02

 修業から帰ってきた善逸が初めて会った時よりもずっと傷を増やされて、叫びながらごおごお泣いている。
 名前は驚き、こんなに泣く人間を年端もいない子ども以外見たことがないといった表情を浮かべた。初めての修行でこんなに泣いて大丈夫なんだろうかと思わないでもなかったが決して口には出さなかった。
 桑島がごおごお泣く善逸を引っ張って、どこかへ連れて行く。名前は洗濯物から手がはなせないため、それを黙って眺めていた。


 鬼。人間を喰らうために殺し、夜に紛れて生きる化物。藤の花を嫌い、日の光を浴びると死ぬ。名前は剣士ではないが、一応ここで働いている人間だから、それぐらいは知っていた。鋭い爪を持ち、人並み外れた身体能力を有する鬼と鬼殺隊は戦わなければいけないのだ。修業はひどく苦しく、またかなり厳しいものだろう。名前は剣士の指導を受けたことはないけれど、善逸の兄弟子に当たる少年も、来た当初は善逸と同じ様に傷だらけだった。その傷が修業の壮絶さを物語っていた。
 少年は性格に難があるも努力家で、来た当初から傷だらけになっても弱音を吐かず、涙なんて一切見せないような人だった。名前は少年が傷を手当てしていたので、数多の傷をよく覚えている。
 少年はそっけなく、あまり名前を好いていないようだった。昔の名前はそんなささくれだった感情を向けられて好意を返せるほどの余裕はなかった。今はそうではないが、少年の感情は変わりない様だ。名前と少年の距離は縮まらない。


 善逸は修業に行っては叫び、行っては泣きを繰り返し、その度に桑島はありとあらゆる手段を使い、容赦なく善逸を連れ戻す。善逸の悲鳴は日に日に酷くなっていく。
 名前と善逸の関係は可もなく不可もなく、山もなければ谷もない、ただの剣士と家事手伝いの関係だ。善逸が困っていれば名前は助けたし、名前が困っていたら善逸は誰より先に名前の元に駆けつけて手を差し伸べてくれた。しかし、善逸が泣き叫ぶのを助けたことはない。なぜならば、それは修業に関することだ。名前の恩人でもある桑島が善逸を剣士にすると決めたのだ、余計な事をして二人の邪魔をするわけにはいかない。
 しかし善逸の気持ちはわかる。こわいのは嫌だし、痛いのも嫌だ。名前だってこわくて痛いことは震えて逃げ出したくなるくらいに苦手である。

 騒がしい。
 屋敷がひどく慌ただしい。買い物から帰ってきた名前は何事だと思った。そんな名前の元に同じ家事手伝いの佐藤が大慌てでやってきて、善逸が雷に打たれた。今、贔屓の医者の藤本にみて貰っていると随分と取り乱して言う。雷に打たれた? 名前は空を見上げる。雲はあれど、不穏な色をした雲はない、雨の匂いもしない、そもそも今も雨は降っていない。だというのに雷。何の冗談だと吹き飛ばそうと思ったけれど、佐藤はそんなつまらない不謹慎な嘘をつく人ではない。じゃあ本当に。さっぱり分からない、とにかく名前は直接見た方が早いと佐藤に買ってきた物を任せ、善逸の元を目指した。

 善逸の自室から桑島が出てきたので、名前は桑島へ声をかけた。

「ただいま帰りました。我妻さんが雷に打たれたとききましたが、彼は無事ですか」
「おかえり。ああ、善逸か。生きている。だが、どうなっているかは分からん。まだ目が覚めていないが、藤本は大丈夫だと」
「え、生きているんですか。雷に打たれたのに」

 いや、雷に打たれた人間など善逸にしかあったことないけれど。心底驚いたとでもいうような名前に桑島は神妙に頷く。

「いや、……なにもなかったわけじゃない」
「え」

 なにもなかったわけじゃない、とは。確かに生きているだけで不思議である、何か異変があってもおかしくない。名前は桑島に一言入ってもいいかと尋ねる。桑島に許可をもらって入った善逸の部屋には布団が敷いてありその上に見慣れぬ金髪の少年がいて、布団の横でひかえるように藤本が座っていた。

「あの……、その派手な髪色の方は」
「我妻君です」
「なんでこんな異国の人みたいな髪色をしているんですか」
「さあ、私が来た時にはもうすでにこのような髪色でしたよ」

 桑島が呟いた言葉が指していたのはこれか。だとしたら善逸は雷に打たれたせいで髪色が変わったことになるが。一体どうなっているんだろう。固まる名前に藤本は安心させるような声色で「大丈夫ですからね」と声をかける。
 藤本と対面する形で善逸のそばに名前は座った。本当に髪色が変わってしまっている。眉毛まで金色だ。手を伸ばし、口元へ持って行くと呼吸をしているのがわかった。

「よかった、息をしていて。雷に打たれたってきいたから……」
「運が良かったのでしょうね。正直、一緒に打たれた木が黒焦げになっていたのに、我妻君だけが生きているのは不思議な話ですが」
「黒焦げ」

 まじまじ善逸を見る。修業中の出来事だったらしく、いつものようにぼろぼろの有様で雷の被害が分かりにくかった。しかし、実物を見たわけではないが、木が黒焦げになるなんて恐ろしい話だ。藤本の言う通り、生きているのが不思議な出来事である。鬼がいるのだから、こんなことがあってもおかしくないのかもしれないが。

「生きていてくれてよかった」
「そうですね」

 優しい表情で藤本が名前に頷く。名前はそっと目を伏せ、善逸の無事な姿に安堵した。