05

 握り締められた手は固く、また骨ばっていた。掌も滑らかではない、木刀を握っているだろうから肉刺でぼこぼこしている。名前は善逸に手を引かれるがままに走る。この速さだったら、桑島の屋敷を目指した逃走なんて、きっとあっという間だ。

 買い物に行ったのはいいが、名も顔も知らない男に絡まれた名前は立ち止まることを強制され、大変苛立っていた。買い物を終えた名前に絡んだ男は見るからに大人しい名前の行く足を止め、どうでもいい話を名前の反応を伺うことなく、悦に入りべらべらしゃべっている。無視して立ち去り、なにか因縁をつけられても困るが、いまの面白くもなんともない状況が続くのも苦痛だ。それに容姿について触れられてきたので、名前の苛立ちは限界にきていた。女のくせに髪が短いなんてと言われたのも気にくわない。

「はいはいはい、すみませんすみませんっ探したよ、よかった! いやあほんと良かった! じゃあ帰ろう! はいではねえさよなら! 」

 と、そこに突然音もなくやってきた善逸が男と名前の間に割り込み、怯えた様子でしかしちゃんと名前の手を握り、その場から名前を走って連れ出した。名前は状況がうまく掴めないままだったし、男は嵐のような善逸にぽかんとした後、意識を取り戻した途端に顔を真っ赤にして二人を追い出した。善逸が悲鳴を上げ、更に足を速く動かす。


 買い物に行く前、佐藤から買ってきて貰いたい物をまとめた紙を名前は渡された。それに書き忘れがあったようで、桑島の指導の順番を待っていた善逸に白羽の矢がたったのだ。というか暇している人間が善逸しかいなかったらしい。確かに桑島の屋敷にいる人の数は少ない。それで、ここまでやってきた善逸がまず目にしたのは名前が見知らぬ男に絡まれている光景であった。どうしようと善逸は思ったが、名前が迷惑そうにしていたため、助けに走ったとのことだった。
 走っている途中、あまりにも苦しそうな名前を心配した善逸が男も見えなくなったしと一先ず息を整えてから行こうと二人で茂みに隠れた。必死に息を整える名前の背をたどたどしく擦る善逸は息一つ乱れていない。これが鬼殺隊隊士候補と家事手伝いの差かと名前は愕然とする。善逸がここにきた説明をして、やっと名前は口をきけるまでに回復した。善逸にぺこりと頭を下げる。

「あ、ありがとう、ございます。困っていたんです」
「名前ちゃんを困らせるなんて許せない奴だよ全く」
「……」

 名前は言いたいことをぐっとのみこんだ。

「でも、これじゃ、買い忘れを買いにいけませんね……」
「そうだよ、これじゃ戻れないじゃん! ほんとになんなんだよあいつは! 」

 憤慨する善逸に名前は見つかるかもしれないから落ち着いてほしいと宥める。確認してみたところ荷物は無事だった。何も零れていない。
 しばらく待ってみたけれど、男はどうやら二人を追うのを諦めたらしく、善逸と名前がいる所には来なかった。それでも万が一もあるとこそこそ素早く二人は移動する。一旦屋敷に戻ってから、今後の行動を決めようということになったからだ。
 離れていた手がまた繋がれた。善逸をみる。無意識に握ってきたのだろうか、いつもとは違い何の反応もしていない。いつもなら偶々手が触れ合っただけでも赤面しながら早口で何か言うのだが。手を繋いでも、特に問題はないので名前は何も言わずに、善逸に手を引かれるがままだ。


 桑島の屋敷に辿り付いた二人は佐藤に出迎えられた。あらあらとにこにこしていた顔は、善逸にいま起こった出来事により追加の物を買えなかったと説明を受けている内に、少しだけ真剣な厳しい顔になっていった。

「いやね、その人。名前ちゃん、大丈夫? 善逸君、ありがとうね。名前ちゃんを助けてくれて。善逸君に頼んだものは私が買ってくるから気にしないで」
「はい、すみません」
「謝らないでいいの。ううん、私が謝らなくちゃね。ごめんなさい、最初から私が行っていればよかったわね。さ、疲れたでしょう、早くこっちにいらっしゃい」
「いえ、謝らないでください。気にしていないので」
「その通り、佐藤さんは悪くないです! 名前ちゃん、あれは怒っていいよ。俺だったら怒っている。名前ちゃんはなにも悪くないからね! 名前ちゃんは俺が守るよ! 絶対に! 」
「は、はい」

 勢いに頷かされてしまった。名前と善逸のやり取りを見た佐藤はふと目元をやわらげる。やっといつもの雰囲気に戻った佐藤が、「仲がいいわねぇ」と微笑む。

「いやあ……うふふ……」
「いまだって手を繋いでいるものね」
「え」
「そうですね」

 佐藤に指摘された善逸がかっと頬を赤くして、結構大きな悲鳴をあげた。どっと相手の手に汗が滲むのが名前は分かった。わたわたするも善逸の手は離れない。いつの間にと驚いているのを見るに、本当に無意識だったのだろう。見るからに混乱していて、可哀想になってくる。とりあえずここで話していても邪魔になるだけで、佐藤の迷惑になるだけだからと今度は名前が善逸の手を引く。

「行きましょう、我妻さん」
「名前ちゃん……! 」
「あらあら」

 善逸は夢でも見ているんじゃないという瞳で名前を見る。佐藤が微笑む。名前はもう苛立っていなかった。
 その後、名前に絡んだ男がここ周辺で目撃されることは二度となかった。