天国と美しき愛の幕開け


※30X話前提。


 潮風が冷たくなってきた。時間の経過を嫌でも感じて、私は顔をしかめる。
 臓物島の糸色家に用事があってやってきた私は身を襲う寒さに立ち止まって、なんとか耐えた。雪でも降りそうな寒さだ。
 早く用事をすませて、さっさと帰りたい。
 素早く糸色の家に向から道中、私の目にとある着物を着た女性が、橋の向こうの木の下に立っているのが入ってきた。
 知り合いの女性だ。一瞬、声をかけようか迷う。親しくないとか、嫌いだとかいう訳ではない。ただ、彼女は私があまり関わらないようにしている糸色家の人間だった。
 ……どうせ、糸色の家に行くためには橋を渡らなくちゃいけないんだから、声をかけることにした。知らぬ振りをすれば、後で糸色家で顔を合わせた時にも気まずいし。
 女性の顔を確認するために、競歩選手ばりに歩いていた足の早さを元に戻す。
 すたすたと歩いていけば、私の足音に気付いたのか女性が顔を私の方の向けてくる。

 「こんにちは」
 「あっ!名前さん、こんにちは〜」
 「えっ」

 にっこりと笑い、朗らかに私に挨拶をしてくれた女性を見た私はすぐに、この人は望さんの妻だとすぐに気付く。
 固まる私を物ともせず、彼女が手を振りながら、こちらへ近付いてくる。
 望さんの妻という存在は、一見したら分からない。誰なのか、全く。けれど、口を開いて言葉を発したらすぐに分かる。彼女が持つ朗らかさというか溌剌さというかポジティブさが伝わったくるのだ。
 人懐っこい子だからか、口が上手いからか、彼女と一緒に糸色の家に行くことになった。
 なぜ、あの場所で立ち止まっていたのかをきけば、景色を眺めていたらしい。毎日、過ごしている所でも、季節が変わったら景色が違うように見えるからかな?

 「名前さん、海を見に行きませんか?」
 「今から?」


 海へ来た。
 誘いを断わる理由も無いし、用事があると電話した際に指定した時刻はまだ先だったし。
 しかし、冷たい。潮風に立ち止まって身震いをさせていた人間が、こんな潮風が吹きまくりな海に来ちゃいけなかったんだ。
 固まる私とは違い、彼女は楽しげに海を眺めている。寒くないのかな。

 「海、好きなんです。だから、結婚式は海が見える式場でしたかったんです」
 「いいねえ」
 「この間も、あそこで結婚式をしたんですよ」

 あそこ。
 彼女はそう言って、崖の方に建っている教会を指さす。
 知っている。この前、望さんが式に来ないかと電話で尋ねてきたから。
 あまりにも突然で、仕事を休めず、不参加にした。かつて、一回、二回くらい式に参加したことがある。こう……、まあ、結婚式といった感じの式であった。
 式の様子を思い出し、目を細める私に彼女が笑いかけてくる。

 「またやることになったら、ぜひ来てください」

 結婚式。
 望さんと彼女の結婚はあと何回行われるのか考える。
 この島に、望さんと彼女について取材をしにきた女性の記者が通っていたという。私は会ったことが無い。女性の記者はどうも、望さんの妹の倫さんが案内をしていたらしい。
 ……彼女は海の荒れがひどい中、舟を無理矢理を出して、水難事故にあって死にかけた。
 しかし、ここで素早く治療を受け、臓物島にいる女性たちが彼女に血を与え、女性の記者は一命を取り止めたときいた。
 助かって良かったのか? なんて思ってしまう。良いことであるはずなのに。

 「……あの、そろそろ、旦那さんの元に戻りましょうよ。体に良くないです」
 「そうですね。ね、一緒に行きましょうよ」   
 
 これまた一緒に帰ることになった。断る理由がないので、頷くしかなかった。


 糸色の家に着くと、大きいお腹の女性が出迎えてくれた。彼女がにっこりと笑う。

 「名前さん! どうぞ、いらっしゃいませ」
 
 望さんの妻だ。やはり、いつ会っても朗らかで溌剌としている。ばっと隣の女性を顔を向けた。目と目が合い、さっと目を逸らす為に頭を下げる。そして、理由をつけるように、私は隣にいる女性に元気よく挨拶をした。
 この場にいたくない。
 率直にそう思った。私はそそくさと靴を脱いで、冷たい家に上がった。

 「海、きれいでしたね。また行きましょ」
 「はい。良いですね……。望さんはどうしましたか? 貴女の傍にいないなんて……」
 「主人はお仕事をしていて、どうも手が放せないみたいで〜」
 「仕事?」

 彼女と結婚して何もかも止めたと、勝手に思っていたのだが、どうやら違ったみたいだ。一体、何の仕事をしているのやら。
 家の奥へと導かれている間、家の中を観察すれば、相変わらず人の気配が多い。……しかし、また新しい人が増えるとは考えなかった。子供が増えるのは覚悟していたが、そっちの方は全然だ。
 私は知らない背中を憂鬱とした気分で見つめる。
 だから、糸色望には関わりたくないのだ。
 長居してもしなくても、どちらにしろ複雑な嫌な気持ちを抱かせられる。
 用事が早く終わりますように、強く願いながら、寒々しい廊下を黙々と歩いた。




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