十二国記パロ1 ◇雑な設定 マーリン:麒麟 ベディヴィエール:隣の国の麒麟 アーサー:ベディヴィエールの王 アルトリア:マーリンの以前の王 トリスタン:マーリンの国の青年 王と麒麟の組み合わせはあみだくじで決めました。国名は決めてない。マーアル、アサベディ、トリイゾ(超捏造)、マーベディ辺り苦手な人は読まない方がいい。アーサーが別人過ぎてつらい。 これ書いた時は魔性の子まで読んだところだった。今は白銀の墟まで読み終わって丕緒の鳥読んでるところ。にわかです。設定をねじ曲げた部分と知らずにやらかしてる部分どちらもあると思うのでスルー出来る人奨励。 泰麒、好き。 ◆ ベディヴィエールの国とマーリンの国は青海に面する隣同士であるだけでなく、王都の位置もかなり近い。勿論、間には国土を隔てる高岫山(こうしゅうざん)を挟んでいるので、人が自力で往来するなら数週間は掛かる。だが翼を持つ騎獣さえ所持していれば、本当にひとっ飛びの距離である。 この二つの国が姉妹国と呼ばれるのは古来から互いの危機に親密に助け合ってきた様子から来ているとも、そもそも創世の十二王が姉妹同士であったからとも言われている。ただしどちらもそう言い伝えられているだけで文書等への記載は見当たらず、事実を確かめる術は無い。 ◇ 寝台から窓を眺めてみても、満天の星が散らばるばかりで朝日は兆しさえ認められなかった。ベディヴィエールを眠りの縁から引き上げたのは可愛らしい鳥の囀り声ではあったけれど、鳥が目覚めるには早すぎる時間帯である。 ベディヴィエールが身体を起こしても、鳥は逃げることなくそこにいた。鸞(らん)であると気付いて、納得する。鸞は銀の粒を報酬に、言伝てを仲介してくれる鳥である。本来は王にしか扱えないが――あの国は現在玉座が空いているから、どうやら『彼』が自由に用いているらしい。鸞は一羽ごとに尾羽の模様が異なるから、どこの国からの遣いであるかは容易に見分けられた。 人差し指を差し出すと、鸞は小さく翔き、ひょいと飛び移ってくれる。その後でベディヴィエールの機嫌を窺うかのように可愛らしく首を傾げたから、思わず和んでしまった。 「こんな時間まで偉いですね、ありがとうございます」 心からの労いの言葉を掛ける。ベディヴィエールの眠りを妨げたこの鳥だって『彼』に振り回される被害者だ。 指に鸞を停まらせたまま、文机へ移動して抽斗を引く。小箱に納めてある銀の粒をひとつ摘んで、鸞に与えた。 『――火急の用。参られたし』 短い伝言を終えると、鸞は嘴を閉じた。 ベディヴィエールはため息をつく。こんな時間にわざわざ飛ばしてきたにも関わらず、彼――もといマーリンはなんと要領の得ない言伝てをしたものか。直接話がしたいにしろ、折角鸞を飛ばすなら、先立ってもう少し状況を説明すればいいのに。銀粒とて決して安くはないのだから……などと言えば「麒麟の癖に相変わらず妙に所帯染みてるよねぇ、キミ」とマーリンは呆れるに違いないが、ベディヴィエールに言わせればマーリンの財布の紐が緩すぎるのだ。 並々ならぬ慈愛に溢れ、争いや血の穢れを嫌い、その一生は王と国の為に使い尽くされる神獣――麒麟。 ベディヴィエールとマーリンの正体は共にこの麒麟である。普段は王や民に合わせて人間の姿を取っているが、本来の姿は四足の獣だ。この世の生物の中で最も速いと言われる俊足を持ち、この姿になれば空を駆けることだって出来る。 朝一番に王に許可を取り、ベディヴィエールは日が高くなりつつある空を駆けた。ちょうど種蒔きを終えた時期であることが幸いした。官民一体となって畑を耕し、今は皆一斉に休息を取っている。これといって用事がない。 ベディヴィエールが転変した姿は、薄い白金色のたてがみと尾を持っている。どちらもかなりの長さだが、張りがあって真っ直ぐなそれが櫛を引っ掛けるようなことはまずないだろう。速度を上げて空を翔ける姿はまるで一筋の流星だと人々は誉めそやすが、ベディヴィエールに言わせれば麒麟としては普通である。……マーリンの華やかな転変を知っているので、比べて己はどうしても地味に思えてしまう。 しかして、マーリンからの的を得ない莫迦げた呼び出しにもこうして直ぐに向かえている一番の要因はアーサーの――ベディヴィエールの現在の王の気質である。 鸞に起こされてからの一連の流れを説明すると、アーサーは笑みを浮かべ「行ってきていいよ」とあっさり許可をくれた。今までのどの王が相手でも、ここまで迅速且つ寛大な判断は下されなかっただろう。また、マーリンの方も全て見越した上で呼び出しを掛けたに違いない。マーリンがベディヴィエールの窓辺にふと現れることは今までにも多々あったが、ベディヴィエールの方をこんな風に呼び出すようなことは一度もなかった。だが、アーサーならばきっと大丈夫だと踏んだのだろう。 仁重殿の欄干に着地させたのは四足の蹄ではなく、転化させた人間の爪先だった。訪問であれば門をくぐるのが通例……というよりも常識だが、マーリンがベディヴィエールの元を訪れる時はいつもこんな風に欄干から現れるので(しかも彼の場合、続きの間ではなく寝台のある部屋に直接やってくるのだからタチが悪い)、いつしかベディヴィエールもマーリンに関しては対応がぞんざいになってしまった。 背に括りつけてきた着物を纏い、軽く髪を整える。本人ばかりが全く気付いていないが、腰元まであるベディヴィエールの薄金の長髪は転変した姿にも負けない神々しい美しさを放っていた。 麒麟と言えども(或いは麒麟であればこそ)護衛や身の回りの世話をする者はそれなりの数を置いておくのが普通だが、マーリンは周囲に一切人を置かない。王の不在と相俟って、殿内は水を打ったように静まり返っていた。 ただし、マーリンは情報にとても敏い。千里眼でも得ているかのようだ。伝令なんて無くても、ベディヴィエールが到着したことにはもう気付いているに違いない。 そのを考えを肯定するかのように、ベディヴィエールが窓枠に腰掛けて暫く待っていると物音が聞こえてきた。 ……足音だと。疑うことなく初めは思った。 しかし不穏な様子にすぐに気付き、ベディヴィエールは全身の産毛を逆立てる。 ずるり、こつん……ずるり。刻一刻と近づいてくるのは、足のない化け物がゆっくりゆっくりと進んでいるかのような怪音だった。 息を詰めて、いつでも逃げられるようにとベディヴィエールは欄干へ足を掛け直す。転化や転変に障りがないよう、普段から留め具のない簡素な服を選んでいるので心配はない。耳をそばだてて、扉の向こう側へと意識を凝らす。 ぎ、ぎ、と軋んだ音を立てて薄く開いた扉の隙間からゆらりと揺れたのは、不吉を感じさせる一本の枯れ枝――のように見えたが、すぐ後に杖だと分かった。それに続いて大理石のように真っ白く筋張った男の指がぬらりと覗く。長い指は扉の縁をぐっと掴み、重たそうにこじ開ける。ここで一度、疲れ切ったため息が漏れ聞こえてきた。そうしてよろめきながらもやっとこさ現れたのは、憔悴しきった様子で杖を携えた、マーリンだった。 「…………来てくれてありがとう、ベディ」 掠れた声でやっと言うと、最早限界だとばかりにマーリンは床に倒れ込んだ。 ベディヴィエールは元から大きな瞳を更に大きく見開いて、マーリンの傍へ駆け付けた。身体を支え起こし、何とか近くの長椅子に掛けさせてやる。杖は後から拾って持たせてやった。麒麟は仙骨によって見た目より体重がかなり軽いが、それにしたってマーリンの体重はやたら心許なくて震えそうになった。 今や千五百歳を超える長命のベディヴィエールの歳がまだ一桁だった頃からマーリンとは交流を持っていた。人間でいうところのたった一人の肉親であるかのような感覚さえ抱いていたし『君は気付いていないだろうけど。あんまり親しげに接するから、マーリンにはたまに嫉妬してしまうよ』とアーサーから苦笑されたこともある。それでも――こんなにも弱った様子の彼を見るのはこれが初めてだった。 「一体どうしたのです、マーリン。病でも得たかのようなひどい顔色をしておいでです」 「今は単純に気分が悪いだけだけど、きっとそうなる。ボクは近い内に絶対に失道する。長い付き合いだったけどこれでお別れだ。最後にキミの顔が見られて良かった」 「本当に何なのですか、滅多なことを言うのはやめて下さい」 ベディヴィエールの尖った声を聞いたマーリンは「冗談だよ」とでも言いたげに微かに口元を緩ませたが、そんなに弱々しい表情では何の安心にもならなかった。病気なのだと言われた方が、いっそ納得も安心も出来ただろう。 長く仕えていた王が禅譲によって身罷って以来、マーリンはずっと気落ちしていた。表向きではいつも通りに飄々と振舞っていたけれど、空元気だとはベディヴィエールの目から見れば明らかだった。 前王の名はアルトリア。 長い髪を頭の後ろでぴっちりと編み込んだ愛らしくも凛々しい少女の外見をしていたが、実際にはマーリンと千年以上の時を連れ添っていた。 彼女はマーリンの実に十三番目の王であったという。アルトリアに巡り会うまでマーリンは王に恵まれず、かなり短い周期で王位が入れ替わっていた。 ――あの麒麟は使い物にならない。 安定しない国勢に、マーリンの目を見限って他国へ流れていった民も多い。 『自害してしまいたいとは思ったさ。でもさ、ベディ。キミなら分かると思うけど、別にボクが好みで王を決めているわけではないんだもの。自責の念に駆られても、ましてや自害なんてしても仕方がない。次の麒麟にこの荷を背負わせるくらいなら、やれるところまではボクがやろうと決めた。失道するか、この国に誰一人いなくなるまでやる。そう決めたら辛くなくなった。特に後者は悪くないっていうか――国の滅びを視るなんて、ちょっと面白そうだろう?』 『貴方、それでも麒麟ですか?』 『そうだとも。何ならキミより数百年ばかり長く麒麟をやっているよ』 どこからそんな気概が湧くのやら、あの時のマーリンは堂々と微笑んで見せたのだった。 ◇ 「とにかく何があったのか話して下さい。私に出来ることもあるかも知れません。いくらでも協力しますから」 幼子か老人を宥めるように優しく背中を撫でてやると、マーリンはぼそりと何事かを呟いた。 「…………、……」 「……聞こえません。もう一度、ハッキリと仰って下さい」 「…………新しい王をね、見つけたんだ」 「……。良かったじゃないですか」 「ちっとも良くない。だってあれは――トリスタンは、暗帝だ」 マーリンは訥々と語る。 長期に渡って考慮・実行されたアルトリアの統治は素晴らしく、国に未だ綻びはないように見えた。しかし崩壊とは隅から起こるものである。自らの足で定期的に、入念に国を見回っていた。 目立つ髪と顔を隠して、昨日は南の端の街角を歩いていた。田舎臭さは流石に否めないが、荒んでいる様子は見られない。そろそろ戻ろうかと思った時のことだった。 通りがかりの店から不意に野太い怒声が響いた。何事だろうかと見遣れば、店の中から火焔がまろび出た――と、一瞬錯覚した。炎と見間違えたのは、燃えるような赤い長髪であった。否応なしに人の視線を奪う、鮮やかで艶やかな赤毛だ。 「確かにうちの女房は美人だが、白昼堂々人前で口説くたぁ良い度胸だ!顔がいいからって調子に乗りやがって、二度とウチの店にくるな!」 暖簾から顔を出した店主らしき男は、道端に転がる赤毛を怒鳴りつけて店の中に引っ込んだ。赤毛もすぐに顔を上げて、負けじと店主に言い返す。 「私はご婦人の名の美しさや身のこなしは褒めましたが、容姿は褒めてはいない!女性は皆美しいが、イゾルデ以外は私にとって全員路傍の宝石だ!!」 ……貶したいのか褒めたいのかよく分からない。それがマーリンの素直な感想だった。 これ以上関わる気がないらしく、店主が店から再度出てくる様子はない。赤毛は暫く肩で荒く息をしていたが、やがて地面に片膝をつく。 ――立ち上がろうとする赤毛に、マーリンは手を差し伸べていた。 顔を隠していてよかった。麒麟だとバレなかったからではない。自分でも思いがけない行動をしたので、多分ひどく驚いた顔をしていたからだ。 赤毛は意外そうに眉を持ち上げたが、すぐに微笑を浮かべ直してマーリンの手を取った。そこで初めて、彼がやたらと端正な顔立ちをしていることに気が付いた。 「すみません、ありがとうございます」 「このくらい何でもないさ」 赤毛は服の土埃を祓い、軽く一礼してマーリンに背を向ける。 「イゾルデって、誰なんだい?」 何故そんなことを問いかけたのか自分でも分からなかった。ちぐはぐなことに、言葉が先に出て、思考は後から追いついた。奇妙な焦燥感があった。このままこの男と別れてはいけないと、頭の奥で誰かが囁くのだ。 「……美女に興味がおありですか?」 赤毛がそう解釈してくれたのは、もっけの幸いだった。 「男であれば誰しもそうだろう?」 「であれば諦めなさい。イゾルデは――去年死んだ、私の恋人です」 そこから何がどうなったのかよく覚えていないのは酒の所為だ。「同じ頃に私も大切な人を亡くしたんだ」と告白して、もっと話がしたいと適当な瓦子(酒を提供出来る飲食店のこと)へ誘い、互いに浴びるみたいに酒を呑んだ。財布が大分軽くなっていたので支払いは全てマーリンが済ませたらしいが、覚えはない。 「……あの、すみません。顔色が悪いのって、もしかして二日酔いなんですか?」 ベディヴィエールが訝しげに口を挟んだ。 「そ、それもあるけど、それだけじゃないとも!とにかく最後まで聞いておくれよ!」 朧な記憶の中でも赤毛の話したことはよく覚えていた。酔っ払ってはいたが、頭の片隅に物凄く冷静な自分がいた。彼の名はトリスタン。この国で生まれ育った青年だ。やたら整った顔で生まれてきた反動なのかあまり運に恵まれず、両親を早くに亡くし、子供時代の殆どを近所の家の居候として育った。屋根を与えて貰って文句は言えないが体のいい下働きである。散々いびり、しかもこき使っておきながら、奥方はトリスタンが年頃になると手の平を返して色目を使うようになった。そこまで付き合ってはいられない。ある日こっそりと家を出た。 持ち出した金が尽きるまで、とにかくなるべく遠くへ行った。どこにもいけなくなってからはあれこれと仕事を始めてみたものの、不幸体質から堅気の仕事はどうしても長続きしなかった。最終的には捨てられた楽器を修理して、楽士の真似事に落ち着いた。気ままなその日暮らしは不安定だが、トリスタンはそれなりに満足していた。 イゾルデが現れたのはそんな折だ。トリスタンの奏でる琴の音が気に入ったと言って、毎日毎日足を運んでくれた。身なりからしてあまり裕福な娘ではなさそうだった。初めの数日はお代にと硬貨を置いていったが、数日後には食べ物になり、最終的に花になった。……おかしな話だが、硬貨を貰うよりも花を貰った時の方が、ずっとずっと嬉しかった。 こんな胡乱な身の上では迷惑にしかならないと思ったが、玉砕覚悟で告白すると、イゾルデは一つ返事で頷いてくれた。 他人の目で見れば、彼女は煤けた頬をした貧しい田舎娘であったかも知れない。しかしトリスタンの目で見ると、日に透けると黄金色に輝いて見える産毛と生来の物だという新雪みたいな白い手が際立って美しい女性だった。 不運は変わらず定期的にトリスタンを襲ったが、イゾルデがいれば不幸ではなかった。彼女に話すことが増えた、くらいのほんの些事に思えた。 イゾルデが亡くなったのは付き合い始めて一年になろうかという日のこと。そろそろ結婚を視野に入れ始めた頃のことだった。原因は火事で、放火とも小火とも言われたが結局は分からない。それに最早どちらでもよかった。イゾルデが永遠に喪われた現実に変わりはない。髪の毛の一筋たりともトリスタンの手元には残らなかった。今や記憶の中にしか、彼女の面影はない。 死よりも重たく冷たい寂しさから、トリスタンは少しでもイゾルデに似た要素のある女性を見ると声を掛けずにはいられなくなった。顔だけは良いトリスタンに声を掛けられれば、独り身の女性であればきっと無邪気に喜んだことだろう。だが実際には何故か毎度夫のある女性……つまるところ人妻にばかりに声を掛けてしまい、あのような騒ぎになる。ろくな事にならないと大体分かってはいるのだが、どうしても話し掛けずにはいられないのだった。 「美人局に当たったことがない分、まだ幸運とも言えますがね」 「それはまた随分と消極的な幸運だ」 そんな会話をしたことは覚えている。 この時にはもう、彼が次の王であると気付いていた。 麒麟は慈悲深い生き物だと言われているが、マーリンに限って言えば全くそんなことはなかった。戦場には一度もついていかなかったが、それはアルトリアの力を信じていたことと、単に面倒臭かったのが半分ずつだ。 民は大事だ。だが、個人個人には何の感情も無かった。豊作に沸き立つ群衆を眺めてみても、よく育ったかぼちゃ畑の真ん中に突っ立っているような奇妙な心地がするだけだった。満足感や充実感はそれなりにあるが、逆に言えばそれだけである。共感なんてものは一切なかった。 しかし王を前にした時だけは違った。個がしっかりと認識出来る。群像の中の何かではなく一人の対等たる存在として話が出来たし、時には共感さえ出来た。アルトリアもその前の王達も、マーリンは集団の中から「個」を認識することで選び出した。 その感覚を、昨日久々に思い出した。 トリスタンは、王の器なのだ。 彼が悪い人間でないことは、少し話しただけでもよく分かった。心根が優しく、人の感情を繊細に汲むことが出来る。数々の不幸に行き当たりながらも心が挫けることはなく、戦うべき時にはちゃんと戦える。 悪くない。人間性は悪くない。だからこそ返って辛いことに――――彼は天運に見放されすぎている。 統治者にとって運はある意味最も重要な要素と言える。だが、それが彼には絶対的に欠けている。憂き目に遭うのが彼一人である今の内はまだいい。しかし彼が頂点に立てば、不幸は人々にまで波及するかも知れないのだ。 アルトリアに会う前であればそれでも別に構わなかった。王の器だと気付いた時点で、マーリンはさっさとトリスタンに頭を垂れていただろう。場所が酒臭い瓦子、互いにべろべろに酔っ払っていようともだ。 そうしなかったのは嫌だと思ってしまったからだ。アルトリアが千年掛けて作ったこの国を、他者がぶち壊すところを見たくない。 『ねえ、トリスタン。もしキミが王になったとしたら、まず最初に何をする?』 『そうですね、とりあえず王宮に見目麗しい美女を千人程集めましょうか。心を慰めてくれる楽士も千人ほど』 酔口とはいえそんな会話をしたことをこのタイミングで思い出してしまい、頭を抱えた。 「あ゛ーーーーーー!やだやだやだやだ絶対に嫌だ!!!!あんな男に滅ぼされるくらいならこのまま誰も玉座に就けずこの手でこの国を滅ぼした方がまだマシだ!!」 「千年王国を築いた貴方には理解し難いかも知れませんが、玉座とはいつかは入れ替わるものですよ?」 「頭ではそのくらい理解しているとも!でも心がついていかないんだよ!」 こんなに取り乱すマーリンを見るのも、今回が初めてだった。 ベディヴィエールは目を伏せた。眉間に皺を寄せた難しい顔で何事かを考え始め、目を閉じたままで口を開いた。 「……マーリン。貴方はきっと、アルトリア前王が禅譲に至った理由を聞かされていませんね?」 アルトリアの名に反応して、マーリンは弾かれたように顔を上げる。 「……長く統治しすぎた、とは言っていたけれど」 「ある意味ではそうなのでしょうね。アルトリア王は――彼女は、マーリンに恋をしてしまったが故にもう玉座にはいられないと、私に仰いました」 ベディヴィエールは瞳を開けていた。優しい深緑の瞳が、真っ直ぐにマーリンを映している。 「特に口止めはされませんでした。でも、貴方に話せなかったからこそ私に話したのだと思いました。だから本当は伝える気はありませんでした」 『禅上』即ち王位を自ら天に返還することは、王にとって結局のところ死を意味する。 それでもアルトリアは、恋したマーリンと共に国を統治していくことではなく、命を含めた一切を手放すことを選択した。 『恋心とは一度気付いてしまえばもう今まで通りにはいかないものだ。平静に見えるだろうが、その実私は今も心を無理やりに抑え込んでいる。……とても、苦しい。このまま統治を続ければ私はいつか民の為にならないことを仕出かし始めるだろう。そうなる前に立ち去りたい。そう思っての選択だが……ベディヴィエール。やはり、私は無責任だろうか?』 『いいえ、ちっとも。貴女は長すぎる時を国に捧げてきました。幕引きくらい、ただ一人の人間として行うのもよろしいかと存じます』 『……やはり、貴方に相談してよかった。とても気が楽になった。勿論、出来るだけの準備を整えてから逝くつもりだ。次にどんな王が来るかは分からないが、どんな愚物が来ようともこの先百年は皆が食うに困らぬようにしたい』 『ええ、貴女であれば、それも可能でしょう』 『それでも、もしもこの先マーリンが何かに迷うことがあれば……その時は……ベディヴィエール、どうか貴方に、彼の相談に乗ってやって欲しいのだが……』 政治に関してはいつでもキッパリと発言してきたアルトリアが、こんな事でもごもごと言葉を濁したから、ベディヴィエールは思わず微笑んでしまった。 彼女は心から、彼のことを愛しているのだ。 『ご心配召されずとも無論そのつもりですよ』 『……感謝します。心から――本当にありがとう、ベディヴィエール。貴方が隣国にいてくれてよかった』 柔らかな笑みを浮かべた隣国の王を。いや、隣国の少女の姿を、ベディヴィエールは死する瞬間まで忘れはしないだろう。 * 「いや……うん……なんて言うか……。アーサー。キミ、自分が王だっていう自覚はある?」 「何とでも。僕を王に選んだのは他ならぬベディヴィエールだ」 夕暮れに差し掛かると、騎獣に乗って隣国からアーサー王その人がやってきた。 ベディヴィエールと同じように欄干に乗り付けた挙句「ベディヴィエールの帰りが遅くなりそうだったから迎えに来た」などと堂々たる方便を使ったから呆れてしまう。今の時刻に着いたということは、昼餉を食べてすぐ王宮を出ている計算だ。よもや午前の内にベディヴィエールを帰して欲しかったわけでもあるまい(いや、この過保護な王であれば有り得ないわけでもないが……)。 「ちゃんと替え玉は置いてきたよ。河原の藁で拵えた僕の等身大の人形だ。欄干の椅子に立て掛けておいた。外をぼんやり眺めて見えるようにね」 「……自分で作ったのかい、その人形?」 「自分で作らなきゃバレてしまうだろう?」 しれっとしているアーサーに、ベディヴィエールは顔を真っ赤にして「貴方というお方は、もうっ!」と怒る素振りを見せてはいた。だが仕方がない思っているというか、アーサーのそんなところも割りと好ましく思っているのが何となく分かったので特に仲裁はしないことにした。第一、別にマーリンが嘴を挟むまでもなく、アーサーは「まあまあ」と言いながらベディヴィエールの肩を軽く叩いて宥めている。何がまあまあだとは言いたくなるが、アーサーの表情や動作は王気と呼ぶしかない満面の自信と気品で充ちていて、どうにも毒気を抜かれてしまう。皆こんな風に絆されて、彼のやることを「王であるのだから仕方ない」と許してしまうのだろう。 「あーあ、彼にもキミの半分くらいの覇気があったなら、ボクもこんなに悩まずに済んだのに」 「彼って誰だい、マーリン?」 「昨日見つけた、この国の新たな王だよ。整った顔と体格、燃えるような赤毛は悪くないんだけど、如何せん頼りなさすぎて」 マーリンのぼやきに、アーサーは「あ」と間の抜けた声を出した。騎獣を振り返る彼の首の動きに合わせてマーリンとベディヴィエールも視線をそちらに動かす。……翼の生えた獅子に似たアーサーの立派な騎獣の背から、微妙に申し訳なさそうに、あの燃えるような赤毛が頭を出した。 「崖から落ちかけているところを拾ったんだ。マーリンを訪ねたかったんだけど、道に迷ってしまったんだって。いやぁ、ベディヴィエールの顔を見たら、彼のことなんてすっかり頭から吹き飛んでしまった」 「過保護って言うかキミ、ベディのこと普通に好き過ぎない?!?!」 「うん、好きだよ」 あっけらかんとアーサーが言う。 『好き』の意味が噛み合っているかどうかは、面倒臭いので確認しないでおいた。 余談だが、王は結婚することは出来ない。 ◇ 突発的に三人もの客人を泊める羽目になってしまったが、アルトリアが去ってから火が消えたようだった王宮に久しぶりに笑い声が戻り、女官たちもむしろ嬉しそうにしていた。 どうやら馬が合ったらしく、トリスタンとベディヴィエールはあっという間に仲良くなった。初対面とは思えない、寄り添うが如く至近距離で彼らが竪琴を鳴らしている姿を、アーサーとマーリンは少し遠くから見守っている。 「嫉妬するかい?」 小声でそっと、アーサーに問いかけてみた。 「……トリスタンに?いいや、別に。彼は君の王だろう。そしてベディヴィエールは僕の麒麟だ」 「まだ王ではないさ。誓いを立てていない」 「トリスタンも、王としてそんなに悪くないと思うけれどな。ベディヴィエールもあんなに懐いているし」 「悪くない、ベディヴィエールが懐いている。王の基準としては、どちらもどうかと思うけどな」 「でも何事もやってみなければ分からないだろう?立派な人物に見えたけど、いざ王をやらせてみたら全然駄目だったなんてざらにある話だ。その為に麒麟や臣下がいる。僕だって、何もかも一人でやれって言われていたら、こんなに上手くいってないよ。皆に支えてもらって何とかやっていけている。特にベディヴィエールは可愛いし賢いし気が利くしひたむきだし可愛い。文句なしだ」 ……「可愛い」が重複しているのは果たして天然なのか、わざとなのか。 「結構良い事言ってるのに、物凄く私情を感じるから素直に頷けないんだよなぁ」 「現実に平等でない扱いをすれば不平が出る。それは当然だから努力はしている。でも心の中で勝手に思うことにまで文句は言わせない。王だって人間だ。嫌いも好きもある。僕は理想と現実から目を背けずにやっているつもりだけど……マーリン、君の目から見たら僕は間違った王に見えるかい?」 「それを決めるのはボクではない。そして少なくとも大きな間違いでないことはキミの国が証明しているね」 反動をつけて、マーリンは勢いよく椅子から立ち上がった。迷いなく足を進める先にいるのはベディヴィエール……ではなくトリスタンだ。毛足の長い絨毯に直に座ってベディヴィエールと弦を弾いていた彼の前に、マーリンは両膝をついた。意図を察したベディヴィエールが柔らかく微笑むのが視界の端に微かに映る。 投げ出されているトリスタンの足の甲に額づき、マーリンは口を開いた。 「――天命をもって主上にお迎えする。御前を離れず、詔命に背かず、忠誠を誓うと、誓約申し上げる」 |