※暗い


ある日、いつも早起きの独神が昼になっても起きてこなかった。
英傑には許可なく独神の部屋に侵入する権限はない。無理やり押し入ることは不可能ではないだろうけれど、独神相手にそんな乱暴なことをする英傑はいなかった。
そうして様子を見に行ったのは八咫烏。三本の足を持つ白い烏だけが独神の私室へと許可なく入ることを許されているのだ。

「え、ええと。主様はお体の調子が優れないご様子で……」

独神と面会を果たした八咫烏はぽつぽつとそんなことを語る。当然そんな調子の独神を放っておく英傑などいやしない。

「とりあえず今日のところはワタクシと八傑の皆さんにすべての指揮を任せる、と……」
「そんなの大変じゃない。すぐに看病しに行かなきゃ!というか風邪?誰よ主ちゃんに病なんか持ってきたの!!」

ツクヨミが感情的な声をあげながら八尋殿へと向かおうとする。だが、それを止めたのも八咫烏だった。

「うつしたらよくないと、主様はそうおっしゃっていますので……。ですから今日のところは放っておいて大丈夫だと」
「おれらは近寄るなってか?」
「ええ、はい。自分は大丈夫だから、と」

独神の言う「大丈夫」を信用する英傑などこの本殿にひとりもいない。だが、その意思を無視して八尋殿に押し入れる英傑も一人もいないのだ。

「食事はどうするんです?」
「あっ!そうですね……ワタクシが運ばせていただきますので、皆さんの心配にはおよびませんよ」

誰がどう言おうとも八咫烏は「今日はだめだとおっしゃられています」の一点張りだった。
だが八咫烏も独神に過保護な一羽だ。もしも本当に体調がまずそうであるのなら、すぐに他の英傑に助けを求めているはずだ。そこに独神の意思など関係はない。
納得はいかないものの、どうすることもできない。独神に頼まれたことを処理するのが先だろう。
出陣・遠征・お庭番の三種を分担し、独神の業務を処理することにし、八人は解散することにする。
その日、本当に独神が部屋から出てくることはなかった。







次の日、独神はやはり起きてこない。
一日やそこらで治る病ではないのだろう。うつるような病であるのならまぁ妥当な話だ。
「今日もお願いします」と八咫烏に言われて、心配は増すばかりだ。もしかしてひとりで熱を出して苦しんでいるのではないだろうかと皆揃って考えてしまう。

「本当に大丈夫なのか?」
「はい。明日には皆さんの前に姿を見せられるだろう、と……」

八咫烏の言葉を信じて、昨日と同じように分担をし、解散をしようとする。
今日は遠征にアマテラスとウシワカマルとスサノヲ、出陣にヤマトタケルとツクヨミとモモタロウ、そしてお庭番にジライヤとシュテンドウジ。

「ジライヤ殿。ちょっとよろしいですか?」

花廊と錬金堂、どっちがどっちか決める前に、ジライヤは八咫烏に呼び止められた。

「主様がお呼びです」
「頭領が?」

他の八傑は既に持ち場へ向かった後だ。誰もそれを咎める者はいない。そう、シュテンドウジを除いては。

「ジライヤだけか?」

そうシュテンドウジが問えば、八咫烏は頷く。病がうつるようなやわな肉体ではないというのに、それでもダメなのかとシュテンドウジは舌打ちをしたが、覆るものではない。何か意図があって独神はジライヤだけを呼んだのだから。
明日には顔を見せられるというのだ。それを信じるしかないだろう。




さらに次の日、ついに独神は本殿に現れた。
たかが二日ぶりだというのに英傑はこぞって独神のまわりに寄り付いて、「大丈夫なのか?」「無理をしていないか」と心配をする。
その原因は独神の額に巻かれた包帯だろう。三日前にはなかったそれについて問うと、独神は「体調悪い時に転んで頭をぶつけただけだよ。大丈夫。このまま放っておけば治るよ」と普段と同じように笑っている。
なんだか引っかかることは残っている気がするけれど、普段通りの独神が戻ってきたのならいいか。シュテンドウジは昨日のことを忘れることにした。
ジライヤが独神に呼ばれたことを、部外者ではシュテンドウジだけが知っている。


そんなことが一度あってから、独神はちょくちょく病に臥せるようになった。そして額を見せることをしない。なんでも最初にぶつけたときの傷痕が残ってしまったのだとかなんだとか言って。
一、二ヵ月に一度独神は部屋に引き籠り、その時に会うことが許されるのは八咫烏だけ。そういうことになっているが、シュテンドウジは知っている。独神が部屋に籠る日にジライヤを観察していると八咫烏に毎回声をかけられているのを目撃していた。だから、あれからやはりジライヤは独神に呼ばれていたに違いないのだ。

「もしかして、頭とカエルはデキてんのか?」

なんてことを考え付くのに回数は要らなかった。それなら人払いをしてジライヤだけ呼んでいる理由も納得がいく。独神が臥せっている数日、あれは恋人同士の逢瀬の時間を作るためなのではないか。
けれどジライヤは分担された仕事をきちんとこなしているし、むしろ負担する量が多い。これは正解ではなさそうだ。そうなると本人に聞くしかない。

「なぁ、カエル。その辺どうなんだよ」

一緒に遠征に出る羽目になった本人に、そう直接問うてみるが返答はない。忠誠心の高い忍であるジライヤが簡単に情報を吐くわけもないか、とシュテンドウジは考えを改める。残りは独神本人か、八咫烏。ねらい目は八咫烏だろう。

「……それをおまえが言うのか」
「は?」
「いや、何でもない。こちらの話だ」

シュテンドウジがどんなに絡んでも、ジライヤはそれ以上の情報を吐くことはなかった。







じゃあ一体何なのか。その答えをシュテンドウジが知ることになるのは半年近く経った後のことだ。
お伽番の順番がようやくまわってきたと思ったら、独神に簡単なお使いを頼まれた。それもその辺をうろうろと歩き回らされるようなものばかりで、全てを終えるのには時間がかかりそうなもの。
それでも八つ時前には終わらせたのは、ひとえに独神との時間を作りたかったからだ。

「終わったぞ頭。ついでに茶も淹れてやったんだ。そろそろ休もうぜ」

執務室へと入りながら、シュテンドウジはそう声をかける。独神の声はない。

「あ?頭どっか行きやがったのかあいつ……」

文句を言いながらも周囲を見渡すと、包帯が落ちていることに気付く。おそらく独神の額に巻かれていたものだろう、と長さから推測できる。そもそも霊廟や風呂に包帯を忘れていく英傑はいたとしても執務室に忘れていくようなやつはいない。
何かに巻き込まれたのか?とシュテンドウジが不安になってきた頃、隣の物置への扉が少しばかり開いていることに気付いた。湯呑の乗った盆をちゃぶ台へと置いた後、シュテンドウジは恐る恐るそこを覗き込む。
そこにはきちんと独神がいた。手で額を押さえ、何かを隠そうとしている独神が。


「あ、ああ……。なんで、なんでもう戻ってきたの。どうして」


悲痛な声はシュテンドウジに届かない。あまりの光景に何も耳に入っていないのだ。
シュテンドウジの愛した、独神のまっすぐな瞳のちょうど上、額のやや右側から、硬質な何かが生えている。岩の破片と言われても納得するであろうそれを、シュテンドウジはよく知っている。

鬼の角だ。

「やだ、おねがい、見ないで。忘れて。だめ、わたしシュテンにだけはこんなもの見られたくなかった」

懇願の言葉は逆効果だ。ようやく言葉を聞き取る程度に正気に戻ったシュテンドウジがしたことは、次に独神を物置から引っ張り出すこと。
日の当たる場所に、その異形を引きずり出すこと。

「いや。いやぁ!やめて!お願い、見ないで!なんで、やめて!!」

悲痛な声も普段なら胸が痛むだろうが、今はそんなことは関係ない。執務室まで引きずり出せばあとは独神の額から生えたそれを観察するには十分だった。
独神は泣きじゃくりながらも角を隠そうとする。赤黒い、まるで血が黒ずんだような色で、先は他の鬼のように細く尖っておらず、平坦な面のある太い角。鉱物か何かだと言われたらそう思ってしまうかもしれない。

「おまえこれ、いつから……」

ここでシュテンドウジはようやく気付く。独神が姿を見せなかった原因はこれなのだと。
独神が呪われたというのであれば、星読みやその手に通ずる連中が黙ってはいない。

「なぁ、頭」

そう声を掛けると、独神の額からメキメキと音を立てて角が伸びていく。
理由が分からないなら独神は他の英傑に相談するはずだ。だが、今回はそれをほとんどしていない。この症状だって知っているのはシュテンドウジとジライヤと八咫烏くらいだろう。

「おれのせいか、それ」

あなたにだけはと独神は言った。そしてシュテンドウジの言葉によって生えていく角。これで原因が自分でないと言い張るのは無理がある。

「こんなつもり、無かった。わたし、だって、やめようとしたのに」

嫉妬でひとが鬼になった、なんていうのはよくある話だ。この本殿にも似た逸話を持つ英傑がいる。そしてそのよくある話が独神にも適応されてしまったという、それだけの話なのだろう。
シュテンドウジは自分の後ろ暗い欲が満たされていくのを感じていた。平等で心優しい独神をこうしたのは自分なのだと。

「シュテンをみてると、自分のことが分からなくなる。嫌になるの。だめだって分かってるのに、いやな気持ちでいっぱいになる。それで、やめようとしたのに、でも、目が離せなくて」

泣きながら独神は懺悔する。シュテンドウジからすればただの告白なのだが、独神は沙汰を待っているようだった。

「角なんて折ってしまえば二度と生えてこないじゃないかって思ったのに、何度折っても生えてくるの。何度も!何度も!ジライヤに何度も折って、捨ててもらったのに!!」

独神が感情を吐露するたびに、角は長さを増していく。

「馬鹿じゃねェの。だったらおれを呼べばよかっただろ。呼んで、自分だけ見てろって言えばよかったんだ」

だめだ、と思いながらもシュテンドウジは頬が緩むのを止められない。

「おまえ、恋を知らなかったんだなァ」

それを隠そうとした両腕を掴んで、シュテンドウジは笑う。こんな気持ちはいつぶりだか、思い出せない。

「いいじゃねェか、それ。生やしとけよ。そんで、もっと伸ばしちまえ。角隠しでも隠せないくらいまで育てちまえよ」
「シュテンたちの角とは違う。こんな醜いもの、私……」
「おれが貰ってやる。心配すんな。泣くな泣くな。おれを思って生やしちまった角を、なんで醜いと思うんだ。安心しろ、おまえは可愛い」

今この瞬間、自分のものになった獲物をどうして醜く思えようか。散々折られ続けてきたであろう角に口づける。血が黒ずんだような色をした、この独神の罪の塊は自分のものだと教え込むように。


11/5 鬼さんこちら