冬、アフターバレンタイン、慟哭 ◇ 爆笑する真依たちを責めている内にメカ丸はどこかへ行ってしまったから、バレンタインにチョコではなく電池を渡してしまったことは謝れなかった。 別に、メカ丸に怒っている様子はない。休み時間にはあっちから話しかけてきてくれたし。 でもなんていうかケジメとしてきちんと謝っておきたかった。メカ丸は優しい。それをよく知ってる。だからこそ、彼に甘えてうやむやにはしたくなかった。 皆の前で切り出すのは流石に気が引けるから、謝るのは放課後にしようと先に決めた。……とはいえ放課後には学長のお付きの仕事があるから、更にその後で。 「今日はもう上がっていい」なんて学長、都合よく言ってくれないかな〜と期待したけれど、そんな漫画みたいな展開にはやっぱりならなくて、校舎を出る時にはもう空はすっかり暗くなっていた。毎月ちょっとした額を口座に振り込んでもらってるからいいけれど、そうじゃなかったらやさぐれてしまっているところだ。 スーツの上からコートを羽織って、更にマフラーを巻く。手袋はいいやと、ポケットに手を突っ込んで小走りで寮に戻る。ただし行先は女子寮の自分の部屋じゃない。女子寮の隣に建っている男子寮のメカ丸の部屋だ。 「メカ丸、いる〜?」 本当はノックをするべきなのだろう。でも弟たちの部屋に入る時みたいな感覚でドアを開けてしまってもメカ丸は怒らない。本当の彼は全く別の場所にいるのだから、そんなものなのかも知れない。 「……なんダ?」 タイムラグを挟んで、長椅子に足を組んで座っていたメカ丸が顔を上げた。今までスイッチをオフにしていたけれど、私の声を聞いてオンにしてくれたのだろう。 「昨日のことちゃんと謝りたくて、来ちゃった。おかしなもの渡そうとしちゃって本当にごめんね」 長椅子の前まで行ってぺこりと頭を下げる。メカ丸はちょっと慌てたみたいで、胸の前で手をあわあわと無意味に動かした。 「謝るナ。俺は全然、気にしてなイ」 「……本当に?」 「気持ちだけで十分ダ。そもそも今まで誰かに物を貰ったことがなイ」 やっぱりちゃんとした物をあげればよかったという思いが、余計に募る。 「メカ丸って甘いもの平気なんですか?チョコレートとクッキーだったらどっちが好き?バレンタイン過ぎちゃったけど、今度何か作りますよ」 「ありがとウ。でも本当ニ、気持ちだけでイイ」 「…………。そうですか」 この時にもう一歩だけ踏み込む勇気があったならと今でも思う。 あんまりしつこくしても迷惑かな。まあ来年もあるし、今年はいいか。来年にはメカ丸とももうちょっと仲良くなってるかもだし。――なんて、思ってしまったのだ。 来年は無いかも知れない。そんなこと、この頃の私には想像さえ出来なかった。 ◆ 「ねぇメカ丸。その代わりにってわけじゃないんだけど、ちょっとだけお喋りしていってもいいですか?」 「構わなイ。時間ならたくさんあル。……ここに座ってイイ」 そう言ってわざわざ少し詰めてやったのに、三輪は「ありがとうございます」と言うなり、お互いの体が触れ合いそうな距離にすとんと座ってきたから動揺した。男と見られていないからこそ、この距離感なんだろうけど。 「前から気になってたんですけど、メカ丸って名前は本名ではないですよね?」 「…………そうだナ」 「人に名前を知られてはいけない縛りとか、そういう……」 「縛りはなイ。だが、メカ丸で良イ。本名はあまり好きじゃなイ」 「どうして?」 「全然似合ってないかラ」 「もしかしてキラキラネーム……」 真面目な顔でそんなことを言うからちょっと笑いそうになってしまった。彼女のこういう感性が本当に好きだ。 「そういうのではなイ」 「そっか。……でも、ちゃんといるんですよね。このメカ丸の向こう側に、人間の男の子のメカ丸が」 三輪は腰を浮かせて、呪骸のアイカメラをじいっと覗き込んできた。間違ってキスでもしてしまいそうな距離に、幸吉はたじろぐ。 でも、それは最初だけだった。彼女の大きくて澄んだ瞳に覗き込まれると――本当の姿を見透かされてしまいそうで、少し、怖くなった。 皮が剥がれ、所々で赤い肉がむき出しになっていて、何度包帯を交換してもまたすぐに滲んだ血で汚れてしまう、異形の相。見せられるわけがない姿だ。多少不気味な外見をしていても、メカ丸の姿の方が何倍もマシである。 居た堪れなくなって目を逸らそうとしたその時に、ふふ、と三輪が楽しげな笑い声をたてた。そして右手を蝶々のようにひらひらと、呪骸のアイカメラに向かって振る。 「初めまして、私は三輪霞。好きな食べ物は鍋です」 「…………今更、どうしタ?」 「今のは『メカ丸の向こう側のメカ丸』への挨拶だから、初めてましてなんです」 ――そこのあなたですよ。あなた。 見えない筈の与幸吉を指さして、彼女ははにかむように微笑んだ。 ◆ 「それじゃ私は部屋に戻りますね。おやすみメカ丸、また明日」 「……オヤスミ」 ドアが閉められるのを待って、呪骸をオフモードにした。 「――そこのあなたですよ。あなた」と、優しく呼びかける声が耳から離れない。目を閉じれば……いや、閉じるまでもない。指をさして微笑む三輪の姿が脳裏に焼き付いて離れない。瞼の上げ下げなんて最早、関係がなかった。 目が熱い。涙が止まらない。幸吉の顔を覆っている包帯はびしょ濡れだ。ぼたぼた、ぼたぼたと溢れ出る涙は治療用浴槽に雨粒のように落ちていく。涙に融かされて、両目まで溶け落ちてしまうのではないかと思える激しさだった。 たくさんのものを諦めて生きてきた。叶わなすぎて、諦めすぎた。そうか、願わなければ、裏切られることも悲しむことも無いのだと、そう気付いた時に頭の中の涙の回路を切った。涙は使わない物、使っても意味がない物、必要のない物。だから無くなれと、放り棄てた気でいた。涙なんて涸れたとばかり思っていた。 だから今。泣き止み方どころか泣き方さえ分からなくて、困った。食いしばった歯の隙間からは手負いの獣じみた異様な嗚咽。泣くとは、望むとは、願うとは、こんなにも無様なことだったろうか。 ――五体満足な身体が欲しい。一人の人間として彼女の隣に立ちたい。その為なら悪魔と取り引きしたって構わない。世界を犠牲にしたっていい。何が起こっても、どんな世界になっても、自分の足で立って彼女のすぐ隣にいられれば、彼女だけは守り抜けるのだから。少年はそう夢見て、泣いた。 |