12

 桑島の屋敷から藤本の屋敷に一時的に避難するために、隠の手で連れて行かれる最中、佐藤は名前を決して離さなかった。
 決して離さないものだから隠である田中は大変に困った。名前はそうでもなさそうだが、人間をはりつけて歩くのは歩き辛いだろう。混乱しているにしろ、付き合わされている名前が可哀想だ。剥がそうとすると余計に力をこめるし。一方名前は佐藤を気にせず、隠の言うことを素直に従っている。鬼がやって来る可能性を考え、藤本の家も捨てなければならない。捨てて、他の土地に居を構えるのだ。
 藤本の家についた田中たちは藤本を新たに列に加え、再び歩き始めた。

 他の土地で居を構え、しばらくした頃だろうか。一羽の鴉が慌てた様子で藤本を訪ねてやってきた。鬼の大将を鬼殺隊の皆で討伐した。その闘いで大勢の怪我人が出たという。そこで産屋敷が藤の花の紋を掲げる医者たちに声をかけ、蝶屋敷というところに招いているらしい。もちろん藤本は恩を返せるならばと快く了承した。鬼殺隊を率いる産屋敷に声をかけられることは、藤の花の紋を持つ者にとって名誉である。ついでに、といってはなんだがと藤本は名前も共に連れて行っていいかを鴉に問う。名前は働き者で気の付く娘であるし、なにより自分が指導したので多少の医療行為が出来る。藤本の話に鴉は人手は多い方が良いと言われていると答えた。正直、鬼舞辻無惨との最終決戦により傷を負った鬼殺隊隊士の数が多く、猫の手すら借りたい状況だ。治療行為が可能であるにんげんは増えれば増えるほどいい。

「だめよ!そんなの。名前ちゃんをつれていくなんて……」

 佐藤が目を吊り上げて、名前を背に庇う。名前は佐藤を見上げ、きょとんとした顔をしている。藤本は佐藤とは反対に眉を下げ、佐藤に向き合う。

「なか。お前の気持ちもわかる。わかるが、このままではいけない」
「いけなかったら、無理矢理連れて行っていいというの。傷付けていいというの」
「そうはいっていない。だが、名字さんだって、このままじゃどこにもいけない。きっかけを作ってやらないと。これは桑島さんの意志でもある」
「桑島さんをここで出してくるなんて卑怯よ。桑島さんの名前を出したら、名前ちゃんはそれに頷くに決まっている。分かっていっているんでしょう」
「……なか。お前は名字さんを自分の娘と重ねているんだね。だから手放せないんだ。だが名字さんはお前の娘ではないんだ。わかってくれ」
「ちがう!ちがうの!私は」

 佐藤は口を噤み、やや俯きがちになる。が、すぐ顔を上げ、藤本を睨み付けた。

「いいえ、私は名前ちゃんを娘のように思っているし、重ねているかもしれない。でも、名前ちゃんを心配する気持ちは本当よ。娘のように思ってもいなくても心配して何が悪いの。そんな血だらけの所に、ましてや血の匂いが濃いところに名前を行かせるなんて、この子が桑島さんの所に来た日を覚えているでしょう? この子は家族を」
「佐藤さん」

 すっと遮る言葉を発したのは名前だった。佐藤を見上げる名前の瞳と、振り返った佐藤の瞳が互いを映し合う。佐藤の眉が徐々に下がっていく、かなしげにそっと。胸に込み上げてくる激情はいつだって過去を刺してくる。いつだって、いまだって。

「心配して下さってありがとうございます、佐藤さん。でも、もう大丈夫です。はい、ほんとうに、大丈夫なんですよ」

 名前の読み取れない声色に佐藤はもっと泣いてしまうそうになる。どうして、こんなことになってしまったんだろう。鬼のせいだ。ああ、そうだ、すべて、こんな幼い女の子の人生をめちゃくちゃにして……。こんな……。

「藤本さん。行ってもいいというなら行きたいです。皆さんのお役に立ちたいです」

 名前が静かに頭を下げる。凛とした佇まい。それで終わりだった。佐藤はずっと泣いていた。

 藤本と共に鴉に導かれるがままやってきた蝶屋敷は名の通り、庭で蝶が舞っていた。
 怪我人はかなりの人数であった。藤本の他にも医者はいて、もうすでに仕事にとりかかっていた。藤本は彼らの元に行き、名前は蝶屋敷に住まう少女たちの指示に従うことになった。少女たちは幼いながらもしっかりしており、一生懸命出来ることを丁寧な手付きでやっている。名前は案外役に立つようで今のところ蝶屋敷から出て行けと命じられる気配はない。今日も名前は蝶屋敷で少女たちと働いている。

 我妻善逸は生きていた。昏睡していて、見たことのない細いもの体に刺され、体中に罅が入っていたけれど、きちんと生きていた。骨に罅がというわけではなく、文字通り肌にくっきりと罅のような傷が入っている。鬼にも不可解な力を持つ輩がいると、きかされたことがあるので、おそらくその力を持つ鬼にやられたのだろう。痛々しい。アオイが鬼の異能――そういうらしい――によって負った傷を癒す薬を善逸に使っていた。薬を見るたび、アオイは悲しい表情をする。きっと思い出があるのだ。忘れられない思い出が。名前にもある。
 蝶屋敷には名前と文通をしている炭治郎もいた。こちらも善逸同様、昏睡状態で細いもの……管だらけだ。更に彼の妹もここにいるらしい。妹も鬼殺隊隊士だったのか。

 日々は過ぎる、平等に。
 名前が善逸に薬を与えるために側へ近付いた。そして、ぼんやりと焦点が定まっていない瞳が名前の目に入った。意識を取り戻したのだろうか。たっぷりと日光が浴びれる場所に西洋のものだという寝具を置き、そこに横たわり治療を受ける善逸は虚ろな瞳をやはりぼんやりさせている。

「我妻さん」

 確認で名字を呼ぶ。名前はアオイに善逸が目覚めたことを知らせに行こうと先程閉めたばかりの扉を開けようする。

「ごめん」

 か細い声だった。そよ風にすら負けてしまいそうな声であった。謝罪。おそらく無意識で零された謝罪だ。何故、第一声がそれなんだろう。ごめん?ごめん?
 日光を浴びた金髪。定まらない焦点。薬の独特な匂い。
 軋み。
 白い壁。木の床。明るい室内。
 痛み。
 名前は。名前は。名前は沸騰した。

「なにがごめんですか! 謝るのなんていいんでさっさと治して下さいよ! 」
「え、え……な、なに、ええ……、なにぃ?」
「いまから神崎さんを呼んできますから大人しくしてて下さいね! 」

 名前の大声に本格的に意識をはっきりさせてきた善逸の戸惑いに構うことなく、名前は善逸の個人の病室の扉をゆっくり開け、部屋を出たあたりで思い切り走り出す。廊下をばたばた忙しなく走ったら怒られるかもしれないが。目指す相手はアオイだ。