02.霧曇る笑顔

 相澤は音を立てぬよう壁に背をつけ、ちらりと正面に見える倉庫に目をやった。あたりを漂う霧がまるで道を作るように晴れ、その道の終わり、屋根の上では海風を受けて立つ彼女が長い髪をなびかせながら黒い銃身を手に遠くを見つめていた。親指と中指、人差し指をスッと立てて見せると手を銃のような形に構え、最後に人差し指を立てて、後には相澤には目もくれず対象が居ると思しき場所を睨みつけている。落ち着いたもんだ。と相澤は一人頭の中で感心しながら彼女から視線を外す。

「相手は3人、銃が1丁でいいのか。インカムがあるだろ、使えるもんは使え」

 耳の後ろにあたるようにつけていた骨伝導のイヤホンを押さえながら言うと、プツ、という音とともに彼女の落ち着いた声が相澤の耳に響いた。

「ごめんなさい。インカムの存在を忘れてた。対象3人銃1丁」

 まだデビューして間もないというのに、気負いも感じさせぬその様子は、軍役についていたという経歴ならではなのだろう。こうして時折ミスを指摘してやる必要はあれど、それ以外での動きは申し分ない。

『チャカ持ち相手なら無理はせず…それとも確保できそうですか』

 協力要請者である警察からの通信を受けて相澤が屋根の上に視線を移すと、髪をまとめながら彼女が親指を立てた。口元は笑っており余裕すら感じさせるその様子はいささか緊張感に欠けるが、緊張で固まる新人よりは安心できそうだ。

「なんとかなるでしょう。拘束します。ケットシー、援護は頼む」

「はい。安全に近づくための準備をするから20秒だけまって」

 端的な返事を最後に通信が途絶え、あたりを漂う霧がまるで意思を持った何かのようにふわりと相澤の周りから退いた。個性で出来た霧は彼女の意思で操れるのだと聞いていたが、そうでなければちょっとした怪奇現象に見えるだろう。

「問題点は敬語だけ、だな」

一人口の端を上げて笑うと、相澤は漂う霧の中で朧に光る月を眺めながら、ゆっくりと数を数え始めた。


「お願いですから話を聞いてください…!ちょ、お願い待って…!」

 相澤が途方に暮れたその声に様子を見に行ってみると、SWATに似た長身の女性が屋台を引いた老人の手を取り懇願しているところだった。振り払われて前に立ちはだかり、女性にしては高い背ゆえか、腰の曲がった小さな老人相手に膝をついて話をするその姿はまるで哀願しているようにも見え、立場の上下が逆転したような錯覚を覚えてしまう。

 相澤はその姿に見覚えがあった。ケットシーというヒーローネームを名乗る彼女とは、初対面のバンジージャンプ以降、幾度か現場で顔を合わせたことはあったのだが、どうやらこの持ち場にいるということは、今日組む相手は彼女らしい。今回のように組まされるのは初めてだった。

おそらくは、自分のような独立一歩手前な新人上りの通過儀礼である「新人のお守り」としてバディに任命されたのだろうことは、戦闘時とは違いなんとも頼りない彼女の様子を見てなんとなく伺い知れる。

「俺ァいつもここで店出してんだ。理由も聞かねぇでショバ替えなんてできねェよ」

「ですから!理由をご説明差し上げることはできないんです。でも兎に角危険なんです」

「彼女の言うとおりです。ご協力を」

 相澤はガシガシと頭を掻くと、ポケットに手を突っ込んだまま少し離れた場所から見かねて声をかけた。「こっちにこい」とジェスチャーで示すと、不思議そうな顔のまま彼女が膝の土を払い、老人にお辞儀をして駆け足で近寄ってくる。

「何があった」

「はい。あのおじいちゃ…ご主人が待機地点付近でいつも屋台を開いていらっしゃるそうで、車を回して貰えるそうなので待機をお願いしたのですが、立ち退いてくださらなくてですね、それで…」

「ん。大体わかった。もういいよ」

何かを思い出すようにしながらたどたどしく説明をする彼女を遮ると、ついてこいと手招きして老人に向き直った。素直に待っていてくれたのだろう老人は面白くなさそうに近寄ってくる相澤と彼女を交互に見やりながら口を開いた。

「なんだか知らねェが、商売あがったりじゃねぇか。いつも居る俺がココにいなかったら、それはそれでアンタらにも不都合があるってもんじゃねぇのかい」

「では店だけ出して退避していて下さい」

 一体何を言うんだという顔の彼女や老人を前に、相澤は耳に着けたインカムを使い何事かを打ち合わせると、再び彼女たちに向き直って言った。

「何の屋台ですか」

「ラーメン屋だよ、見てわかんねェか」

「終わったら関係者全員で食べに伺います。それまでは車を寄越してくれるそうなので、そちらの中で待機していてください」

「…あんたら全員で何人だ」

「10名ほどですかね」

「フン、そんならまぁいい。何か知らねェが屋台壊すなよ」

 言い捨てるようにいつもの場所なのだろう、倉庫の傍を通る細い道路の隅に屋台を設置すると、老人は大人しく迎えに来た警察の車へと乗りこんで行ってくれた。細々と屋台を出すのを手伝ってそれを見送ると、相澤は彼女に向き直ってため息をついた。

「対応には気を付けたほうがいい、あまり下手に出ると舐められて話にならない」

 舐められてしまっては話すらまともに聞いて貰えない。新人が陥りやすいミスなのだが、どうにも自分が新人の時よりも程度が酷いのはやはり性別によるものもあるのだろうか。なんと言ってやったらいいものかと思案していると、彼女が真っ直ぐにこちらを見上げながら、言葉を探すようにおずおずと口を開いた。

「失礼が無いようにと思ったんですが、いけなかったでしょうか」

 まだ数度しか言葉を交わしたことはなかったが、彼女はこんなに畏まった喋り方をしていただろうか。現場ではもう少しラフな喋り方が目立ったように思うが、おそらく上下関係に厳しい事務所から何か言われでもしたのだろう。

「丁寧なのは悪いことじゃないが、お前の喋り方は回りくどくて伝達が遅れる。非合理的だ」

「それはなんというか、返す言葉もありませんが。…どうしたらいいんでしょう実は困ってまして」

「もっと砕けた口調じゃなかったか」

「ええ実は。直すように言われたんですが、急には難しいですね」

 へらりと笑う彼女の顔には「参った」とでも書いてあるかのように疲れが見てとれた。そもそも最近まで海外で従軍していたというのだから敬語にもあまり慣れていないのだろう、慣れる必要は勿論あるが以前見たときと比べて精彩を欠いた笑顔が、遠慮がちな会話が、相澤には気がかりだった。

そもそも連携を取るのに会話が回りくどくては話にならない。海風に靡く髪をかきあげながら、彼女の事務所の意向とは異なるかもしれないという考えが過りながらも口を開く。

「普段の口調で喋っていい」

 こちらを見つめる黒い瞳が、意外そうにぱちぱちと瞬く。また言葉を探すように、迷いながら彼女が口を開いた。

「先輩なのにですか?」

「ああ。ただし任務中だけな。俺相手ならかまわない、回りくどくて面倒だ」

「はい!あの、お気遣い頂いてしまって…」

 また彼女の口をついて出る周りくどい言葉に相澤はため息をつきながらゴーグルをかけると、時計をちらりと見て彼女に背を向けた。直せないなら仕方ないが、これ以上の会話は無駄だろう。

「じゃなくて…ありがとう!今日はよろしくイレイザー」

「ん。伝達もその調子で頼んだ」

 小走りで横に並んだ彼女は、相澤の返事を聞くと以前と同じ、人懐こい笑顔を浮かべた。


 ぷつりと音を立てたインカムから「準備完了」という彼女の声が響き、気付くとあたりを覆っていた霧は姿を消していた。どこかへ移動させたのだろう、視界が開けて煌々と月に照らされた彼女が倉庫の屋上で腹這いになるのがちらりと目に映る。

「こちらは対象に近寄って捕縛する。上から援護してくれ、誘導は頼んでいいか」

「はい。私は銃を無効化。霧を使って攪乱するので、捕縛の際は合図してからライトの中に飛び込んで」

「ライトって何だ」

「車のライトがあるの。見て貰った方が早いと思う。対象はイレイザーから見て7時の方向に移動中。3時の方向から向かって」

 夜闇に紛れ何もない倉庫街を走る。ちらりと視線をやった倉庫の向こうには視界が不明瞭になるほどの濃霧が立ち込めていて人影程度しか視認することはできなさそうだ。じわじわと霧にまいた対象達には、海の自然現象にしか思えない程度に留めてあるようだが、これでは至近距離まで近寄らないと相手を「見る」ことができない。

「おい。お前俺の個性わかってるよな」

 相澤の個性は、相手の個性の“抹消”だ。見えなければ発動できないというのにこの濃霧ではいざという時対処できない。

「もちろん。ちゃんと霧は晴らすから大丈夫。そこから1時の方向、距離100。倉庫の角で一度足を止めて欲しい」

 100mということはそろそろ小声でも会話していれば感知されてしまうだろう。息を潜めて駆け抜けると目の前に霧に照らされていない広い空間が広がっており、相澤は一度足を止めた。街頭もない倉庫街だ。暗闇の中での取引に照明代わりなのだろう車のハイビームがその空間を照らし出している。これが彼女のいう“ライト”なのだろう。

「準備OK?大丈夫ならインカムを2回ノックして」

 ぼそぼそと対象の話し声が聞こえる距離だ。相澤は小さく指先でインカムのマイクをこつこつと叩くと、捕縛布に手をかけ腰を落とした。ハイビームの向こうで取引をしているのだろう、男たちの話し声が風に乗って聞こえてくるが内容まではわからない。しばらく耳をそばだてていると、何かが破裂するような音と共に耳元のインカムから彼女の「GO!」という声が聞こえ、相澤はハイビームの中に飛び出した。

対象がいると言う方向に駆け出すと、走る相澤を追い抜いて行くように霧が晴れて前方に白い壁が現れる。まるで何かのギミックのようなその白い壁を追って相澤は走った。

「くそ…何にやられた?おいしっかりしろ!」

「見ろ!屋根の上に誰かいる!」

 白い壁が駆け抜けた後には3人の男達が慌てふためくようにてんでばらばらの方向を向いていた。一人は倒れてのた打ち回っており攻撃の危険性はなさそうだ。一人は彼女が居るだろう屋上を指差し、もう一人は霧の駆け抜けた先を向いて手から針のようなものを飛ばしていた。相澤はそのまま男たちを一睨みすると、息を詰めて駆ける速度を静かに上げた。風と関係なく前髪がゆらりと上がり視界が広がる。

「なんできかねぇ?!クソッ針が出ねぇ…!」

「バカ野郎!応戦すんな逃げろ!」

 のた打ち回る男が動かなくなったのを見て置いていくつもりなのか、しゃがみこんで屋上を指差していた男がやにわに踵を返す。相澤は捕縛布にかけた右手をそのままに、左手を横に伸ばすと、そのまま男の首筋に腕をぶち当てながら駆け抜け、白い霧の壁に向かって個性を発動しようとしていたもう一人の男に向かって捕縛布を投げた。

「クソ!まだ居やがったのか!」

 巻きついた捕縛布に腕を絡め取られた男が振り向いた瞬間、捕縛布を引いてバランスを崩してやり、顎先に拳を叩きこむ。たちまち白目を剥いて力なく膝をつく男を尻目に、相澤は敵の追撃を警戒してあたりに視線を巡らせたがどうやらその危険はなさそうだった。波音だけが響く静かな中、ハイビームで照らされたアスファルトの上には、昏倒した3人の男が転がっていた。

「しばらく警戒しておくので、拘束はお願い」

 インカムから落ち着いた彼女の声が響く。相澤は狙撃元がわからないように視線をやらぬようにしながらマイクを二度叩くと、昏倒した男達の手足を捕縛布で結んでいくことにした。

のた打ち回って静かになっていた男を確保しなければと、少し遠くにいるそいつに近寄ると、光を背負った猫背の男が相澤の側面、白い霧の壁の中に現れた。追撃かと警戒しゴーグルを再度下げようと手を上げると、人影も同じように手を上げる。

 振り返った先には男たちの乗ってきた車のハイビーム。おそらくは先ほど、針のようなものを投げつけていた男もコレをみたのだろう。一定の距離を経て当たったライトが霧のスクリーンに人影を投射する。ブロッケン現象というやつだ。

この為に自分をライトの前に飛び出させたのか、と相澤はニヤリと口の端を上げた。捕縛布で二人を縛り、腹を押さえて胃の内容物をぶちまけて昏倒している男に近寄る。脈はあるので死んではいないが、吐瀉物の中にのめりこむようにして倒れていたので、気道が詰まらぬように横を向けて寝かせてやる。中々の惨状に原因を探ろうとめくりあげた服の下は鳩尾が赤黒い痣になっていた。

ここまで追撃がないということは、おそらくこの場にいる対象は3人のみで間違いないだろう。相澤はインカムに手をやると、全体チャンネルを選択して口を開いた。

「負傷1名。3名全員拘束しました。一応救急車をお願いします」

『了解。応援がもうすぐ到着しますので待機してください』

 警察からの応答に「了解」と返事を返すと、個別チャンネルだろう、彼女が少し焦ったような声で話しかけてくる。

「怪我したの?」

「俺じゃない。お前がやった犯人だ」

「良かった」

 ほっと息をついたのがインカムごしにも感じられる。この男にしたら何もよくは無いだろうなと思いながら、汚れた口元をだらしなく開いた男のシャツをもう一度めくりあげて彼女が居る屋上に目をやると、きらりと反射する物が一瞬覗いた。スコープか何かででも見ているのだろうか。

「お前コレ、何やった」

「暴徒鎮圧用のゴム弾で撃ったんだけど、威力が強かったかなぁ」

 あっけらかんと言う彼女に、何故表舞台ではなくアングラに身を置いているのか静かに納得する。これだけの荒事を真昼間の市街地やメディアの前でやったら、それこそヒーロー業界には居られないだろう。

「腕は狙えなかったのか」

「外した時にイレイザーが撃たれる危険性を考えて、確実に当てられる胴体をと思って」

立ち上がった彼女が髪を解きながら、こちらを見下ろしている。ここからあの屋上までは200mはある、腕に当てるのは至難の業だろう。リスクを排除して確実な方法を取ったのだろうことを考え、相澤は深いため息をついた。

「…なるほど、ベストな判断か。でもな、メディアの前で絶対にやるんじゃないよ」

「はい。…………人命がかかっていなければ、だけど」

 困ったように笑う屋上の彼女にもう一度小言を言おうとして口を開いたが、かける言葉が見つからず、相澤は口を噤んだ。




 朝靄が立ち込める中、がやがやと人影がざわめいている。そろそろ船もつく頃合いだというので霧はじわじわと拡散してやらねばならず、申し訳ないがしばらく真っ白なままで我慢してくれと彼女が警察や他のヒーロー達へと丁寧な言葉で説明するのを聞きながら、相澤はラーメン屋台の暖簾をくぐった。

「何食うんだい」

 まだ晴れぬ霧の中で、一際白い湯気を立ち上らせながらラーメン屋の老人がちらりと相澤を一瞥した。夜は営業できなかったようだが、警察とヒーロー全員が客ともなれば文句はないらしい。

「醤油ラーメン。チャーシューと卵つきで」

「隣いい?…ですか?」

 木製のベンチに腰かけると、説明を終えた彼女が横合いから声をかけてきた。先ほどまでの口調が抜けないのだろう、慌てて丁寧に言い直しながら相澤の隣を指差して、バツ悪げに笑っていた。

「どうぞ。個性発動したままで大丈夫なのか?」

「ラーメンを食べるぐらいなら。あんまり使いすぎるとその場で寝始めるので、その時は警察にお世話になる予定です」

 じわじわと散らすから、今日は多分大丈夫。と財布を開いた彼女が屋台のお品書きを眺めていると、相澤の前にラーメンを置きながら老人がまた声をかけた。

「姉ちゃんは何食うんだい」

「えーと…………醤油の具無しで……」

「奢ってやる。乗せるモンも好きなもの頼んでいいよ」

 ちらりと見えてしまった財布の中は千円札が数枚しか入っておらず、見かねてそう口に出すと、彼女は目を輝かせて隣に座る相澤を見上げた。新人とは言えこんなにも金が無いのは何故なんだろうかと思いはしたものの、それは心の中にしまっておくことにして、相澤は割り箸を割りながら「はよ頼め」とラーメンに手を合わせる。

「いいの?!じゃあ、彼と同じのを」

 わぁお腹空いてたんだ。嬉しい。等とほくほく笑顔で言う彼女をよそに相澤がラーメンを啜っていると、やっと思い出したのだろう、しまったという顔で彼女が口を押さえた。おそるおそる見上げる目に相澤が箸を止めると、バツ悪げに笑ってごめんなさいと謝り顔を曇らせた。

「切り替えが下手なんですよね…」

「そうみたいだな…」

 盛大に凹むさまを見ていると、どうやら色々あったらしい。だからこそ、仕事さえ出来れば口調にもあまり頓着しない相澤が今日のバディとして指名されたのだろう。視界を奪う個性の彼女と相澤の相性は正直良くはなく、何故組まされたのか不思議だったのだが、ラーメンを受け取りながら項垂れている彼女を見て、体の良い練習台なのだろうなと相澤は一人納得した。

「いただきます」

割り箸を割って手を合わせた彼女が、麺を厳かに箸でつまみ上げる。どうやら、かん水だけでなく卵も練りこんでいるのだろう、オレンジ色に程近い濃い色の麺がスープの油を纏っててらりと光り朝日を浴びて輝いていた。箸でつまんだ麺を目の高さまで持ち上げた彼女が、冷えて少し赤みを帯びた唇でもってふぅふぅと息を吹きかけると、茹でたての熱い麺からふわりと蒸気が舞う。

彼女は左手で落ちてくる髪をかきあげ、ジャケットの中にその毛先を乱暴につっこむと、
もう待ちきれないとばかりに蒸気の熱気で頬を染め、あんぐりと口を大きくあけて麺を啜った。

瞑った目の縁を彩る、髪と同じ胡桃色の睫毛が震え、幸せそうに眦を下げてはふはふと麺を咀嚼する様を見ながら、相澤はスープを飲み干す手を止めて替え玉を頼んだ。さっき食べたばかりだというのにまた腹が減ってきた気がしたのだ。

「美味そうに食うねェ、はいよ、替え玉お待ち」

いただきますと手を合わせてから、彼女を倣い少し冷まして麺を頬張ると、香ばしい醤油の香りが鼻に抜ける。2杯目だというのに横で美味そうに食う人間がいると、なんだかさっきより美味いような気がしてしまうのが不思議でならない。

身体の芯から温まるような麺の熱さにほうとため息をつきながら横を見やると、玉子を半分に割って、レンゲの中で半熟の黄身をスープとからめ終わった彼女が、湯気で血色の良くなった頬一杯にそれを頬張っているところだった。

なんだか自分の食べているラーメンより美味そうに見えるな、等と考えて眺めていると、相澤と彼女の視線がぱちりと合った。また気まずそうにされるかと思いきや、むぐむぐと玉子を咀嚼し終えた彼女が目を細め、油に光る唇を指で拭いながら口を開いた。

「美味しい」

 そういって彼女があんまり幸せそうに笑うものだから、相澤もつられて口の端を上げた。口調はまた気軽な物に戻ってしまっている。本当は注意の一つもしてやらねばならないのだろうが、本人も自覚しているのだしこれ以上はあまりうるさく言っても仕方ないだろう。過ちに気づいたらしい彼女が、チャーシューを頬張った口に手を当てながら、幸せそうだった笑顔を曇らせ難しい顔をした。

「じゃなかった。美味しいです」

「………まぁ頑張んな」

相澤が苦笑しながらいうと、曇っていた顔を照れくさそうな笑顔に変え、彼女はまた幸せそうにラーメンを啜った。