、いくつか提示された空き部屋を検分し、ダンスパーティさえ開けそうな最も広い部屋を遠慮なく選んだ。繊細な調度品を少しづつ揃え、どこから調達したのだかエレガントなオフホワイトのピアノまで置き、内部発注したマリーの肖像画を壁に飾った……ところ当のマリーから「ここはフランスではないのよ?遠慮も知らなくてはならないわ」と窘められて一転、長閑な田園の風景画に切り替えられたりなどはしたが(なお肖像画はどさくさに紛れてアマデウスが持ち帰った)、とにかく。最後に丸テーブルの上に香り高い白百合の花を活ければ、ロココ文化の頂点に立った姫君のお眼鏡に適う、繊細優美なサロンが完成した。 完成したサロンは全サーヴァント、全スタッフに自由解放され、本当にダンスパーティーさえ開催された。好評のあまりにこの後二号室、三号室……とどんどんサロンは増やされていくことになる。号数を重ねる毎に規模は縮小していく傾向にあるが、ナンバリングごとに大きく趣が違っているので部屋を見て回るだけでも面白いのだ。 さて。この度藤丸立香とマーリンがやって来たのはサロンの中でも最もモダンでシックに仕上がっていると評判の十三号室であった。 「マーリンとお話したいって人がいてさ。でも周囲には極力秘密にしたいって言うから、代わりに俺がこっそり呼びに行ったわけ」 「おやおや。私のような下賎な者と話すのにそんな一手間は必要ないのにね。お招き下さったのはもしかしなくても王族の方かい?」 「うん、そう」 「女性かな?それとも男性?」 「女の人だよ」 「やっぱりか!よぅし、そういうことなら任せてくれたまえ!恋のお悩み相談でも一晩限りの秘密のお誘いでもこの私が喜んで承ろうじゃないか!男性だったら回れ右して帰っていたけれどもね!」 「あははは、マーリンはブレないなぁ。テーブルの上のポッドに紅茶用意しといたから、二人で好きに飲んでいいからね。それじゃあ行ってらっしゃい」 そう言って軽く手を振る藤丸立香の様子はいつも通りの何の含みもない、のほほんとしたものだった。 ――末恐ろしい。この私を出し抜くとは平凡なようでいて流石は人類最後のマスターだと、マーリンは後に語った。 というのも「このドキドキこそが千里眼ナシの醍醐味だよね」などとうそぶきながら意気揚々とマーリンが開けた扉の向こうには――アルトリア・ペンドラゴン。その人がいたからだ。 美しさと可愛らしさの両立する凛とした姿を認めた瞬間、マーリンの動きがぴたりと止まった。さながら蛇に睨まれたカエルのように、ドアノブを握ったまま頭も身体も何もかも完全に硬直してしまったマーリンの背中を後ろから「えい☆」と押して部屋に入れたのは藤丸立香だった。ぱたん、とドアが閉まるなり、マーリンの口からは形容しがたい悲鳴が迸る。 「マ、マ、マ、マスターくんっっ!?アルトリアと私を一緒にするとか、君は悪魔なのか!?!?い、いや嬉しい、すごく嬉しいんだけど……まだ心の整理がついてないというかだね……っっっ!!!!!!」 「――マーリン。とにかく座ったらどうですか?」 「……、…………、……はい」 アルトリアに促され、マーリンはその真向かいに居心地悪そうにちょこんと座った。その顔は既に憔悴しきっている。 紅茶は二人分、既にカップに入った状態でテーブルの上に置かれていた。立香がポットに用意したものをアルトリアが淹れたのだろう。少女は花びらのような唇をカップにつけて、一口分だけ喉を潤した。 「ナンパが失敗続きだからと魔力供給にかこつけてベディヴィエールに手を出したそうで。ベディヴィエールがそう証言したとトリスタンから報告されました」 「はぁ?!?!」 「マーリン。言い訳はあるか?」 「そもそも曲解だ!…………そうだよね?」 「私に訊くな」 当然の返答である。マーリンは机に肘をつき、頭を抱えた。 「ええとね、アルトリア。……私はそんなつもりではなかったけれど、ベディがトリスタンに直接そう言ったんだとしたら……その、」 「貴方にしては煮え切らないことを言う。結局どっちなんです?主観は一度置いておいて、客観で答えて欲しい」 「……どちらかと言えば手を出した……」 「――そうですか」 平服姿だったアルトリアが突如霊基を切り替えた。鎧を纏って剣を握った、その目的は明白である。 「ちょ、ちょ、ちょっと待っておくれアルトリア!私の話も聞いておくれ!」 「一撃入れた後であれば聞こう」 「キミの一撃はシャレにならないじゃないか!」 「問答無用っ!!」 轟音と地響きと共に管制室の魔力測定計が一瞬物凄い数値に跳ね上がったが、藤丸立香から事のあらましを言い含められていたので、ロマニ・アーキマンを含めスタッフは誰も気にしなかった。 「……千里眼を持ち人の感情まで読める癖に、貴方はいつも物事の認識が甘すぎる。細部に拘らず全体を見ろと貴方はよく私に語り聞かせてくれましたけど、時には細部をじっくりと観察するべきなんですよ。でないと足元を掬われます。カムランで身につまされました」 アルトリアは剣を鞘に収め、武装を解いた。「あいたたた」と呑気にうそぶくマーリンは思いっきり全身血塗れで床に転がっているが、傷は既に塞がり始めている。 「全く、キミは乱暴だな」 「そう育て上げたのは貴方だ。エクターはどちらかと言えば穏やかな気性の方でした」 マーリンは部屋の隅まで吹き飛んでいた椅子を持ってきて、元通りに着席した。流血は時と共に花びらと化し、微かな芳香を残して泡のように消える。 「さてと、とにかくこれでチャラだね。ボクの話をする番だ」 マーリンが明るい声を出した。もう一撃入れるべきか?と思いつつも、円滑に事を進めるためにアルトリアは口を挟まない。 「今カルデアにいるベディは特異点キャメロットのベディヴィエールを基点にして作り上げられた存在だ。そうだろう?」 「ええ、そこに間違いはないでしょう。当の記憶は欠けているが、そこに至るまでの記憶や彼の持つ宝具、タイミングを考えればまずそれしか有り得ない」 「私は特異点を訪れる前の彼と出会って、深い関係になっていた。そう言ったらキミは信じるかい?」 あっけらかんとしたマーリンの告白に、アルトリアは意外だとばかりに目を丸くした。 「……愛し合った、という意味ですか?女の尻を追いかけてばかりだった貴方が?」 「事実だけど辛辣だな。でも彼、ガタイはいいけど顔は普通に可愛いじゃないか。お尻も大きくて可愛いし」 「そこに異論はありません」 このやり取りをベディヴィエールが聞いたらどんな顔をするだろうか。マーリンは小さく笑った。 「ただの人間が永い時を誰かの為に費やして、世界のテクスチャの裏側にまでやってきて。今にも崩れ落ちてしまいそうなくらいボロボロで、でもまだ燃え尽きていなくて。しかもそれが千年以上前の顔見知りだなんて、そんな奇跡を目の前に差し出されたら、流石のボクだって何も思わずにはいられなかったさ」 ふう、とひとつ息をついて、マーリンは一度紅茶を啜った。ゆっくりとカップを置いてから、再度、口を開く。 「……最初に抱いたのは不可抗力だった。魔術回路も持たない人間に妖精郷の空気はあまりに濃すぎたし、注いで内側から中和したんだ。生身での性行なんてボクも何百年ぶりだし相手は男だし死にかけてるし、間違って殺してしまうんじゃないかってハラハラしたよ。……こんな話、聞きたくないかな?」 「貴方に恋をしていたのは昔のことですからお構いなく。……私も、他の方から本当の愛を教わりましたので」 「そうだったね」 満足気ににんまりと、男は頬を緩めた。 「それから暫く、一緒に暮らしていたんだよ。何百年か前に塔の中を私好みに改築してあったから、彼も普通に生活出来た。いやぁ、ベディって本当に働き者だし几帳面だよね。もし女の子だったらダメ男製造機になっていたんじゃないかな。一時期は塔の中もとてもきれいに片付いていて助かったけど、彼がいなくなったらすぐに今まで通りになってしまったね。形状記憶ってやつかな?」 「単に貴方がものぐさなだけだ」 「違いない」 アハハと声を出して、マーリンが愉快そうに笑う。 ……あの頃に比べて随分表情が豊かになったものだと、アルトリアはひっそりと感心した。 「最初はすぐに送り出すつもりだったんだ。本当にね。けれどもどうにも手放し難くなってしまってさ。使命があることを承知の上で『キミはここに留まることも出来る』だなんて、今思えば悪魔みたいなことを提案したりもしたさ。でもベディは迷わなかった。……本当はとても、怖かっただろうにね」 「貴方でも、そんなに感情的になったりするのですね」 「私自身そりゃもう驚いたさ。……ただの人間ってやつは一番怖い。キミみたいに圧倒的なカリスマを持った人間であれば、惹かれることには簡単に説明がつく。しかし何も持っていなければ純粋に彼自身を気に入ってしまったとしか言えないじゃないか。言い訳が出来ないとも言うかな。本当、大したものだよ、ベディは」 「遊びや気紛れではなく……貴方はベディヴィエールを本当に『愛して』いらっしゃるのですね」 弟を見守る姉みたいな優しい表情でアルトリアが問うた。マーリンも「うん」と素直に頷く。 「尤も、彼の愛とボクの愛はベディに言わせると別物らしい。これでも精一杯、彼のことを愛しているつもりだったんだけど、難しいや」 「マーリン。例えばの話ですけれど……貴方には恋と愛の区別がつけられますか?」 「……恋と愛の区別?」 子供みたいにオウム返ししたマーリンを見ると、アルトリアはこめかみに手を当て、首を振った。 「やっぱり……」 「ねぇ、アルトリア。虫を見るような目で見られるのは慣れているけれど、可哀想なものを見るような目はやめてくれないかい?」 「まあ……どの道、今の彼は貴方との事を覚えていないのでしょう?きれいな思い出として取っておくのが一番いいのではないでしょうか……」 「なんでまとめ始めているんだい?!そもそも私は明確に手を出したわけではないんだけどな。……事情が事情だろう。彼は座に席があるわけではない。他の英霊たち、例えばキミであれば、ボクはいつかまたこうして話をする機会はあるかも知れない。あくまで可能性の話だけどね。けれども、彼はそれがあり得ない。だからボクは傍で出来るだけ長く――彼を眺めたかっただけなんだ、本当に」 マーリンにしては珍しく、殊勝な表情で殊勝なことを言う。 ベディヴィエールの気持ちは分からないが――少なくともマーリンは確かに彼のことを愛していた(或いは愛している)のだろうと、その様子を見てアルトリアは思ったのであった。 |