命先生、今日もかっこいい……。
 私はそのシャープな横顔から目を離すことが出来ず、ついつい無心で見つめてしまう。
 私の熱心な視線に、気が付いているはずであろう命先生は頑なに無視を貫いている。淡々と説明する声は聞き取りやすく美しい。
 この病院に来た当初は私の熱視線に苦笑していた先生であったが、今はもう慣れきってしまったらしく、冷たい無反応だ。
 しかし、そんな先生もかっこいい。
 鼻筋や眼鏡、唇や頬を撫でるように見ていれば、私の体についての説明は終わったらしく、ようやっと私のことを視界に入れてくれたかと思えば、「では、お大事に」と終わりを告げられる。

「はい、ありがとうございました」

 真正面から見ても美しい。
 丁寧にお礼を言い、患者用の椅子から立ち上がり、さっさと診察室から退出する。
 待合室には誰もおらず、どこもガラガラな椅子へ自由に座り、看護師から名を呼ばれるのを待つ。
 ここの病院は大変良い。
 先生はかっこよくて腕が良いというのに、全く人がいない。いつもガラガラだ。
 だから私はここの病険に通っている。病人がごった返して混み合っていると、その人たちから病気をもらう可能性がある。その心配が無くなる上、すぐに体を診て貰えるのはありがたい。

 しかし、一方で儲けはあるのかと心配になる。
 こういってはあれだが、経営していくには儲けが必要なんじゃないのかな?
 もしかすると私が知らないだけで、病院には補助金が出るのだろうか。
 あればいいな、とこの病院の行く末を憂いていれば、聞き心地の良い声で名前を呼ばれたので、すっと立ち上がる。
 定期的に病院へ来ているからか、会計をしてくれる方に、もうなんだか顔見知りのような親し
みを私は勝手に抱いている。
 向こうの気持ちは分からないが、いつもの微笑みを浮かべて対応してくれている。診察代を支払いガラガラの病院内を歩き、外へと出る。
 今までいた糸色医院は、本当に良い所だ。
 ただ……、先生の名前が……、縁起の悪い印象であるだけで。
 名字と名前を繋げたら、良い意味を示す単語になることも、縁起でもない単語になることがある。
 それは偶然だったり、子に対して悪意があったりと、理由はそれぞれ存在するはず。
 例えば、ご近所にいた小節さんの娘がそうかもしれない。
 あびる という名前の彼女は、名字と名前を繋げると小節あびる、つまり拳あびるという暴力を連想させる文になってしまう。
 あびるちゃんも、怪我が多い子だから余計に誤解が進んでしまったようだ。
 小節さんは仲が良いご家族だから、誤解や思い込みの勘違いで周囲が騒いでいるとこちらは悲しくなる。
 私が好きな先生は、名字と名前を単体として見る、あるいは読むのであれば、大変美しい。
 引っかかりが少ないから、すんなり音が通る。
 いとしき みこと。
 漢字として見ても美しい。……しかし、上下を合わせるとその命に関わる単語になるのだ。
 医療関係者にとっては、少々、いや人にとってはかなり気にする単語に。
 私は気にしないが、他の人たちは気にするらしい。
 いつも糸色医院はガラガラだ。
 以前、一度だけ人が溢れ返ったことがある。
 だが、それは治療を望む病人や怪我人ではなく、自殺志願者たちであり、とんでもないキレ方を先生はその人たちにしていたのを覚えている。
 怒った顔も格好良かった。
 その騒動がきっかけで、表に出てきた先生の怒った顔を目にして私は糸色医院へ通うことを決めたのだ。
 ……そういえば、前に命先生の顔と似た顔の男性を見たが、あの人は兄弟だろうか?
 今は見なくなったし、噂ではどこかの島へ移居したと噂されているが…..。
 まあ、関係ないからいいか。
 私は変わらず、命先生がいる糸色医院に通いたいだけだから。