しち



 恐ろしいほど、時勢は変わっていく。
 京は揺らぎ、町民の間では、緊迫した空気が隠されることなく漂っている。


 事前に呼び出された時間に館へ行き、案内をされれば、上の男が部屋に一人でいた。
 上の男は私に一つ大きな暗殺の依頼をしてきたが、かなり危なそうだから断った。町で一度見かけたが、一目見ただけでまずいと分かる女を連れている男を、殺したくはない。
 上の男はそうかとすんなり頷く。

 「当刻が帰ってくるようにと言っていた」

 暗さの目立つ部屋で、初めて会った時よりも老いた男が言う。

 「……まだ仕事はありますよ」
 「そうだな。あいつ、もう殺しは流行らねえのに、次を探してやがる」
 「……」
 「村に帰らなくたって、何ら問題ないだろう」
 「まさか、貴方がそんなことを言うだなんて思いませんでした。長く付き合うものですね」
 「おめえが小せえ時から知ってるからな」

 自虐が滲む苦笑を男が作る。
 私は何だか複雑な気持ちになった。これまで淡々と殺しの依頼をしてきた男が、まるで心のある人間のようなことを言い出した。さっきまで私に殺しの依頼した男が、掌を返した様子で村から出ることを勧めてくる。人という生き物は、環境が変わると、変化が起きるのか?

 「……ま、こちらとしては、色々考えていますよ。ご心配なく」

 罠かもしれたい。これは、当主から指示をされている可能性がある。
 それに当主は母に拘っているのだから、代わりにした私が逃亡しても、後を追ってくるだけだ。
 私には茂がいる。まだ、あの子は幼い。小さい手足で歩けるようになったが、自身に危機が迫った場面でまともに走れる年ではない。
 私が茂を連れて逃げたとする。当主が追いかけていて、追いつかれたとする。で、殺し合いになったとする。
 私は茂を守り切れるだろうか。
 一度、刺客か暴漢か分からない者を投げ飛ばしたことがある。茂を抱えながらの戦いは、大変だった。
 殺しの腕には自信がある。……自信を持つことではないけど。
 一対一なら勝てる。
 当主が使う武器もわかっている。
 ……茂を抱いて、あるいは背負って、武器を上手く振り回せるだろうか。
 片手が使えない。肩が上がりきれない。茂の重さに慣れていない体で、いつも通り動けるか? 1いつも通りに動いたら、茂が飛んでいってしまうかも。
 そして、もし、私が当主に負けて、殺されたら、今度はきっと茂が母の代わりにされる。
 母の代わりなんて、誰にもなれないのに。

 「どうした?」
 「いえ、何も」

 上の男から目を逸らして私は答える。どうするか。決断する日は近付いてきているのに、私はまだ迷っている。

 そして時は勝手に過ぎ、私が殺せるかと伺いを立てられた男二人は殺された。
 何故か左之助に疑いがかけられて、当主の仕業かと焦ったものだ。色々あったらしいが、とにかく左之助は冤罪だった。これだけは確かな情報である。
 左之助は落ち込んだり、緊張していたりと、この所忙しなかったが、今はとりあえず落ち着いている。何があったのかは知らない、というより、言えないといった雰囲気だ。
 落ち着いて良かった、なんて安心していれば、左之助はしばらく留守にすると宣言し、本当に帰ってこなくなった。
 何故は分からない。そして、深入りも出来ない。お互いがお互いのことに首を突っ込んだら、危険だと理解しているからだ。だからずっと分からないままである。
 ひとまず待っていれば、帰ってくるはずだ。私は茂と、左之助の不在を聞きつけてやってきた友人と過ごす。この友人の扱いにもだいぶ慣れてきた。来てくれるのはありがたいけれど、体を大切にしてほしい。
 友人は自分の夫について、よく話してくれる。そして、左之助の話をしてくれと頼まれる。
 どことなく、友人は私の母と似ている。似ている所は、夫に夢中な所だけだが。それ以外はどこも似ていない。
 お互いに様々なことを教え合う。

 「ほな、また明日」
 「うん。気をつけて」
 「近所やから平気や。そろそろ七日も経ったんやから、原田さんも帰ってくるやろ。……新撰組があないなことをするなんてなあ」
 「よしなよ。……体に悪いから、寄り道しないで、早く帰ってね」
 「あんがとさん。茂くんも、ほなね」

 暗くなる前に、友人が近くの家に帰って行く。
 茂は友人がやってきた初日、帰ろうとした友人に泣いて帰らないよう叫んでいた。今はまた朝になれば会えるだろうと平気な顔をして、友人に手を振っている。
 もう全てをやりきり、あとは寝るだけだ。左之助は、いつ帰ってくるのだろう。死んだとしたら、もう京の町中に、新撰組の原田左之助が死んだという驚きが駆け巡ってくる頃だ。だが、実際の京は、油小路についての所業でもちきりだ。原田も左之助も聞こえてこない。つまり、まだ死んでいないということだ。と思う。
 茂がついに「ととはどこ?」なんて、不思議そうな顔で言い出した。仕事だと返したが、このまま帰ってこなかったら、どうなるんだろう。
 灯を消した部屋、同じ広い布団で眠りについた茂の寝顔を見て、色々考える。自分について、家族について、当主について。
 ── そうして、気配を感じて、私の意識はすぐにはっきりと浮上する。
 どうやら、いつの間にか寝ていたようだ。気配を探りながら、自分を冷静に顧みる。
 ……出入り口に、いる。
 二人で寝るのに十分な広さの部屋、布団を敷いて寝そべっている茂と私。唯一の出入り口に背を向けているから、気配の主は見えないが、おそらく左之助だ。
 知りもしない気配であったのなら、侵入者が家の外の戸に手をかけた時点で目を覚ましている。そういう風に出来ている私が、大人しく横たわっているのは、私が慣れている相手だという証拠だ。私が慣れている片手だけで足りる。
 相手だって殺気はない。そして、同じ部屋にいるのに襲いかかってくる素振りもない。静かな、隠すような呼吸の仕方。私も良く使用する呼吸の方法。

 「左之助」

 確信を持ったまま、相手の名前を呼ぶ。
 半分体を起こし、気配のする背後に顔を向けた。
 案の定というべきか、感じた気配通りの左之助が、真っ暗な部屋の出入り口に、幽霊のように俯いて立ち尽くしていた。
 赤い髪は、暗闇でも分かる。
 俯いているせいで、左之助がどんな表情を浮かべているのかは分からない。私が名前を呼んだ瞬間、ぴくりと体が動いたのに、顔を上げたり、部屋から出て行く、みたいな行動を起こす気配がない。ただ、立っているだけだ。
 ……そうだ。なんで左之助は私と茂の部屋に入ってきている?
 何が火急の用でもあるのか? ……あったのなら、今のように直立していないで、私を叩き起こすはず。
 新撰組で色々あったから部屋を間違えた? 自分の部屋だと思って入ったのに、私と茂が布団で寝ているのを見て、動揺している?
 色々考えてみるが、正解がわからない。私は、左之助じゃないから当然か。どうしたのか、尋ねてみよう。
 いや、それよりもまず、この寒さから袖の無い左之助を助けてやらないと。

 「入っていいよ」

 もそもそ茂を起こさないくらい静かに、寝ていた場所から移動する。幸い、ゆっくり寝れるようにと、特別に広く作ってもらった特製の布団だから、背の高い左之助が入ってきても大丈夫だと思う。今私がいた所でいいだろう。丁度、私の熱で温かいはずだ。
 穏やかに仰向けで寝ている茂の右側から、左側に寝そべる。左之助に茂の左側を譲る……。いい案だ。
 そうして左之助の方を見れば、驚いたような、呆気にとられたような、どちらともとれる表情で私を見ていた。俯くのは止めたらしい。
 やつれたかな。目の下に隈が出来ている。かなり疲れているみたい。
 左之助の顔を確認できた私は、自分でも驚くくらいに深く安心していた。それに気付き、そして納得する。なんだ、私、左之助のことを、すごく心配していたんだ。ずっと帰ってこなくて、不安だったんだ。私って、左之助を、近しい人間だと思っている、

 「……遠慮しなくていいから、ほら」
 「……な、なに、言って」
 「一緒に寝よう。茂が起きないうちに、早く」


 「こうして思い出したんだけど。よく姉さんとお兄ちゃんがこうやって添い寝してくれたな……」
 「……」
 「あ、お兄ちゃんは、六番目の兄ね。……二つ年が離れているだけなのに、何でも出来てさ、
四番目のお姉ちゃんと、一緒に色々なことを教えてくれたっけ」

 暗器の使い方。息の殺し方。特徴的な武器は、跡が分かりやすいから、使わない方がいい。……結構覚えているものだ。意外かも。
 ……いや、一番上の兄がよく言っていたことをなんだかんだ覚えているんだから、そんな驚いたり意外に思うことじゃないかも。
 左之助は布団に入るのを誘った私に戸惑った反応を見せたが、想像とは違い、無口なまま布団に入ってきた。
 てっきり何言ってんだと呆れられて、自分の部屋に帰って行く想像をしていたから、自分てやっといてなんだけど、予想外であった。
 勿論、一緒の布団に入って寝るつもりで誘ったから、乗ってくれて嬉しいけど。
 大丈夫かなとしんぱいしていた布団の広さは、割と余裕があった。思ったより左之助が細かったのか、思ったより布団の広さがあったのか。
 前に何回か酔った左之助に布団へ連れて行かれた時は、ちょっと、団子状態じゃないと三人で寝れなかった。あれもあれで楽しいけど。
 左之助は尋ねられたわけでも無いのに、過去の話をし始めた私を止めたりせず、複雑な感情が見える真っ黒い目でこちらを見てくる。
 悲しみ、苦しみ、後悔、それから私には存在しない感情、だろうか。
 ……油小路で、色々あったんだと勝手に想像してしまう。なんたって、……平助が、新撰組に、殺されたのだから。あんなに仲が良かったんだから。……なんで、新撰組は平助を殺したんだ? 殺してしまうほど、平助が邪魔だった? それとも知ってはいけない真実を知った? ……左之助に聞けば、左之助がどうなるか分からない。傷付いているところを、更に傷を深めたくは無い。

 「あのさ。……今まで、どこにいたの? 屯所?」
 「……お前の想像している通り、屯所だ。やることが山ほどあって、今の今まで、それの処理をしていたんだよ」
 「そ、疲れた顔を、してるわけだ」
 「……疲れているように、見えるか」
 「それなりにね」

 寝ている茂を起こさないような、小声での会話が続く。これも、独り言として処理されると思っていたのに。左之助が、恐々といった手付きで、茂に触れる。

 「……こいつも、でかくなったな」
 「ふっ」

 その言葉に思わず吹き出す。左之助が酔っ払った際に、しょっちゅう口にする言葉だったから、つい。

 「んだよ」

 私の反応に、左之助は眉を上げ、少々声を大きくする。そりゃあ、そんな反応にもなる。
 いやいやと、私は自由な方の掌を、布団から出して左之助に見せる。

 「ごめん。酔うと、今と同じこと言うから」
 「……そんなに同じこと言ってんのか、俺」

 泥酔すると、記憶がなくなる欠点を自分でも分かっている左之助は、私の証言に強めた語気を落ち着かせる。

 「ま、確かに、茂は大きく成長しているよ。ありがとね、左之助。あの日、私と茂と受け入れてくれて」
 「改まって、なんだよ」
 「兄と姉たちに言いたかったことを、言えなかったなって思い出せたから。そういえば、左之助に、きちんとお礼を言えてなかったなーって」

 死んでいった家族にはお礼も言えなかった。言いたかったこと、一緒にやりたかったこと、知りたかったことがたくさんある。しかし、もうみんな死んでしまったので、誰にも伝えられない。家族について考えることが多くなってきた今だからこそ、左之助にお礼を言いたかった。
 もう、お互い、どうなるか分からないし。言える時に言っておいた方がいいと判断したのだ。
 左之助は目を伏せる。温かくなって、だいぶ眠くなってきたのかな?
 私も眠りにつかうかと、目を閉じようとする。

 「………………俺は、お前と、茂がいて、良かったよ」
 「──」
 「……もう、寝る」

 小さな、静かな部屋だから、聞こえたんじゃないかってくらいの声。
 左之助の声が形を作った言葉に、私は反応が出来ず、固まってしまう。
 体に掛けられている布団へ、顔を埋める左之助。赤い髪が、左之助の動きに合わせて流れる。

 「……」

 さっきのは、本当に、左之助が思っていること、なんだろうか?
 ……私と茂に対して、本当に、そう思ってくれているとすれば、より長い付き合いで、親友もいる新撰組は、もっと、大切なものなんじゃないのか?
 ……大切なものが、徐々に綻び、失われていく。
 それはとっても、耐えられないものだ。私にとっては、そうである。
 視界に揺らめく過去から逃れる術を、私は知っている。目を閉じ、ひたすら朝が訪れるのを待つ
のだ。どんなに誘惑が襲ってきても、誘惑が魅力的だとしても、

 現実と本懐が鬩ぎ合う中、私の内側の如く、世は荒れて行く一方であった。
 新撰組は何やら動いているらしく、左之助は夜遅くに帰ってきたり、もしくは帰らない日が増えた。
 友人の旦那は、行方が分からなくなっていて、毎日不安そうだ。体はだいぶ安定してきているが、注意が必要だ。自分が不安でいっぱいだというのかに、それでも、私と茂を心配してくれる。強い子だ。
 私は……、左之助の様子を見て、当主に手紙を送ってみたり、渡しそびれていたお守りを出してみたり、まさの実家に顔を出しに行ったりと、忙しなく過ごしている。
 蓄えを確認してみたら、かなり増えていた。
 あともう少しで、茂たちを養うのに十分な額になる。……その前に、大きな戦が始まるかもしれない。それほど、今の京は危うい状態に置かれている。
 上からも危険だと連絡が入って以来、連絡は来ていない。
 ……私には、殺ししか取り柄がないと、ずっと思っていた。生まれた村だ村だ。だが、菅原まさとして過ごした経験は、それだけしかないという思い込みから私を解放してくれた。私は、料理が出来る、裁縫が出来る、洗濯が出来る。普通のフリを思ったよりも熟せる。まさには感謝をしている。勝手に成りすましたことを、申し訳なく思うくらい。
 私には二つの道がある。
 普通のフリをして、兄の言い聞かせてくれた言葉を、これからも心に残して行くか。それとも……、本懐を遂げるか。
 金銭が十分に貯まる頃には、もう結論を出せるものだと悠長に構えていたが、いまだに私は迷っている。

 「入っていいか?」
 「……どうぞー」

 いつの間にか帰ってきていた左之助が、襖の向かうから声をかけてくる。
 さっと茂がぐっすり眠りについているのを確認する。そして、お守り。買ったのはいいが、渡す機会が無く、どうせ渡すなら友人が言っていた、お守りの中に紙を入れる、という悪戯でもしようかと考えていたのだ。そのお守りを隠してから返事をする。
 ……なんか、私って左之助には、まさではなくるるとして接しているな。私が菅原まさではないと知っている左之助に、まさとして振る舞うのって、なんか気まずいし、恥ずかしい。

 「おかえりー」
 「……おう。いま、帰った」

 左之助が疲れを滲ませた顔で私の部屋に入ってくる。いつになっても、おかえりを返す時に、一瞬躊躇うのは変わりない。
 そこらへんにあった座布団を引き寄せ、左之助に手渡す。
 その座布団を受け取り、畳の上に置き、左之助は素直に座る。

 「で、どうしたの? なんの用?」
 「……今からする話は、他言無用だ。……遅かれ早かれ、分かることだがな」
 「分かった」
 「もうすぐ新撰組は伏見に向かう。……俺は、あいつらに付いてくつもりだ」
 「お……」

 思わず感嘆の声を上げる所だった。
 初めて会った時、外見以外なんの特徴もない伽藍堂みたいなら男だったのに、自分の意志で決断している。何で左之助の意志かと勝手に思ったのか。もう幕府はあれだし、新撰組に監視するような価値はもう無いからだ。わざわざ付いていく必要のない人たちに付いていく。それはもう、その人たちと一緒にいたいという強い意志だ。
 危なかった。幸い、左之助は自分のことで精一杯といった様子だ。私の思わず出た声が耳に入っていない。良かった。

 「……お前と、茂は、ここに残れ」
 「……ま、そのつもり。茂はまだ小さいし……」

 左之助から言われたことにすんなり頷く。幼い茂に長い時間の移動は無理だ。

 「じゃあ、左之助はもう私に協力しなくていいってことかあ。今までありがとう。いつ頃に伏見に行くかは分かる?」
 「……十二月十一日。……協力。そういや、そんな話だったな」
 「十二月……。もうすぐだね。それまでは、ここに帰ってくる? それとも屯所で作業?」
 「……場合による。今日は帰ってこれたが……、明日は帰れねえ」
 「なるほどー。うん、他もわかったら教えてね」
 「あとは……。その日になったら、当面の生活費を渡す」
 「金……。……今日は、もう、ご飯は食べた?」
 「食ってきた」
 「ん、良かった。今日もお疲れ様。もう寝ちゃいなよ。あ、また一緒に寝る?」
 「……」

 嫌がってなさそうだったので、これまた押し切った。
 ここで一緒に寝た時、楽しかったのでまたやれる機会があったら、やりたいと思っていたのだ。
 わくわくする私とは違い、左之助は体を固くさせている。緊張しているのだろうか。何、どうした?
 布団にいる左之助のことを、じ、と見ていれば、意を決したような空気で、左之助が口を開く。

 「なあ、るる。茂を、守ってやってくれ」
 「……そんなの、言われるまでもない。私の甥だし」
 「……俺の息子みてえなもんだから、頼んだっていいだろうが」
 「……そうだね。うん。守るよ、私が。……どんな、ことを、してでも……」

 噛み締めるように言い切り、いつの間にか逸らしていた目を、左之助の方へと戻す。
 私は左之助の様子を窺う。左之助は私の決意に、なんて、言葉を返すのか。
 初めての殺しの場ですら、早まらなかった鼓動がドッ、ドッ、ドッ、と早まってくる。
 左之助は知らないが、これは、私の、決意表明だ。
 真っ黒い瞳とかち合う。左之助が、安心したような、悲しいような、色々と入り混じった表情を浮かべている。
 その目。
 いつかの、にいと重なる。
 ──人の命は大切なものなんだ。
 大切に心に残している言葉を、ずっと考えてきた。
 人の命は尊い。その尊い命を奪っている私は、報いを受ける、必ず。
 あいつだって、私の家族を殺したのだから、報いを受ける。
 ……当主は、私の母の面影を求めている。
 四番目から六番目。六番目から七番目。死んだら次を体現しているような男だ。もし、私が死ねば、次は茂が面影を探されてしまうだろう。
 当主からの手紙を読む度に、気持ちの悪い当主の言葉が、私の怒りを刺激する。
 腑が煮えくり返りそうになる。
 徐々に過去を思い出していき、ただでさえうるさい鼓動が早まる。うるさく早く動く心の臓。
 左之助が自由な方の腕を動かすのが見える。手がこちらへ伸びてきて、視界に影が差し、私の頭か耳か頬か曖昧な箇所に触れる。……。熱だ。生きている、左之助の熱を感じる、肌から。
 戸惑う私を、左之助が、じ、と見つめてくる。
 その真っ黒い瞳を見つめ返せば、自然と落ち着いてきた。難しく思えていた呼吸が滑らかになる。

 「……んで、取り乱してんだよ。……落ち着いたか」
 「うん……、ごめん。大丈夫」
 「お前は、言ったことを必ずやり遂げられる奴だ。しっかり胸張れ。……茂を頼むな」

 ……左之助に頼まれた。
 ……頼まれたのなら、腹を括るしかない。
 茂を守る。どんなことを、してでも。
 


 そして来る、十二月十一日。
 左之助は慌てた様子で帰ってきたかと思えば、私に何かを包んだものを渡してきた。そして、側にいた茂の頭を少し撫でた。

 「行ってくる」

 一言だけ告げて、行ってしまった。
 実に呆気ない、今生の別れだ。
 ……再会する可能性は、あるかもしれないけど。

 「あ」

 噛み締める暇なく、私は大慌てで完成させたお守りを引っ掴み、外へと飛び出し、左之助の後を追いかけた。もうなりふり構っていられない。本気で走り、足早く歩く左之助を捉える。後ろから、凄い勢いで追い上げてきた私に驚いたのか、目を見開く左之助に、お守りを投げて渡す。無事にお守りが左之助の掌に入ったのを見届けて、足を止める。

 「さようならっ」

 そして、おまけに、別れの言葉を左之助に渡し、手を振る。
 思ったよりも大きな声が出てしまった。そそくさと帰路に着く。
 何だか左之助のお別れに水を差したかもしれない。左之助が見た私の最後の姿が、疾走する姿か……。複雑な気持ちになる。けれど、まあ、さっきの左之助も流れで去ろうとしていたから、お互い様だ。
 素早く家まで移動すれば、人影が二つ、私の家の出入り口に立っているのが見えた。

 「もー、何やってんねん。茂くん、放って」
 「あ、え! ごめん、来てくれたの」
 「戸をあんだけ、大きく音を立てて開けたら気付くわ。戸開けたら、あんたの家が開けっぱやし、茂くんは出そうになっとるし。あかんやろ、不用心やん」
 「ごめん、入ろう。体に良く無いから。……茂も、ごめんね」

 近所に住む友人が、私の立てた戸の音に、顔を出してくれるようだった。
 大きな腹を抱えた友人を慌てて、家の中に入れる。寒すぎるのに来てくれたのか。
 家に入り、出入り口の戸を閉める。
 そういえば慌てた左之助のことを追う際、左之助に渡された何かを床へ置いてしまったが……。何だろう。友人と茂を座らせて、布に包まれた何かを手に取る。先程渡された時も思ったが、かなり重い。
 よいしょと布を外せば、……大金が現れた。……これが、左之助が言っていた、当面の生活費か? ……まさと茂の生活費。
 頭で私の稼いだ蓄えと、左之助から貰ったこの大金をざっと足す。……うん。……これなら、しばらくの生活は問題なさそうだ。なんの心配もない。
 こんな大金、左之助はどうしたんだろう。今までの蓄え? 私たちにこんなに渡して、左之助はこれからの生活を送っていけるのか? 不安になってきた。

 「え、ちょ、なんなん、これ。このお金は」
 「しーっ、ていうか、座ってないと危ないよ」

 私が固まっているのを心配したのか、友人がこちらへやってくる。布に包まれた大金を目にした彼女は、動揺した様子で私の肩を中腰で掴む。そんな彼女を宥めつつ、布を元に戻し、私の部屋にへと連れていく。私の部屋で座ってから、彼女は堰を切ったように話し出す。

 「は、原田さんから? 何で、こないな、大金を」
 「まさと茂の当面の生活費だって」
 「へえ、そりゃ、あんたと茂くんを大切に思っとるんやねえ……」
 「……あのさ。もう、私、まさをまさに返そうと思ってる」
 「いや、るるが勝手にうちに成りすましてたんに、返すってのは違うやろ。……って、ん?」
 「うん、勝手に成りすましていたのに、今日まで黙っててくれて、ありがとう」
 「え? 急にどないしたん? うちがまさに戻ったら、あんたは一体、どないすんの」
 「……前、私の村には、当主がいるって言ったよね」
 「おん……。あんたの母親に、きっしょい気持ち持っとる当主やろ」
 「そいつに、話をつけに行く」

 ずっと考えていた。
 私の家族を殺した当主を、殺して敵を討つか、殺さないで見逃すか。
 まさには配慮したが、本当は、話し合いではなく、殺しに行くつもりだ。
 当主は、私の目の前で、兄を殺した。
 当刻の名に相応しい殺した方を、見たことのない特殊な形をした暗器で。その時に、私は、兄の死体についた暗器の傷跡を目にした。
 特殊な形をした傷跡。
 それを目にした私がまず思ったことは、見たことがある、であった。
 見たことがある。
 一体、どこで? 野道で? 路地で? 館で? ……自宅だ。
 父の死体に、この傷跡は刻まれていた。
 ──特徴的な武器は跡が分かりやすい。だから、使わない方がいい。
 ──父さんを殺した奴も、すぐに分かっただろ?
 お兄ちゃんが、飄々とした表情で、そう言っていた。
 お父さんは当主の手によって殺された。
 理由は分かりやすい。当主はお母さんを当主に据えたかったのだ。
 お母さんは優秀で、最高傑作と謳われていた殺し屋だった。泣くことも、笑うこともしない、善悪の無い、人殺し。
 それがお父さんに出会ってから、変わってしまったという。
 当主は、おそらく、お父さんが邪魔だった。それでも、お母さんが当主になりさえすれば、当主はそれで良かったと思う。しかし、お母さんは当主の座に興味はなく、他人にも興味がなかった。お父さん以外、どうでもいい人だった。自分が産んだ子供ですらどうでもいい人が、他人の思いを気にかける訳がない。……別に気付いて気遣うような関係でもないが。
 ……当主は元に戻そうとしたのだろう。お母さんを、お父さんに出会う前の、お母さんに。
 そして、お父さんは殺された。お母さんは、お父さんの後を追い、お父さんが死んでいるその場で自害をした。当主のやったことは、何もかも全て無駄だったわけである。
 私は仇討ちがしたかった。
 しかし、命は大切なものだから、というにいの言葉を大切にしたくて、仇討ちをする踏ん切りがつかなかった。……ただ仕事をこなしている私が、命を大切なものという言葉を大切にしても、何の説得力もないが。
 あんな当主でも、生きている。だから躊躇った。
 たとえ、お父さんを殺したとしても、にいを殺したとしても、お姉ちゃんとお兄ちゃんと私を、お母さんの代わりにしようとしても、茂の人生を壊そうとしていたとしても。
 いずれ当主には報いが来ると思っていた。しかし、もう、十五年だ。十五年も、平気な顔で当主は生きている。
 姉と兄の仇をすぐに打った私が、耐えられるものじゃない。
 世間の人斬りは、天誅と叫んで、人を殺すらしい。
 当主に報いが来ないのならば、私がこの手で当主へ報いを与える。
 ……左之助の言葉を、私は、背中を押す言葉にした。

 「話にって……。るるから聞く限り、まともな人間とは思えないんやけど」
 「分からせるだけだから、大丈夫」
 「ええ……」
 「でも、帰ってこなかったらごめん」
 「それ! 帰ってこおへん人の物言いやん! 茂くんはどないすんの!」
 「面倒を見てほしい。当面の生活費は、左之助からと私からも渡すから」
 「それは原田さんが、あんたと茂くんに渡したやつやん!」
 「……お願い、まさ。当主と決着をつけないと、私が、どうにかなりそうなの」
 「……、……はあ、……うち、そろそろ子供が産まれそうやから、そこまで面倒見れへんかもしれんで」
 「うん。まさの子供のこと、私はすごく心配してる。本当に、不安……。だけど、まさしか頼る人がいない」
 「…………仕方ない。これも、あんたとうちの仲や。任せとき。後悔の残らんようにやり」

 力強い言葉だ。
 菅原まさが、原田左之助と結婚すると耳にするや否や、ここの家へ、その菅原まさを騙る女の顔を拝みに突撃しに来た女なだけはある。あの時は、本当に驚いた。
 身重だというのに、子供の面倒を見て欲しいと頼むなんて、申し訳ないけれど……。

 「ありがとう……。今日はもう寝て、明日に備えようか」
 「せやな。もう、あっちの家は戸締りしてきたから、泊まるなー」
 「うん。あ、そういえば、来客用の布団ない……。私、左之助の部屋から布団持ってくるよ。まさは、私の布団で寝て」

 明日になったら、菅原まさの両親の言うことに従い、従兄弟の所へ二人を送り届けよう。その際に、茂にかけていた暗示を解く。私の顔が、まさの顔に見える暗示。暗示を使った頃、茂の人見知りが始まっていて、泣いて泣いて大変だった。左之助にも随分と苦労させたぐらいには。
 二人を送り届けた後、事前に用意していた縄や暗器、油を持って、村へ向かおう。
 ……当主は私の話を聞くだろうか。当主に話をしたいと手紙を送りつけたが、まともな世界に生きていない当主が、私の話を聞いてくれるとは思えない。
 ……多分、当主の中では、次期当主を決定する儀が始まっているはずだ。だったら、殺し合いをするしかない。
 これまでの憎しみに火をつけられたとしたら、もう、この身を燃やし尽くすしかないだろう。
 自分のことを考えていれば、私の元に茂がてちてちとやってくる。

 「かか、どうしたの」
 「……ううん。何でもない。もう寝よっかあ」

 寄ってきた茂を抱き上げて、……この子を抱きしめる。
 小さい体。柔らかい肌。私の肩あたりにきた茂の顔を覗き込むと、可愛い顔が目に入ってくる。姉に似ているからではなく、茂だから可愛いのだと、いつ気付いたか。
 左之助は茂を武士にしたがっていた。よく分からないが、心持ちのことだろう。……。

 「はーい。お布団ですよー」

 体を離し、茂が喜ぶような運び方で、たまたま敷きっぱなしだった布団まで案外する。

 「はーい。かかですよー。じゃ、行ってくるね」
 「いや、まだ、ちゃうけど……」

 まさに茂を任せ、私の部屋を出る。
 お腹は触らないように、言い聞かせておいたから、大丈夫だと思うけど、早く戻ろう。
 そうして、左之助の部屋に入った私は、感傷に襲われる。
 もう二度と会えない人の部屋は、知らないうちに奇麗に整頓されていた。
 ここに残されているものは全て、不要なもの、置いていっていいものだ。……片付けをする手間が省けた。
 布団は、と見渡せば、すぐに目に入ってくる。どうやら残していったくれたようだ。
 ……左之助には、本当に世話になった。だというのに、まともなお礼を言えなかった。
 でも、別れの言葉を伝えることは出来た。かなり大雑把だったけど。それだけは、良かった。
 もう会えないのは寂しいけれど、左之助は私のものではないから、離れるのが当然だ。別れには慣れている。なぜなら、私は家族と全員死に別れているので。
 ……左之助のことを思い浮かべてみた。
 赤い髪。大きく筋肉のついた体。真っ黒い瞳。
傷だらけの肌。凹凸した切腹の跡。私よりも高い体温。
 知らないことは、ないことと同じだ。だから、知ってしまったことは、ないことには出来ない。左之助のことも、そう。
 左之助を、私は忘れることはないだろう。私が、どうなったとしても。
 指先まで凍えそうなほど寒い、暗闇が支配する部屋で、私は一人立ち尽くす。
 はやく、はやく、明日になってほしい。
 はやく、夜が来てほしい。
 私が、燃え尽きる前に、早く。
 明日の夜、全てに決着をつけよう。過去にも、今にも、その先にも。
 要らない布団を持ち、左之助の部屋から出ていく。襖を閉める際、もう一度だけ、空っぽの空間を目に焼き付け、私は背を向けるのだった。