十二国記パロ1のマーリンとベディの前日譚です。



十二国記パロ2



何番目の王だったか忘れたけれど、とにかくその御方はひどく独裁的な人物だった。麒麟の意見など不要とし、会議に呼びもしなかったのでマーリンは本当にやることがなかった。しかし嘆いたところで仕方がないと、毎日その辺をふらふら散歩して気ままに時間を潰していた頃のことだった。
『新しい麒麟が転化を行わぬのです』
女仙からの連絡に記憶を探った。麒麟が転化を始めるのは四、五歳頃。卵果が孵ったと聞いたのは確か七年前のことだから、やや遅くはある。麒麟は基本的に不死の存在ゆえに、マーリンとしてはたかが数年程度の誤差で騒ぐ必要はないと思えたが、女仙たちにそんなことを言える筈もない。
蓬山へ出向いてやることにはしたけれど、別に慈悲や義務感からの行動ではなかった。暇を持て余していたところに手頃な船がやってきたから乗った。それだけの話だ。
昇山の許可を得るべく王の元へ出向いたところ、続きの間でほぼ丸一日待たされた。ある程度予想していたので暇潰しに本を持ってきてはいたが、昼寝を挟んで二周目に突入した。己は余程、王から煙たがられているらしい。政治に口を挟むのもあるが何よりその目が気に食わないと、以前直接言われたことがある。
『麒麟は慈悲深い生き物だと聞いていたがとんでもない。その冷え切った目を見れば分かる。お前の本性は妖魔のそれだ』
否定はしなかった。真実だったからだ。

王とのやり取りは形式的な挨拶を除けば、
「蓬山へ参ってもよろしいでしょうか」
「死ぬまでいても別に構わん」
という二言だけで終わった。王はマーリンの語尾に言葉を被せてきたから「ほんの数日ほどです」という説明は成されずに終わった。
「死ぬとは私の事でしょうか?それとも御前のことで?」と訊いてやろうかと思ったが時間の無駄なので、寛大なる御心への感謝の言葉と一礼を捧げて帰ってきた。不死の身ではあるが気の合わない者に割く時間は惜しい。もう日は傾いていたが翌朝を待たず、その足でさっさと蓬山へ向かった。深夜の来訪に仙女たちはどよめいたが、咎めることはなく一室をあてがってくれた。

一応、用事を済ませ次第なるべく早く帰るつもりではいた。仮にも麒麟の身の上である。情は大してないが、国や民草を大切だと感じないわけでもない。
その気持ちが僅かなりとも揺らいだのは翌朝のことで、身捨木の下で寛ぐ美しく稚い銀麒麟の姿を見た時だった。
細長い脚と首をしなやかに曲げて、その子は健やかに眠っていた。傍では見た目では殆ど葦毛の馬と変わらない姿をした女怪がこちらをじっと観察している。微笑みかけてやると女怪の右耳がちょっと動いたが、何せ表情が無いので何を思ったかは推測できなかった。
木漏れ日が注いで彼らの体表は一秒ごとに煌めき方を複雑に変える。静かで、安らかな光景だった。神聖な絵を眺めているようだった。まるで泥に塗れて腫れた目を冷たいきれいな水で洗い流されたような心地がした。そういえばここ最近、澱んだ厭なものばかりを目に映していたことに気付かされる。
「この子が件の麒麟です。名前はベディヴィエール」
難しい響きだが、姿通りの美しい名だ。忘れてしまわないよう、一度口の中で音韻を繰り返して確かめた。
話し声に気付いたらしく、ベディヴィエールが首を持ち上げた。四つ足で立ち、尻尾で軽く身体の土を掃ってこちらに歩いてくる。女怪はベディヴィエールのすぐ後ろを影のようについてきた。
彼は白銀の塊を彫って作り上げたような、本当に銀一色の麒麟なのだと分かった。まだ柔らかそうな小さな角、癖のない真っ直ぐなたてがみ、蹄の先端まで全てが同色の銀色だった。その中で唯一瞳だけが、森の奥を覗いたような深い緑色をしている。やがてほんの至近距離まで近付くとベディヴィエールの体表は実は銀色ではなく、ごくごく薄い白金色なのだと分かったが、その後も遠目だとやはり完全なる銀一色にしか見えなかった。
「美しいね」
思わず呟くと、
「貴方こそ、淡雪で作り上げたような美しい姿をしているのに」と女仙は可笑しそうに笑った。
ベディヴィエールが鼻先を向けてきたので、屈んで目の高さを揃える。そっと首筋に伸ばされたマーリンの手を彼は全く拒まない。大人しく撫でられるがまま、子供らしい旺盛な好奇心でマーリンをじいっと見ている。
「おはよう。そしてこんにちは。ボクはマーリン。キミと同じ麒麟だよ、ベディヴィエール」



マーリンは転化した姿(人間の姿。転変は麒麟の姿)でベディヴィエールと接していたが、それでもベディヴィエールはマーリンが女仙達とはまた違う存在なのだと正しく理解している様子だった。やってきたばかりのマーリンによく懐き、歩く足元にするりとまとわりついてきては苦笑させた。
三日三晩を過ごしてみて、ベディヴィエールが転変を行わない原因は何となく分かってきた。そもそものんびりした気の長い性格をしていること、それから一番身近にいる女怪がほぼ馬に等しい形をしていることだ。彼は転化出来ないのではなく、必要、或いは興味がないからしないだけなのだ。人の言葉は理解しているし、使令も複数従えている。転化の件を除けばかなり優秀だと言えたし、マーリンがいなくてもその問題は自然に解決するだろう。そう分かったが、マーリンは蓬山に残り続けることにした。
国に帰るのが嫌になってしまったわけではない。ベディヴィエールが一体どんな人型を取るのか、一目見てみたくなったのだ。

麒麟であるベディヴィエールは幼いながら脚がとても速く、彼の後を追いかける女怪は大変そうだった。やんちゃ故に夢中になると、女怪の存在を失してしまうらしい。気が付けばちゃんと立ち止まって、追いつくのを待ってくれるのだけれど。女怪は入り混じる獣の数が多いほど良い女怪と言われるが、複数が混じっていた方があらゆる事態に対応出来て良いということなのだろう。馬の脚で麒麟を追うのは中々難しい。
今日のベディヴィエールは複数の使令を伴って黄海へ向かおうとしているらしいのだが、はしゃいでまたもや自分の脚の速さを忘れているらしかった。女怪どこか他の使令も追いつけず、ほぼほぼ独走しているような有様だ。
マーリンは転変し、四足の姿でその背を追った。同じ麒麟の姿であれば成獣であるマーリンの方がずっと脚が早い。あっという間にベディヴィエールの前に回り込んで足を止めさせた。初めて見せる麒麟の姿にベディヴィエールがやや困惑しているようだったので、怖がらせないよう「ボクだよ。マーリンおにいさんだ」と茶目っ気たっぷりに呼び掛けて、一歩一歩ゆっくりと距離を詰める。
女仙がいつか語った、淡雪で作り上げたような真っ白なマーリンの姿は光を受けると虹色にきらきらときらめいた。ベディヴィエールのたてがみは真っ直ぐだが、マーリンのそれはふわふわしていて、柔らかそうで、はっきりしない輪郭がその姿を夢のように儚く見せる。雪の間から覗く、春先の花の芽のような瞳の色は明るい紫。角は濡らして研いだ水晶石のように透明だ。

……触ってみたい。

そう思ったので、ベディヴィエールは手を伸ばした。
そう、それは正しく――「手」だった。
触れたか触れないかも定かではないようなマーリンのふわふわの柔毛が、ベディヴィエールの「手」の最初の触覚となった。それはいつまでも撫でていたいようなとても素敵な触り心地だったけれど、ぬらりとした己の腕そのものに驚いて、ベディヴィエールはぱっとすぐに手を離した。
手の平を握って、開いて、しげしげと眺める。見慣れない、とても自分の体の形だとは思えないそれはでも確かにベディヴィエールの意志通りに自由に動かせる。
「ベディヴィエール、」
マーリンに呼ばれて顔を上げた。その際に裸の肩先からさらりと髪が流れ落ちて、ほんの少しくすぐったかった。
「初めて発声するにはキミの名前は少し難しいね。ボクの名前を呼んでごらん。マーリン、って」
「……ま……、……?」
「『り』はね、上の歯の裏に舌先をつけて、弾くみたいに音を出す」
「まーり、ん。…………マーリン?」
「そう、上手だよ。……最初の部分だけ取って『ベディ』ならいくらか言いやすいかな?ちょっと言ってみてごらん」
「べ、……でぃ。ベディ。」
「うん。キミはとても賢いね、ベディ」

なめらかな手足、艶やかな銀色の長い髪。賢そうな顔立ちだし、深緑色の瞳は大きくて素晴らしく美しいのに――どことなく野暮ったくて庇護欲をそそる親しみのある全体像は、正しくこの子に相応しいと思えた。
やっとこさ追いついてきた女怪が、喜びのあまりに大粒の涙を流しながらベディヴィエールに頬擦りをした。四つ足である彼女に代わって、ベディヴィエールが腕を伸ばしてその首を抱く。
……彼女の脚がもう少し遅かったら、先にマーリンがベディヴィエールを抱きしめてひどく怒られていたかも知れない。

思い描いていた通り、ベディヴィエールは転化した姿も非常に清らかで愛らしかった。
その可憐な唇から紡がれた初めての言葉が己の名であることに、マーリンは深い満足を覚えていた。



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