これ以上の適任はいないと、彼は笑っていた。

「そうだな。期間は頭に好きなやつが出来るまででいいだろ。都の貴族どもに悪鬼のお手付きを拾う勇気なんざねェよ」





ことの発端は八百万界の平和が目前に迫った頃。英傑を束ねる独神という存在がもうすぐ不要になる、という時に起こった。
なんと都から独神に対して縁談が届いたのだ。
独神は”神”とついてはいるものの神族に分類される存在ではない。性質上はこの八百万界に多く生きる人族に近い存在だ。神域なるものを持っているわけでもないし、それらは他者あるいは八百万界から用意された物であって独神と呼ばれた存在自身がどうこうしたわけではない。
神族ではなく、子を成せる存在であるのならその血を家系に入れたいのだと、つまりはそういうことだった。縁談と言えば聞こえはいいが、実際のところは得体の知れない何かに首輪をつけたいと、そういう意思が見え隠れするものだ。
更に面倒なことにその相手というのが人族の中でも相当な権力者で、あのヒカルゲンジよりも内裏で発言権を持つような男だという。正面から素直に断れば面倒なことになるに決まっている。
かといって男を排除してしまうような冷酷さを独神は持たない。一声かければ忍の面々がそんな身の程知らずの男をこっそりと始末してしまうこと、何も言わなくても他の英傑がそうする可能性があることを知っているので冗談でも口にはしなかった。
独神自体に恋人も思う相手もいない。だがこのままでは問題なく断るというのは難しい。無理やり失脚させればいいのでは?と言った英傑は両手で足りないほどである。



悩みに悩んだ挙句、案に上がったのが、『独神が英傑の誰かと結ばれたことにする』というものだった。すなわち偽装結婚だ。誰か一人に頼み込んで文字通り敵を騙すなら味方から、で他の英傑にも内密にしておくことにした。どこから外に知れるか分かったものではないからだ。
相手を選出するのにあたって、まず神族の面々が除外された。神の前で誓うのは万が一のことがあった場合独神の自由を奪いかねない、という判断だ。
次にその偽装結婚の間に、普通に好きな相手が出来たときの場合を考えて人族の面々も除外した。ただ人族に離縁されただけでは独神に再び縁談話が届きかねない。よってボツだ。
そんな相談をしている時に現れたのが八傑のひとりでもあるシュテンドウジだった。
都を荒らしていた鬼ということもあり、貴族たちに対する威嚇は十分で、かつ万が一離縁したとして「まぁあの大江山の悪鬼酒豪だからな」で終わってしまう素行の悪さ。加えて元々独神との距離が近く、もしも相手が事前に密偵なりを送り込んでこちらの事情を探っていても違和感を与えることがない。
不本意そうだったがカァくんすら「協力してくださるならシュテン殿以上に心強い方はおられないのではないでしょうか」と評価する程度の好条件。
いやでも、と渋る私を他所にカァくんは彼に事の経緯を説明してしまう。
シュテンドウジは「くだらねェ」と吐き捨てることはなく、むしろ協力的で、自分から「おれ以上に適任はいねェよ」と笑ったのだ。そして冒頭の言葉である。

「おれとのことは将来好きなやつができたときに活かすための練習とでも思ってりゃいい。頭が恋を覚える頃には、都のやつらも諦めてんだろ」

そこに愛や恋の熱を感じない、淡々とした言葉だった。





偽装結婚生活が冷めきっているかと言われれば、むしろ逆だ。
シュテンドウジは独神に執心しているように振る舞い、朝帰り一つしないどころか、夜には兵舎から移った八尋殿の一角に戻っている始末。
独神の定位置を自身の膝の上にしたりだとか、遠征に出かけた帰りに酒ではなく独神への土産を買って帰ることは序の口。英傑と親しくし過ぎれば分かりやすく嫉妬をして見せたりだとか、一言で言えば”すごかった”のだ。
かといって嘘であるため一切手は出さない。けれど別々に寝ていれば不審がられるので同じ布団では寝る。最初そのことにほんの少しだけ戸惑った私に対してシュテンドウジは「何もしねェよ。そういうのは好きなやつにしてもらえ」と頭を撫でただけだった。頬にすら触れはせずに、そのままこちらに背を向けて布団に潜ってしまったのだ。今では背を向け合ったまま眠っているわけではないし、寒い時は身を寄せ合っていたり、起きたときには抱き合っていることも珍しくはない。
まるで恋や愛のきれいな部分だけ抜き取ったような、そんな経験を私にさせてくる。枯れた土地を丁寧に耕して、種を蒔いて、肥料と水をやる行為。
なんて悲劇だろうか。あの時カァくんを黙らせておくべき、ないし自分の信念を曲げてでもあの男を亡き者にしてやればよかったのだ。


「何をしてやがる」

昼間に確認しきれなかった分の仕事を部屋へと持ち込むことは別段珍しい行為ではなかったけれど、シュテンドウジと偽装生活が始まってからは却下されていた。今回は彼が珍しく長湯をしている間に、と思ったのだが間に合わなかったらしい。

「いや、ちょっと文を読んでるだけで」
「どうせろくな内容じゃねェだろ。明日にしとけ。寝るぞ」

手に持っていたそれを奪い取るとシュテンドウジは適当に放り投げる。いや、どうせ都からのご機嫌伺なので雑に扱っても問題はないのだけれど。
そうして彼は私を軽く持ち上げると文机の近くの灯りを吹き消し、布団の上に軽く下ろした。枕を二つ並べたそれはもう見慣れたものだ。

「なぁ、あー……」

私を布団へと転がしたシュテンドウジは何かを言おうとして、躊躇う。

「なに?」

そのまま流すのは簡単だけれど、その時が来たのかもしれないと私はわざと問いただす。
種を蒔いて肥料と水をやったのは彼だ。収穫するなり間引くなりをするのならば、彼がするのが筋だろう。

「縁談、あの後どうなった。なんかしら来てたりしねェの?」
「いいや、来てないよ。そのまま放っておかれてるのかもしれない」

それを聞くとシュテンドウジは心なしか安心したように「そうか」とだけ返事をした。一体何が気がかりだったのか、私には分からない。

「寝るか」

普段通りの声に促され、私はシュテンドウジの腕の中に収まった。何日目からこうなったのか、覚えてはいない。それでも恋人同士のするような睦み合いの類も気配も、ここからは一切しないのだ。


実のところ、とっくの昔に例の貴族からは「なかったことにして欲しい」という旨の手紙を受け取っている。権力者の上位がそうやって手を引っ込めたのだ、他の貴族たちも右に倣うだろうということは私だって分かっている。だから、この関係は本当はもう必要が無い。

『頭に好きなやつができるまで』

あの時のシュテンドウジの言葉がぐるぐると頭の中を巡っている。
彼の育てた恋が、私に嘘を吐かせていた。


10/19 ごっこあそび