理想郷に咲く花は気に留めるまでもない平凡なもののようでいて、よく観察してみると見知っているどれにも全く当てはまらない。騙された気さえしてしまうが、全然知らない花なのだった。 「アヴァロンは地表と比べるとかなりマナが濃い。例えるならここの花は月面に咲いているようなものなんだよ。形状は似てるけど生態はまるで違っていて……ちょうど私とキミみたいなものだね。かつては地表にもこんな風に咲いていたのだろうし、その時にはちゃんと名前もあったんだろうけど、今となっては誰も知らない花だ。私か、或いはキミが名前でもつけない限り、特に名称はないよ」と、マーリンは語った。 「……では、今ここにいる私たちも、また月にいるようなものなのでしょうか?」 「当たらずとも遠からじかな。何たってここは星の内側だもの」 ◆ 今日も昨日と変わりなく、何事もなければ明日もきれいに咲いていただろう花を一輪手折った。長くここで暮らしているけれど、花を手折ったのはこれが初めてだ。それは別に可哀想だからなんて感傷的な理由からではなく、見渡す限りの一面に、しかも永遠に狂い咲いている花を敢えて手元に置くことに意味が見いだせなかったからだ。 「まぁ。マーリンが花を摘んだわよ」「外に女が出来たのかしら」「ねぇねぇ、こっちの花の方がきれいよ」「あら、あっちの方の花がいいわよ」「告白かプロポーズが知らないけれど、上手くやりなさいよね」 華やかな話題をこよなく愛する妖精達は、マーリンの奇行を勝手に恋に結びつけて姦しく騒ぐ。 「ははは、キミたちには敵わないなぁ」 マーリンは緩く微笑む。ひらひら、きらきらと中空を舞う彼女たちに案内されるがまま花を摘んでいる内に、一抱えの可愛らしい花束が出来上がっていた。 * カルデアの廊下にひっそりと残る甘やかな香りの意味を正しく理解した者は少なかった。そもそも香りなんて気に留めない者が多数だったし、もし気に留めた者がいたとしても「誰の香水だろう?」と首を傾げるだけだった。 しかし、小さい方のメドゥーサだけは違った。くんくんと犬のように何度か鼻を鳴らして、どうやら間違いはないようだと確信すると――さながらカメムシの臭気でも嗅いだかのように思い切り眉を顰めた。とはいえそれも一瞬だ。賢い彼女は何も気付かなかったことにして足早にその場を立ち去って、その日はもう自室から一歩も出なかった。触らぬグランドキャスターに祟りなしである。 自室に戻ってきたベディヴィエールも、また扉の前に仄かに漂う残り香の意味に気付いた一人だった。……アヴァロンの、花の香だ。きょろきょろと辺りを見回してみたけれど、思い描いた人物はどうやら近くにはいないらしい。 元々幽かだったそれはそうこうしている内に完全に空気に解けてしまい、もしかしたら気の所為だったかも知れないな、と気を取り直して自室のドアを開けたところ――花の香が、言い逃れできないほど濃厚に拡がった。 「おかえりベディヴィエール」 「失礼いたしました」 「ええええ?!ここキミの部屋だよ?!なんで出て行くんだい?!」 「……部屋間違えたかと思ったじゃないですか。紛らわしいことをしないで下さい」 ちゃんとおかえりって言ったのに!とマーリンは口を尖らせたけれど、そんなことは問題ではない。いるはずのない人物が当たり前の顔で、というよりもこれ以上なく寛いだ様子でベッドに寝転んでいては勘違いだってする。……トリスタンは時々寝てるけどそれは話が別だ。トリスタンはカルデアの召喚を受けているが、マーリンはカルデアの召喚を受けていない。 反動をつけて起き上がったマーリンは、ベッドの端に寄って一人分のスペースを開けた。ここに来いと言わんばかりに、ぽんぽんとシーツを叩いてみせる。ベディヴィエールがそれよりも少し距離を空けて座ったのは、マーリンは根本的に信用出来ないからである。 「……それは花束ですか?」 サイドテーブルの上に置いてある存在感抜群のそれに言及すると、マーリンはにんまりと満足そうに笑った。甘やかな香りを放つ花々は薄緑色のラッピングペーパーとセロファンで包まれ、黒い細リボンでひとつに纏められている。 「そう。妖精たちも作るのを手伝ってくれたんだ。キレイだろう?」 「ええ。きっと王もお喜びになることでしょう」 ベディヴィエールはにこりと笑んだが、マーリンは逆立ちする亀でも見たかのような奇妙な顔をした。 「何故ここでアルトリアが出てくるんだい?」 「……え?『やらかした詫びに花束をこしらえてきたけど、直接渡すのは流石に気まずいんだ。ベディヴィエール卿の方から王に渡しておいてくれたまえよ。勿論、適当な謝罪の言葉を付け加えてね☆』ということではないのですか?何をやらかしたかまでは知りませんが」 「なるほど一応の筋は通っているね。でも違う。これはキミにあげようと思って私が作ったんだ。一輪一輪、手ずから摘んでね」 「……何故?」 「心外だなぁ。こう見えて私だって一応、キミにはちょっと悪いことしたなと思ってはいるんだよ?」 「だからって、男が男相手に手摘みの花束ですか……」 「ふっふっふ、いじらしいだろう?お陰で今、かなり腰が痛くてね」 「で、先程まで横になっていたと。……随分とお暇なようで」 軽く悪態を吐きながらもベディヴィエールは小さく笑みを零した。あのマーリンが腰を屈めながら花摘みをしただなんて、考えるだけで可笑しい。 ――その一瞬の隙を突いて。マーリンはベディヴィエールの耳上に花を一輪、するりと挿し込んだ。……こういう手馴れた動作をいとも容易くやってのけるから、ベディヴィエールはマーリンへの警戒心が中々解けないのだというのに。 「いやいや、こう見えて私は意外と忙しいんだぞぅ。でもキミの笑顔が見られたんだ、忙中の老骨に鞭を打った甲斐があったってものだよ」 こちらの心情など理解しないマーリンは、そう言って満足そうに笑ったのだった。 * 「ところでマーリン。この部屋には花瓶は無いのですが?」 「なら私にねだればいいじゃないか。ほら、可愛くおねだりしてごらん?すぐに出してあげるよ?」 「すぐにそういう物言いをする。死んでも嫌です」 「大げさだなぁ、死ぬよりはいいだろう?……あ。そういえばキミは一度もう死んでいるんだった。もしかして今のってサーヴァントジョークだった?いやぁ、気付かなくてすまなかったね」 「貴方暫く帰る気ありませんね?やっぱり暇なんじゃないですか。……全く。お茶淹れますから待ってて下さい。あと、」 「あと?」 「この花はやはり美しいですし、香りもいいですし……少し、懐かしいですし。わざわざ摘んできて下さって、ありがとうございました」 「……ベディヴィエールっ!!」 「なっ、懐かないで下さい!……あの、マーリン。ちょっと!貴方どこを触ってるんです?!だから、今から、お茶を淹れると言っ」 手記はここで途切れている。 |