※独神がひどいやつ



灰被りという話を知っているだろうか。シンデレラ。灰を被ったという意味らしい。
ブリュンヒルデとフレイヤが話す内容を、アシュラたちがうっとりして聞いていたのは少し前のことだ。

「王子様なんて素敵ねえ」

……本当に?果たしてそうだろうか。
だってその王子様は硝子の靴がなければシンデレラを見つけられなかったのでしょう?
見つけてくれという痕跡を残して去っていった女。女の思惑通りに痕跡を辿って探し当てた王子様。

「……主さんは面白くなかった?」
「いや、そんなことないよ」

渋い顔をしていたのをブリュンヒルデに見られたらしい。この本殿にいる皆は独神である私のことを第一に考えることが多いというのに、油断していた。

「ただちょっと興味深いなーって」
「面白い、じゃなくて?」
「うん。興味深い」


硝子の靴が無ければ、きっと王子様は忘れられない一度踊っただけの相手を諦め、他の相手を選んだのではないだろうか。
シンデレラが置かれた環境を打破するためには王子様が必要だったかもしれないけれど、王子様は別にシンデレラが相手でなくたって良かったのだ。
それが分かっていたからシンデレラは硝子の靴という痕跡を残して、鍵となるもう片方の靴を大事にとっておいたんじゃあないだろうか。そう考えると本当に、なんとも計算高い女だと思う。




考えてはいけないことだと分かっている。だが、時々どうしても思ってしまうのだ。
もしかしたら、独神なんて肩書さえなければ、私が使命など気にせずに振る舞っていたなら、そうしたら、皆誰も私になどついてはこなかったのではないか、と。
終わりの見えない闘争も終わりへと向かっていた。もうあとは私がいなくとも大丈夫だろうというくらいには。指揮官がどんなに無能になったとしても勝敗は変わらないだろうというくらいには。
残るのは残党処理くらいで、最早一血卍傑の秘儀さえ必要がない。既に産魂ばれた英傑だけで戦力としては十分だ。


全てが終わったあとも独神という存在のまま、担ぎ上げられるのは、独神に相応しくない私の自我が耐えられそうになかった。
私はシンデレラになりたくはない。独神だからという理由で好かれ続けるのはいやだ。私は私になりたい。
だから私はシンデレラではなく、魔法使いになることにした。



「はい、はい。知っていますとも。皆があの本殿を桃源郷と思っていることを。独神が望めば四季すら変わる、才能あふれる美しい存在が集う場所。誰しもあの場所に憧れる。誰しも、誰とも分からない独神という存在になりたがる。そうだね?」

こくこくと何度も目の前の少女は頷く。

「では、そうしましょう。あなたは今日から独神です。はい、はい。もう継ぐような力はほとんど残っていないし、ひどい拒絶反応が起こることはないだろうしね」

掌に短刀を滑らせると赤い筋が綺麗に浮かび上がる。そうして一滴、二滴と雫が落ちた。

「最後に、もしもこのことが皆に知られた時の為に、これを渡しておきます。これを皆に読んでもらえたら命まではとられないでしょう。……まぁ、そんなこと起こらないと思うけど」

そう言って手渡したのはこの娘を無実とする嘆願の手紙だった。外の世界でのびのびと暮らしたいから他の人に独神は任せます、などという無責任な言葉と共に、私一人にすべての責があることを示した自筆の手紙。これを読めば少なくともカァくんあたりは、この娘が利用されたのだということを理解してくれるだろう。
掌の中で血が小さな水晶と化し、それと同時に傷は綺麗に塞がる。普通の人間にはできない、なんとも気持ちの悪い芸当だと自分でも思う。

「口を開けて。そう、いい子だね」

娘の口の中に水晶を落とした後、それを飲むように促す。一瞬こわばった身体も『独神になりたい』という自分の願いを思い出したのだろう。素直に従ってくれた。


魔法はかけられた。日が変わろうとも解けることのない魔法。
あとはシンデレラを舞踏会へと送り出して、私はその場を去ってしまえばいい。
さようなら、シンデレラ。もう戻ってこなくてもいい。ずっとそこで、許される限り過ごせばいい。


そうして独神、私はシンデレラではなく魔法使いになって、本殿から去ったのだ。















結論から言ってしまえば、やはり硝子の靴がなければ王子様などやってこないらしい。
独神がいなくなったなんていう噂話は聞こえてこないし、皆英傑をほめそやし、その英傑が集う八尋殿に思いをはせる。
独神という役目を担った存在であれば私でなくともよかったのだ。

本殿で培った知識と経験を活かして、オノコロ島から離れた場所で人に紛れて暮らすことは決して難しいことではなかった。本殿から供もなしに遠出することを許されなかった準引き籠りには少々長距離を歩くのはつらかったが、それ以外に苦痛に感じたことは一つもない。
足に肉刺が沢山できて痛かったことも今では良い思い出だ。


「ねぇ知ってる?もうすぐこの辺りに神代八傑のシュテンドウジ様が来るんですって。なんでも最近美味しい酒を求めて諸国をまわっているのだとか」

こんな話は珍しいことではない。数多の英傑が存在する八百万界で効率よく残党を滅ぼすためにはある程度各地に散る必要があるからだ。ついこの前は遠征部隊らしき数人がこの町を通り、隣町で宿泊したらしいと聞いた。
ちなみにこの同僚はつい先日、別の英傑に様付けをして黄色い声を上げていたことも付け足しておく。

「うちにそんな美味しいお酒ないから、すぐに行っちゃうんじゃない?騒ぐほどのことじゃないよ」

店主の仕入れてきた金物を店の棚に見栄えよく並べていると、同僚はぶちぶちと文句を漏らす。

「なんでアンタそんな冷めてるわけ?あのシュテンドウジ様よ?」

そのシュテンドウジをいやというほど知っているから言っているのだ。あの鬼は気に入った相手には優しく振る舞うし、その姿は本当に悪鬼と呼ばれていたのか?と疑うほどだが、その実態はやはり鬼で、その他大勢に対しては冷酷で残虐だ。
独神にとっては悪ではないが、その他大勢に対しては昔非道な行いをした鬼に違いない。

「そうかなぁ。でも、あんまり関わらない方がいいんじゃないかな。火遊びで済まなくなっちゃうかもしれないし。そう何度も会える人じゃないでしょう?」
「もし気に入ってもらえたらオノコロ島に連れ帰ってもらえるかもしれないじゃない?」
「はぁ……そんな簡単に許してくれないと思うけどなあ」

いや、だがどうなのだろう。悪霊のほとんどは駆逐され、残る数はごくわずかだ。無限に湧いて出るわけでもなし、既に増援は来ないとなれば遠くないうちに最前線基地である八尋殿も必要がなくなる可能性がある。

「それか最悪現地妻でもいいわよ。あんなに顔のいい男、この町にはいないもの」
「同僚から現地妻なんて言葉聞きたくなかったなぁ」
「アンタは流れ者だからわかんないでしょうけど、あたしはこの町で生まれ育ったから外の刺激に飢えてるのよ。でも外に出ていくような勇気もないし」

そんなものだろうか。
まぁ、だが、一つ確かなことがあるとするならば、きっと独神でもなんでもない私がシュテンドウジの興味をひくことはないということだ。
前回のこの町を通った遠征部隊の大将がマサカドサマらしいと噂で聞いた時はすぐさま休みをもらったものだが、これならいちいち休みなど貰わなくても平気だろう。
独神でなくなった私には賃金が必要なのだ。




恋文の数からしてモテるとは思っていたが、本当にシュテンドウジはモテるらしい。
町に入った次の瞬間に女性に声を掛けられ、名前を聞かれ、「本当にシュテンドウジ様?!」という黄色い悲鳴と共に周囲から女性が集まってくる。
あれはもう宿に連れ込み放題だろう。同僚も漏れなくその中に混じっていて、溜息しか出てこない。シュテンドウジの興味のない相手に対する断り文句を知っているこちらからすれば胃痛しかしてこない。彼女が泣きくれている間に仕事を負担するのは私だ。できたらやめてほしい。
遠巻きに女性の群れを眺めてから、その中心部と不審ではない程度に目を合わせないよう努めながら店の中に引っ込んだ。客はいない。おそらくこの騒ぎで全滅だろう。
いっそあの鬼が同僚に引っかかり、財布の紐を緩めていらないものを買っていってくれたらいいのだが。
店の中で一つ溜息をついた後、店の外が何やら騒がしいことに気付く。あの塊がもうここまで移動してきたのか、早いな。そんなことを思っていると男一人分の足音がした。

「よぉ、邪魔するぜ」

シュテンドウジである。この店は雑貨屋だが、酒類は一切扱っていないにも関わらず、あの鬼は供の女も連れずに入店したのだ。
というか先ほどまで引き連れていた群れはどうしたのか。今日はむしの居所が悪くて全員散らしたのか。ありえそうな話だ。

「……何をお求めでしょうか」

入店してしまえば彼はもうお客様だ。むしろただの客として考えれば、そこらへんにいる町人よりも酒を買う為の界貨を懐に残している分上客と言える。

「実は野宿の時使ってた小太刀が欠けちまってな。この辺に店はあるか?」
「ええと、鍛冶屋はこの先の十字路を左に曲がって四軒目ですね」
「へぇ。あんがとよ」

そんなことさっきの女性陣の一人にでも聞けばいいものを。そんな文句を漏らしそうになるがまだシュテンドウジは店の中から出ていこうとしないせいで、ひとりごとすら許されない。

「なぁ、おまえどうして出てこなかったわけ?」
「店番がありますから。なかったらその他大勢の一人になっていたでしょうね」
「じゃあなんでおれとこうして話してても普通なわけ?おまえだけだぜ、今話してるの」
「他人と美醜の感覚が違うようでして。それにやはり仕事がありますから。ご来店ありがとうございます、シュテンドウジ様」
「……へぇ?」

じろじろとシュテンドウジは上から下まで、こちらを値踏みするように見ると、「気が変わった」と口にした。
彼の好みがややつれない相手だということに気付いても、時すでに遅い。

「気に入った。今日はこの町で泊まることにするか。おまえ、今夜付き合えよ。いいだろ?」
「困ります。明日も仕事がありますので」
「じゃあそんなもんやめちまえ。そんで、おれと一緒にくりゃあいいだろ」

同僚、助けてくれ同僚。もう帰ってきてもおかしくないはずの騒がしい同僚に思いをはせるが一向に戻ってこない。振られた腹いせに甘味屋でやけ食いをしているのかもしれない。
だがほら、独神でなくなったなら私のことなんて気付かないではないか。硝子の靴さえなければこんなものだろう。失望が自嘲的な笑みとなって漏れた。


「御冗談を。独神様という特別な方がいる貴方様と、どうしてただの人である私が一夜過ごせましょうか」


二度と口にしたくなかった名を口にする。捨てた役割の名だ。押し付けた名だ。
それでも、この場からシュテンドウジを去らせるにはそれしか方法が見つからなかった。

「確かにな」

言葉とは裏腹に、シュテンドウジは私の腕を取った。


「なぁ頭」


二度と呼ばれることはないはずの呼び名が私に告げられる。何かの間違いだと思った。だって、すべてはあの娘に押し付けてきたはずだ。

「独神様と私は似ているのですか?だ、としたら光栄ですね」
「いや?似てねェよ。頭はもっと良い奴、だからな」

そうは言っても手が解かれることは無い。何故?どうして?どうやって?疑問符はいくつも浮かぶが、言葉にはならない。

「このまま攫っちまうか。今なら何の問題もねェしな」

独神には最初に一度見せたきり、ずっとずっと見せなかった悪鬼の姿をシュテンドウジはもう隠さない。



「なぁおまえさ、もう頭でもねェのに、マジで逃げ切れると思ったのか?」



硝子の靴なんて、無かったはずなのに。




4/30 硝子の靴