09

「名前ちゃん! ただいま! 」
「我妻さん、お久しぶりです。ご無事でなによりです」

 晴天。穏やかな日差しに、涼しい風が心地良く吹く日だった。
 善逸が帰ってきた。といっても、名前は桑島から善逸がもうすぐ帰ってくると聞いていたのであまり驚かなかったが。
 桑島の屋敷の門の近くで草をむしっていた名前に会った善逸は、にこーと分かりやすく満面の笑みを浮かべ、結構な速さで名前の元にやってきた。最後に彼を見送った日から数ヶ月経っていたけれど、五体満足で変わりなさそうだった。名前は立ち上がり、側に寄って来た善逸をてっぺんから爪先までまじまじ確認するように見てから、安堵の表情を浮かべた。無事で喜ばしい、といった表情だった。その表情を見た善逸が顔を蕩けさせろうとした直後、用事を思い出したような顔にすぐさま変わった。

「あっ! 炭治郎! そう、炭治郎目を覚ましたんだよ! 」
「本当ですか? 」
「うんっ。俺もさっき手紙で知って……。ごめんね名前ちゃん、心配してたよね」
「謝らないで下さい。知らせてくれて、ありがとうございます。竈門さんがご無事でよかった」

 慌てたような善逸に名前は首を左右に振ってみせる。そう、竈門炭治郎が意識不明の重体になったという手紙を善逸からもらった名前は、善逸はもちろん炭治郎のことも心配していたのだ。真面目で社交的な炭治郎と、親切には出来る限り恩で返したい名前の文通は定期的に続いている。始めは名前に心配をかけまいと内緒にしようとしていたようだ。しかし、いや名前ちゃん返事が来ないと心配するだろうしという善逸の判断で名前は炭治郎の現状を知ることになったのだ。
 目が覚めたようでよかった。名前は更に安堵を深くする。生きていてくれてよかった。いつだって、最悪な事態なんて起こってほしくないのだ。

「桑島さんは自室にいらっしゃると思いますよ。是非顔を見せに行って下さい」
「そうするつもり。名前ちゃんは? 」
「まだ仕事があるので。ではまた、後ほどお会いしましょう」
「うん! じゃあ、また」

 手をぶんぶん振り、善逸が桑島の屋敷へ行く。桑島に帰ってきたことを知らせにいくのだろう。名前は善逸を見送ってから、途中となっていたもうすぐ終わるだろう草むしりを再開させた。

 草を片付けた。あとは燃やすなり、なんなりすればいい。桑島の屋敷に戻り、名前は身に纏う衣服を整えてから佐藤の元に向かう。
 台所に近いある部屋は、ちょっとした休憩場となっている。そこの部屋にある座布団の上に佐藤は座っていて、入ってきた名前を見るとああと微笑む。

「お疲れ様、名前ちゃん。善逸君、無事に帰ってきたわね」
「はい。元気そうでよかったです」
「そうね、心配していたものね」

 柔らかく、どことなく見覚えがある笑みだった。暫くの間、佐藤は名前に微笑ましいものを見る様な眼差しを向けるだろう。善逸や炭治郎から手紙が届いたら、佐藤はそのような目を向け、よかったわねぇと名前に微笑みかけるからだ。なぜ佐藤が嬉しそうな顔をするのかいまだに名前は分からない。

 「そういえば団子があったから、桑島さんたちに出してきて。あ、あと急須も持って行ってちょうだい。団子にはお茶がいいもの。お願いね」

 と佐藤に頼まれた名前は、おぼんに団子がのった皿をのせて桑島の自室にやってきた。桑島の自室は屋敷に何かあった時、すぐさま対応出来る場所にある。名前はなるべく静かに廊下に座り、おぼんを置いてからきこえるように意識して声をかける。

「名前です。入ってもよろしいでしょうか」
「ああ、入っていい」

 襖を開けると桑島と善逸が向かいあって座っていた。善逸が名前の名を呼ぶ。

「名前ちゃん! 」
「はい。先程ぶりです。桑島さん、これお団子とお茶が入った急須に湯呑みです。ここに置いておきますね」
「まあ待て。団子は三個あるだろう。名前も食べて行けばいい」
「え、あの……では、御言葉に甘えて……」
「はい! 名前ちゃん! 俺の隣にどうぞ座って! 」
「あ、ありがとうございます」

 邪魔をしていよう早く用事をすまして出て行こうと思ったが、どうやら同席していいらしい。素早い動きで座布団を出してきた善逸にお礼を言い、名前は戸惑いながらも座る。桑島が佐藤が持ってきたであろうおぼんの上から、三個目の湯呑を用意する。まさか佐藤は狙って名前に頼んだのではないだろうか。
 桑島と善逸は傍から見れば、祖父と孫のようだった。二人が出会ったきっかけは知らないが、桑島は善逸を信頼していて、善逸は桑島を慕っている。名前は修業に行くのを泣いて嫌がる善逸を無理矢理引っ張ってつれていく桑島をこの目で見ていたし、善逸が最終選別から帰ってきたのを誰よりも喜んでいた桑島を知っている。名前は善逸のよく回る口から紡がれる今日まであった出来事に耳を傾けた。

 夕暮れになる前、善逸の元に雀が飛んできた。どうやら今夜の任務を知らせにきたようだ。名前が驚くことに善逸は騒々しく駄々をこねず、わかったからと落ち込んだように頷いた。成長している。なんだか善逸が大人になってしまったようだと名前は思う。桑島も佐藤も大きくなった子どもを見守る目をしている。
 わらわらと善逸を見送りにやってきた名前たちは門のところで立ち止まる。善逸は隊服を着て、刀を腰に差して、どこからどう見ても鬼殺隊の隊士であった。善逸からここにやってきた日から今日までことが名前の脳裏を駆け巡る。色々あった。と、意識を過去に飛ばしている名前の手をぎゅっと善逸が握った。名前は素直に驚く、意識が今に戻って来る。桑島と佐藤の前でなんだ? 知らぬ間に随分と近くに来ていた善逸の顔を真正面からまじまじとみる。

「俺、頑張るから! 応援していてね名前ちゃん! 」
「はい、もちろんです。応援しています」
「結婚してくれるならもっと頑張っちゃうわけですけど! 」
「はあ…………」

 握られた手が熱い。こんな気軽に結婚を申し込んでくる男がいるだろうか、いや、今名前の目の前にいるが。名前はどうしたらいいかやはりわからない。執拗に結婚と口に出していた善逸は桑島に窘められると任務にへと赴いた。返事はした方がいいのだろうか、善逸の背を見つめている名前はそればかりを考えていた。