花吐き病・後
※独神がめんどくさい
※前に日刊で書いた花吐き病の続き
誰にも言ってはいません。だけれどきっとそれが相応の罰だと思うのです。
誰も望まぬ罰をわたしだけが望んでいるのです。愚かだと罰されてしまいたいのです。
懺悔にも似た気持ちで今日も花を燃やします。目に見える形で私から漏れ出た思いの塊です。
形どったはずのそれは実にあっけなく炎の中へと消えました。縮んで灰になってそれで終わり。
きっと、私の恋もそうだったのでしょう。掘棒でせっせと穴を掘り、その中へと灰を掻き入れます。花廊の隅に埋めていますから、もしかしたらできる花の養分になっているかもしれませんね、なんていう悪趣味な冗談を笑ってくれる英傑は誰もいませんでした。
病状は当然のように悪化しておりました。罹患する方法が恋の成就であるのだから当然です。
私は病状が進行しようと何が起ころうと、今まで通りに振舞っていましたから恋が実るわけがありません。
ある英傑は諦めたように私に問うことをやめました。ある英傑はサトリに相手を探らせようと頼み込んでいたのをこの前見かけています。ある英傑は前よりも必死に私に相手のことを問うてきました。相手のことなど気にもせずに「自分を恋の相手にして欲しい」と志願してきた者もおります。
それらを全て「ごめんなさい」の一言だけで私は突っぱねました。私にとってはこれだけがわたしのものだからです。それを英傑に告げることは、個人であるわたしの恋が、独神である私のものになってしまうことと同義です。
例えば、これで八百万界が平和になる前に私が恋の病で力尽きる、なんていう馬鹿な話であったのなら私も治療を考えたかもしれません。ところが現実はまったくの逆だったのです。
相手を探ることが成功しない彼らが最終的に行きついた結論は、私に好いてもらうことでした。魅力的に思われるよう努めることだったのです。見た目のつくりで心を奪えないことを承知している皆が、分かりやすく私の喜ぶことを考えた結果は一匹でも多くの悪霊を倒すこと、力を示すことでした。強いものが相手の心を得るという、原始的な大自然の掟です。そこに行きついてしまってからは悪霊の勢力はみるみるうちに減らされて行きました。これが私への親愛が成せることなのだろう、とどこか他人行儀に眺めていた記憶があります。
けれどそれは愛情なのです。愛なのです。恋ではありません。恋というのは兎にも角にも身勝手で、ひとりよがりなものだと私は痛切しておりました。
だって、私のために必死になって悪霊を倒す恋しい相手を眺めたところで、この気持ちを吐露する気にはちっともならなかったのですから。
恋仲になった姿を想像したことは?と問われたことがあります。
当然、私は「はい」と答えました。
恋仲になりたいとは思わないのか?と問われたことがあります。
当然、私は「いいえ」と答えました。
ひどく矛盾をした解答に見えて、何一つ嘘は言っていないのです。
恋しい彼の鬼と恋仲になった姿などそれはもういくらでも想像をしたことがありました。けれど、それを彼に強要するつもりは欠片もなかっただけなのです。彼に無理強いをするくらいなら、こんな恋は散って然るべきでしょう。ええ、そうです、散るべきです。わたしの命と共に散ってしまうのがいいのです。
あの優しい鬼を不条理に縛るようなものはすべて、なにひとつ、存在すべきではないと思うのです。
「ぅ、ぇ……。はぁ……、うう……」
さて、何を考えていたのでしたか。
花を吐くというのは苦痛を伴います。牡丹に棘はありませんから気管を傷つけるということはありませんが、ただただ苦しいのです。嘔吐感と喉から異物がせり上がってくる感覚は何度味わっても慣れて楽になるということはなく、むしろ吐く量が増え、吐くまでの期間が短くなっていくので悪化する一方です。これでそのうち息が出来なくなって死ぬというのですから、苦しくなればなるほどもうすぐだと宣告されているようでした。
ああそうだ、彼のことでした。だからまだ嘔吐感が消えないのでしょう。私は諦めて床へと喉の奥に張り付いた花を吐き出そうと咽びます。ただこうして花を吐いていては身と心がもちません。ですから私は別のことを考えて過ごすのです。そうして吐き終わったあと何食わぬ顔をして吐き出したものを片付け、燃やすのです。そこに何の感慨もありません。ただすこしばかり苦しいだけのちょっとした作業と言えました。
例えるのであれば屑籠の中身を捨てるものと似ています。面倒ですがいっぱいになっては困りますから、そう言った意味でも妥当な例ではないでしょうか。なんだかおもしろくなって笑い出しそうになりますが、吐き出されそうになる花がそれを許しません。
花籠か何かをぶちまけたように、辺り一面には牡丹が広がってゆきます。すべて私の口から、わたしのなかから吐き出されたものだと思うと人体はとかく不思議だと思いました。そもそも花を吐き出す奇病が存在する時点で今更なのでしょう。
「ふ、ふふっ」
そろそろ誰かが駆けつける頃でしょう。牡丹を全て拾い集めなければならないというのに、私の口からは花と嗚咽と、そして笑いが漏れていました。このままではいけません。こんな姿を見られてしまっては、ついに気がふれたのだと思われてしまいます。
ですがそれも真実なのではないか、と考え付くと再び笑いがこぼれます。
だってこの世界の存亡をかけた状況で、私は愚かにも恋をし、そしてその恋に殉じようというのです。これで頭がおかしくないと誰が言えましょう。病状の進行的に大丈夫そうだから、などというのは言い訳でしかありません。
このあたまのおかしいおんなは、わたしは、世界と自分だけの恋を秤にかけて、たしかに恋を選んだのです。
けれど、だって、わたしにのこされたものはこれしかないのです。
独神である私はたくさんのものを得ていたとしても、ただの、ごくふつうの、どこにでもいるどうしようもないわたしにはもはや何もないのです。
わたしという自我を証明するものは、これしかないのです。
もしも、わたしだけの恋が誰かに介入され、奪われた瞬間にわたしという存在はたやすく掻き消されてしまうのでしょう。それはもはやわたしではなく、私という独神なのです。
もはや袋に詰められなくなった花を大きい箱の中へと投げ込んでいきます。押し込んだわけでもない牡丹の花はすぐに溢れそうなほどに積み上がってしまいます。
「ほんとうにばかみたい」
改めて見返せば、本当に愚かでした。この箱の中から溢れんばかりに積み上げられた牡丹はすべて、自分だけが知っている彼の姿を体内から吐き出しているのですから。そうして満たされない胸の内の慰めにしているのです。成就させるつもりもないくせに、慰めだけは必要としている。なんと浅ましいのでしょう。
「頭」
「まだ片付けが終わっていないから、入ってはだめ」
「好都合だ。入るぜ」
だめだという制止を聞かずに、むしろ都合がいいと言ってシュテンドウジは部屋へと乗り込んできます。目の前には薄紫色をした牡丹の花々。
彼も何度か目にしたことのある光景です。その時はもっと量が少なくありましたが。
「だめだって言ったのに。うつったらどうするの」
そうシュテンドウジを咎めつつ、急いで牡丹を箱へと押し込みます。空しい思いの形が潰れようと今更どうということはありません。むしろ、この一方的な思いが好きな相手に被害をもたらすことが恐ろしい。
「牡丹、牡丹なぁ」
後ろ手で彼は戸を閉めました。きっと彼も他の英傑のように私を説得するつもりなのでしょう。それか飽きもせずに相手を探るか。
どちらにしても無駄なことです。こんな馬鹿らしい病がうつってしまう前にはやくここから去ってほしいと願うばかりです。それでも彼は、じぃとまだ床に残った花を見つめているのです。
「むかぁし、おれは神鞭鬼毒酒っていう酒を飲んで倒れたことがあってな。その時ちょっとばかし首が飛びかけたことがあるんだけどよ」
この世界のモモタロウが鬼ヶ島ではなく鬼ヶ城を制圧して武功を得たように、私の知る酒呑童子は神鞭鬼毒酒によって眠らせられて不意をつかれ首を取られたといいます。八百万界で平然と暮らしていたシュテンドウジにも、似たようなことが起こっていたとしても不思議ではありません。
「……その牡丹、そういう意味か?」
「言っている意味がわからないけれど」
「ただの牡丹にしちゃあ色が薄いだろ、そいつ。改めて見るとおれの髪の色に似てるよな」
ぐしゃりと手の中の花が潰れました。知らないうちに力が入ってしまったのでしょう。そして、そのことをシュテンドウジが見逃してくれるわけもありません。
「白でもない、桃でもない。だがよくある紫にしては色が薄い。……ま、花なんざそれこそ数えらんねェほど種類があるだろうさ。でもおまえが動揺した、ってなるとそういうことだよな」
そんなことは許されません。誰であろうと、わたしの恋をつまびらかにしてしまうことを許容することはできません。それが例え恋する相手だとしても、許されないことです。
だってそうでしょう。この次の台詞なんて、いくら愚かでもわかります。
「おまえ、おれが好きだろう」
なんて、なんて自信過剰な言葉。男前だから許される言葉です。そして何より、正解だから彼は許されるのです。そして許されないのです。シュテンドウジはパンドラの箱の蓋をこじ開けてしまったのです。それは許されない罪でしょう。わたしがしまい込んだそれを引きずり出して、正解に辿り着いてしまったのです。でなければ私が死んでしまうから、という理由で。
なんと尊い献身でしょう。なんと憎い献身でしょう。私を思っての行為が、わたしの恋を暴き、殺すのです。ですが、それが罰なのかもしれません。
しらばっくれることはもう無理でしょう。わたしは笑みを漏らします。
「そうだとして、どうするの」
シュテンドウジが今私に向けて恋を差し出したとして、わたしはそれを信じることはできません。情けではわたしの恋を実らすことはできないのです。そして、恋が実らなければこのふざけた病が治ることはないのです。
ですので、どのみち私は助かることはありません。恋を暴くだけ、すべて無駄なのです。だけれどシュテンドウジは私の恋を暴いたのです。気付いて貰えた嬉しさと、この後踏みにじられるのだという虚しさ、それらが私の中で渦巻いていました。
「やることなんて一つだろ」
ほら、やっぱり。
「命を盾に恋の成就を強請ったところで、それは本当に恋が実ったと言える?」
心優しい私ではなく、愚かでどうしようもないわたしがついに首をもたげてきました。一番知られたくない相手に知られてしまったのですから、やむないことでしょう。
「おれは、前から頭が好きだったぜ」
「知っていますよ。皆、私のことを好いてくれていることくらい」
「そうじゃねェ。おれは……」
「言葉ではどうとでも言えるでしょう?」
決定的な言葉を聞きたくなくて、私はシュテンドウジの言葉を遮りました。どんなに言い訳をしても、結局のところわたしは、目の前で恋が殺されるところを見たくはなかったのです。
このままいつか散ることを最初から決めつけ、そうなるのだと最初から覚悟していましたが、身勝手にも目の前で無残に散るというのは耐えられません。
「じゃあ、証明できたなら、おまえは認めるんだな?」
「シュテンがわたしに恋をしていると証明すると?そんなこと、できるわけがないでしょう」
恋なんて目に見えないものをどうやって視覚化するというのでしょうか。屏風から虎を出すような話です。
「いいや、できるぜ。見てろ」
シュテンドウジはそう言うと、こちらに歩み寄ってきます。一体何をするつもりだ、と彼の方を見ていたのが間違いだったのでしょう。
彼の目的は私などではなかったのです。シュテンドウジの目当ては私ではなく、私の手元にあった物体。私が散々吐き出した花にありました。
私が止める間もなく、彼はそれを手に取ります。
花吐き病の感染方法は、感染者の吐いた花に触れること。彼の無防備な指先は、生身の肌は確かに私の吐いた牡丹に触れていました。
「なにを、なにをして……」
こんなくだらない、取るに足らない病にシュテンドウジを巻き込むつもりなどなかったのです。彼を縛るつもりなど無かったのです。消えてしまいたいと思いました。ですが、何よりも、どうすればよいかわかりません。シュテンドウジを花吐き病から救うには彼の恋を成就させる必要があります。私には彼が誰を思っているのかなんて、さっぱりわかりません。きっと独神のことは好きだというのは分かりますがそれだけです。
「言ったろ。証明してやるって」
そのままシュテンドウジは持っていた牡丹を、まるでそれが花を模した菓子でもあるかのように口の中へと含みました。何度かの咀嚼ののち、彼はそれを躊躇うことなく飲み込みます。
「そんなことのために、どうして」
花吐き病はふざけた病ではありますが、死に至る奇病でもあります。できるかわからないもののためにそんな恐ろしい病に感染するなんて馬鹿な話があるでしょうか。
「なぁ、おれが好きだって言ってくれよ」
そんな病になったというのに、彼はけろりとしてそう言うのです。この後、自分が勝負に勝つといわんばかりに。
「花吐き病になったやつは、恋が実ると銀の百合を吐きだして完治するんだろ?それでおれが銀の百合を吐いたなら、おれの恋は実ったことになるわけだ」
「そんなの、もしもだめだった場合を考えたことはあるの」
「おれの頭に対する思いが恋じゃなかったら、その時は、そうだなァ」
なんてことのないように、彼は瓢箪の蓋をあけながら、言うのです。
「そん時は頭の恋をかなえてやれねェが、代わりに一緒に死んでやるよ」
まるで告白です。こんなひどい話があるでしょうか。彼は、彼は独神の、私の為に死ぬというのです。わたしの最大の恋敵である独神の為に、命を捨てると。
「恋をしたわたしは独神ではないのに?」
「そりゃそうだ。立派な頭をやってるやつが恋なんかするかよ。ただの愚かなふつうの、どこにでもいるようなおまえのために、もし駄目だった時は死んでやるって言ってんだ」
酷い、本当に酷い男。もしもシュテンドウジが銀の百合を吐かなかった時、わたしがどんな気持ちになるかなんてわかりもしないくせに。
「あなたが、好きなんです」
喉の奥から再び牡丹がせり上がる感覚に襲われながら、彼の望み通りの言葉を吐き出しました。
こんなもの、勝てるわけがありません。もう、だって、口からは彼への思いが物理的に花となって溢れそうだというのに。
「おれもだ」
そう微笑む彼のなんと美しいこと。
一拍おいてシュテンドウジの口からは銀の百合がこぼれました。彼は本当に、わたしへの恋を証明して見せたのです。
ごほごほとむせながら、私は牡丹を吐き出します。そしてすべてを吐き出し終わった後、薄紫色の牡丹の中にきらりと、銀色の百合が光っていました。
「散るまでそのままにしておくつもりだったのに、摘まれちゃったなぁ」
涙目になりながら、そう零した私の額を、彼は軽く小突いたのでした。
死に至る病ですとも。ええ、こんな出来事、いくつ心臓があったところで足りません。
これからずっと、こんな思いをしながら彼と生きていくのです。
5/3 花吐き病続き
※前に日刊で書いた花吐き病の続き
誰にも言ってはいません。だけれどきっとそれが相応の罰だと思うのです。
誰も望まぬ罰をわたしだけが望んでいるのです。愚かだと罰されてしまいたいのです。
懺悔にも似た気持ちで今日も花を燃やします。目に見える形で私から漏れ出た思いの塊です。
形どったはずのそれは実にあっけなく炎の中へと消えました。縮んで灰になってそれで終わり。
きっと、私の恋もそうだったのでしょう。掘棒でせっせと穴を掘り、その中へと灰を掻き入れます。花廊の隅に埋めていますから、もしかしたらできる花の養分になっているかもしれませんね、なんていう悪趣味な冗談を笑ってくれる英傑は誰もいませんでした。
病状は当然のように悪化しておりました。罹患する方法が恋の成就であるのだから当然です。
私は病状が進行しようと何が起ころうと、今まで通りに振舞っていましたから恋が実るわけがありません。
ある英傑は諦めたように私に問うことをやめました。ある英傑はサトリに相手を探らせようと頼み込んでいたのをこの前見かけています。ある英傑は前よりも必死に私に相手のことを問うてきました。相手のことなど気にもせずに「自分を恋の相手にして欲しい」と志願してきた者もおります。
それらを全て「ごめんなさい」の一言だけで私は突っぱねました。私にとってはこれだけがわたしのものだからです。それを英傑に告げることは、個人であるわたしの恋が、独神である私のものになってしまうことと同義です。
例えば、これで八百万界が平和になる前に私が恋の病で力尽きる、なんていう馬鹿な話であったのなら私も治療を考えたかもしれません。ところが現実はまったくの逆だったのです。
相手を探ることが成功しない彼らが最終的に行きついた結論は、私に好いてもらうことでした。魅力的に思われるよう努めることだったのです。見た目のつくりで心を奪えないことを承知している皆が、分かりやすく私の喜ぶことを考えた結果は一匹でも多くの悪霊を倒すこと、力を示すことでした。強いものが相手の心を得るという、原始的な大自然の掟です。そこに行きついてしまってからは悪霊の勢力はみるみるうちに減らされて行きました。これが私への親愛が成せることなのだろう、とどこか他人行儀に眺めていた記憶があります。
けれどそれは愛情なのです。愛なのです。恋ではありません。恋というのは兎にも角にも身勝手で、ひとりよがりなものだと私は痛切しておりました。
だって、私のために必死になって悪霊を倒す恋しい相手を眺めたところで、この気持ちを吐露する気にはちっともならなかったのですから。
恋仲になった姿を想像したことは?と問われたことがあります。
当然、私は「はい」と答えました。
恋仲になりたいとは思わないのか?と問われたことがあります。
当然、私は「いいえ」と答えました。
ひどく矛盾をした解答に見えて、何一つ嘘は言っていないのです。
恋しい彼の鬼と恋仲になった姿などそれはもういくらでも想像をしたことがありました。けれど、それを彼に強要するつもりは欠片もなかっただけなのです。彼に無理強いをするくらいなら、こんな恋は散って然るべきでしょう。ええ、そうです、散るべきです。わたしの命と共に散ってしまうのがいいのです。
あの優しい鬼を不条理に縛るようなものはすべて、なにひとつ、存在すべきではないと思うのです。
「ぅ、ぇ……。はぁ……、うう……」
さて、何を考えていたのでしたか。
花を吐くというのは苦痛を伴います。牡丹に棘はありませんから気管を傷つけるということはありませんが、ただただ苦しいのです。嘔吐感と喉から異物がせり上がってくる感覚は何度味わっても慣れて楽になるということはなく、むしろ吐く量が増え、吐くまでの期間が短くなっていくので悪化する一方です。これでそのうち息が出来なくなって死ぬというのですから、苦しくなればなるほどもうすぐだと宣告されているようでした。
ああそうだ、彼のことでした。だからまだ嘔吐感が消えないのでしょう。私は諦めて床へと喉の奥に張り付いた花を吐き出そうと咽びます。ただこうして花を吐いていては身と心がもちません。ですから私は別のことを考えて過ごすのです。そうして吐き終わったあと何食わぬ顔をして吐き出したものを片付け、燃やすのです。そこに何の感慨もありません。ただすこしばかり苦しいだけのちょっとした作業と言えました。
例えるのであれば屑籠の中身を捨てるものと似ています。面倒ですがいっぱいになっては困りますから、そう言った意味でも妥当な例ではないでしょうか。なんだかおもしろくなって笑い出しそうになりますが、吐き出されそうになる花がそれを許しません。
花籠か何かをぶちまけたように、辺り一面には牡丹が広がってゆきます。すべて私の口から、わたしのなかから吐き出されたものだと思うと人体はとかく不思議だと思いました。そもそも花を吐き出す奇病が存在する時点で今更なのでしょう。
「ふ、ふふっ」
そろそろ誰かが駆けつける頃でしょう。牡丹を全て拾い集めなければならないというのに、私の口からは花と嗚咽と、そして笑いが漏れていました。このままではいけません。こんな姿を見られてしまっては、ついに気がふれたのだと思われてしまいます。
ですがそれも真実なのではないか、と考え付くと再び笑いがこぼれます。
だってこの世界の存亡をかけた状況で、私は愚かにも恋をし、そしてその恋に殉じようというのです。これで頭がおかしくないと誰が言えましょう。病状の進行的に大丈夫そうだから、などというのは言い訳でしかありません。
このあたまのおかしいおんなは、わたしは、世界と自分だけの恋を秤にかけて、たしかに恋を選んだのです。
けれど、だって、わたしにのこされたものはこれしかないのです。
独神である私はたくさんのものを得ていたとしても、ただの、ごくふつうの、どこにでもいるどうしようもないわたしにはもはや何もないのです。
わたしという自我を証明するものは、これしかないのです。
もしも、わたしだけの恋が誰かに介入され、奪われた瞬間にわたしという存在はたやすく掻き消されてしまうのでしょう。それはもはやわたしではなく、私という独神なのです。
もはや袋に詰められなくなった花を大きい箱の中へと投げ込んでいきます。押し込んだわけでもない牡丹の花はすぐに溢れそうなほどに積み上がってしまいます。
「ほんとうにばかみたい」
改めて見返せば、本当に愚かでした。この箱の中から溢れんばかりに積み上げられた牡丹はすべて、自分だけが知っている彼の姿を体内から吐き出しているのですから。そうして満たされない胸の内の慰めにしているのです。成就させるつもりもないくせに、慰めだけは必要としている。なんと浅ましいのでしょう。
「頭」
「まだ片付けが終わっていないから、入ってはだめ」
「好都合だ。入るぜ」
だめだという制止を聞かずに、むしろ都合がいいと言ってシュテンドウジは部屋へと乗り込んできます。目の前には薄紫色をした牡丹の花々。
彼も何度か目にしたことのある光景です。その時はもっと量が少なくありましたが。
「だめだって言ったのに。うつったらどうするの」
そうシュテンドウジを咎めつつ、急いで牡丹を箱へと押し込みます。空しい思いの形が潰れようと今更どうということはありません。むしろ、この一方的な思いが好きな相手に被害をもたらすことが恐ろしい。
「牡丹、牡丹なぁ」
後ろ手で彼は戸を閉めました。きっと彼も他の英傑のように私を説得するつもりなのでしょう。それか飽きもせずに相手を探るか。
どちらにしても無駄なことです。こんな馬鹿らしい病がうつってしまう前にはやくここから去ってほしいと願うばかりです。それでも彼は、じぃとまだ床に残った花を見つめているのです。
「むかぁし、おれは神鞭鬼毒酒っていう酒を飲んで倒れたことがあってな。その時ちょっとばかし首が飛びかけたことがあるんだけどよ」
この世界のモモタロウが鬼ヶ島ではなく鬼ヶ城を制圧して武功を得たように、私の知る酒呑童子は神鞭鬼毒酒によって眠らせられて不意をつかれ首を取られたといいます。八百万界で平然と暮らしていたシュテンドウジにも、似たようなことが起こっていたとしても不思議ではありません。
「……その牡丹、そういう意味か?」
「言っている意味がわからないけれど」
「ただの牡丹にしちゃあ色が薄いだろ、そいつ。改めて見るとおれの髪の色に似てるよな」
ぐしゃりと手の中の花が潰れました。知らないうちに力が入ってしまったのでしょう。そして、そのことをシュテンドウジが見逃してくれるわけもありません。
「白でもない、桃でもない。だがよくある紫にしては色が薄い。……ま、花なんざそれこそ数えらんねェほど種類があるだろうさ。でもおまえが動揺した、ってなるとそういうことだよな」
そんなことは許されません。誰であろうと、わたしの恋をつまびらかにしてしまうことを許容することはできません。それが例え恋する相手だとしても、許されないことです。
だってそうでしょう。この次の台詞なんて、いくら愚かでもわかります。
「おまえ、おれが好きだろう」
なんて、なんて自信過剰な言葉。男前だから許される言葉です。そして何より、正解だから彼は許されるのです。そして許されないのです。シュテンドウジはパンドラの箱の蓋をこじ開けてしまったのです。それは許されない罪でしょう。わたしがしまい込んだそれを引きずり出して、正解に辿り着いてしまったのです。でなければ私が死んでしまうから、という理由で。
なんと尊い献身でしょう。なんと憎い献身でしょう。私を思っての行為が、わたしの恋を暴き、殺すのです。ですが、それが罰なのかもしれません。
しらばっくれることはもう無理でしょう。わたしは笑みを漏らします。
「そうだとして、どうするの」
シュテンドウジが今私に向けて恋を差し出したとして、わたしはそれを信じることはできません。情けではわたしの恋を実らすことはできないのです。そして、恋が実らなければこのふざけた病が治ることはないのです。
ですので、どのみち私は助かることはありません。恋を暴くだけ、すべて無駄なのです。だけれどシュテンドウジは私の恋を暴いたのです。気付いて貰えた嬉しさと、この後踏みにじられるのだという虚しさ、それらが私の中で渦巻いていました。
「やることなんて一つだろ」
ほら、やっぱり。
「命を盾に恋の成就を強請ったところで、それは本当に恋が実ったと言える?」
心優しい私ではなく、愚かでどうしようもないわたしがついに首をもたげてきました。一番知られたくない相手に知られてしまったのですから、やむないことでしょう。
「おれは、前から頭が好きだったぜ」
「知っていますよ。皆、私のことを好いてくれていることくらい」
「そうじゃねェ。おれは……」
「言葉ではどうとでも言えるでしょう?」
決定的な言葉を聞きたくなくて、私はシュテンドウジの言葉を遮りました。どんなに言い訳をしても、結局のところわたしは、目の前で恋が殺されるところを見たくはなかったのです。
このままいつか散ることを最初から決めつけ、そうなるのだと最初から覚悟していましたが、身勝手にも目の前で無残に散るというのは耐えられません。
「じゃあ、証明できたなら、おまえは認めるんだな?」
「シュテンがわたしに恋をしていると証明すると?そんなこと、できるわけがないでしょう」
恋なんて目に見えないものをどうやって視覚化するというのでしょうか。屏風から虎を出すような話です。
「いいや、できるぜ。見てろ」
シュテンドウジはそう言うと、こちらに歩み寄ってきます。一体何をするつもりだ、と彼の方を見ていたのが間違いだったのでしょう。
彼の目的は私などではなかったのです。シュテンドウジの目当ては私ではなく、私の手元にあった物体。私が散々吐き出した花にありました。
私が止める間もなく、彼はそれを手に取ります。
花吐き病の感染方法は、感染者の吐いた花に触れること。彼の無防備な指先は、生身の肌は確かに私の吐いた牡丹に触れていました。
「なにを、なにをして……」
こんなくだらない、取るに足らない病にシュテンドウジを巻き込むつもりなどなかったのです。彼を縛るつもりなど無かったのです。消えてしまいたいと思いました。ですが、何よりも、どうすればよいかわかりません。シュテンドウジを花吐き病から救うには彼の恋を成就させる必要があります。私には彼が誰を思っているのかなんて、さっぱりわかりません。きっと独神のことは好きだというのは分かりますがそれだけです。
「言ったろ。証明してやるって」
そのままシュテンドウジは持っていた牡丹を、まるでそれが花を模した菓子でもあるかのように口の中へと含みました。何度かの咀嚼ののち、彼はそれを躊躇うことなく飲み込みます。
「そんなことのために、どうして」
花吐き病はふざけた病ではありますが、死に至る奇病でもあります。できるかわからないもののためにそんな恐ろしい病に感染するなんて馬鹿な話があるでしょうか。
「なぁ、おれが好きだって言ってくれよ」
そんな病になったというのに、彼はけろりとしてそう言うのです。この後、自分が勝負に勝つといわんばかりに。
「花吐き病になったやつは、恋が実ると銀の百合を吐きだして完治するんだろ?それでおれが銀の百合を吐いたなら、おれの恋は実ったことになるわけだ」
「そんなの、もしもだめだった場合を考えたことはあるの」
「おれの頭に対する思いが恋じゃなかったら、その時は、そうだなァ」
なんてことのないように、彼は瓢箪の蓋をあけながら、言うのです。
「そん時は頭の恋をかなえてやれねェが、代わりに一緒に死んでやるよ」
まるで告白です。こんなひどい話があるでしょうか。彼は、彼は独神の、私の為に死ぬというのです。わたしの最大の恋敵である独神の為に、命を捨てると。
「恋をしたわたしは独神ではないのに?」
「そりゃそうだ。立派な頭をやってるやつが恋なんかするかよ。ただの愚かなふつうの、どこにでもいるようなおまえのために、もし駄目だった時は死んでやるって言ってんだ」
酷い、本当に酷い男。もしもシュテンドウジが銀の百合を吐かなかった時、わたしがどんな気持ちになるかなんてわかりもしないくせに。
「あなたが、好きなんです」
喉の奥から再び牡丹がせり上がる感覚に襲われながら、彼の望み通りの言葉を吐き出しました。
こんなもの、勝てるわけがありません。もう、だって、口からは彼への思いが物理的に花となって溢れそうだというのに。
「おれもだ」
そう微笑む彼のなんと美しいこと。
一拍おいてシュテンドウジの口からは銀の百合がこぼれました。彼は本当に、わたしへの恋を証明して見せたのです。
ごほごほとむせながら、私は牡丹を吐き出します。そしてすべてを吐き出し終わった後、薄紫色の牡丹の中にきらりと、銀色の百合が光っていました。
「散るまでそのままにしておくつもりだったのに、摘まれちゃったなぁ」
涙目になりながら、そう零した私の額を、彼は軽く小突いたのでした。
死に至る病ですとも。ええ、こんな出来事、いくつ心臓があったところで足りません。
これからずっと、こんな思いをしながら彼と生きていくのです。
5/3 花吐き病続き