※解釈違いあります。
※閲覧は自己責任です。



この人はいつか私を殺す。
先を歩き続ける彼が私の存在を顧みることもなく、また私が死んでしまったとしても、やわい傷跡を彼につけるだけで立ち止まることはしない。
そういう人だ。私の好きな人は、そういう人だ。

波の音が聞こえる。潮の匂いと月の光が心地良い。
隣で私の歩みに合わせて、ゆったりと歩く彼の熱がやたらとあつかった。
疲れていたのだ。
気が滅入っていたともいえる。
宿屋のベッドの上にいる私の意識が、酷くぼんやりと虚ろに見えたのだろう。
彼は少々心配そうな表情を浮かべ、それから気晴らしになればと連れられてきたのは、澄んだ色をした人気のない海だった。
連れてこられた際、彼がまじまじと私の様子を伺う様子に、そういえば私は海がすきだったと思い出す。


私と彼の出会いは特殊だ。
怪物と炎に囲まれた惨劇の中で逃げ惑う私に救いの手を差し伸べたのが、彼だった。
負傷した私を彼は匿い、病院で幾度か言葉を交わした時に、何かを思ったのだろう、私の怪我が治るや否や、自分の仕事に同行させ、あちこち私のことを連れ回した。
故郷は焼け野原、家族は怪物に引き裂かれ、何もかもを失った私に同情でもしたのか――連れ回した理由は分からない。
一度、周りに比べればよっぽど平和な国のとある街に置いて行かれそうになったこともあったが、好奇心から盗み見ていた資料やちょっとした奔走をし、彼が出国する飛行機に当日先回りをして乗り込んでやった。
数十分前、穏やかな微笑みでいた彼が隣の席にいる私を見て、目を丸くしたのをよく覚えている。
馬で無茶な運転をした甲斐があった。
何度か言葉を投げ合った末に、「仕方がないですね」と溜息をついた彼は私の隣に座った。
――それから数年が経つ。私は歳をとり、見た目が変わった。
共にいる合間合間に、彼の秘密を知っていった私は何の因果かまだ彼の隣にいる。
こうして側にいる。
けれど私は彼の何にでもない。

波の音がきこえている。
砂は脆く、もう一歩踏み出せば沈んでしまうのではと懸念する。
月光は頼りなく、いずれ私を照らさなくなるんじゃないかと恐怖した。
私は自然と足を止める。
そうすれば彼も、足を止め、私にどうかしたのかと尋ねてきた。

「貴方…………」

確かに何か言おうとしたけれど、言葉が続かなかった。
……それの事実が、わたしの胸を締め付ける。

「なんでも、ないわ。もう少し歩きましょう」

懸念も恐怖も振り切り、私は数年前よりも大分重くなったように感じる足を動かす。慎重に、慎重に。砂を踏みしめる、世界が崩れることも沈むこともない。
私の不安がそう想像させただけだ。ああ、しかし、それはいずれ、現実になる。
おそらく彼とこのままともにいれば、私は死ぬ。
そして、運よく死ななかったとしても、彼を永遠に失うだろう。
失った後、私がどうなるかなんて、わたしが一番わかっている。
わかっている。

「名前」

芯に重みのある声で、はっきりと名を呼ばれる。
耳に馴染むその声は、この世で彼にしか出せない。
波の音が、途切れない。
靴の隙間から入ってきた砂と、うっとおしいくらいの潮風が邪魔だった。
髪を押さえながら私は、すこし後ろにいた彼の方を向く、当たり前のように目と目が合う。
真っ直ぐで、ひたむきな彼の瞳は、おそろしく綺麗だ。
どうしようもない人。どうしようも、出来ない人。
よくわかっている。よく、わかっているのに。
――けれども、けれど、でも、わたしは彼の理想を追いかける瞳に惹かれて、恋におちてしまったのだ。

「私の傍に来てください。今日は風が強い」

――だから、きっと、私が一番、どうしようもない。
潮風に撫でられる髪に、月の光に照らされた姿に、彼の何もかもに私は駄目にされる。
駄目にされ、殺されるのも悪くないかな、なんて思ってしまう。
ああ、たしかに、悪くない。やわい傷跡になるのも、いいかもしれない。

「そう?じゃあシローのお言葉に甘えようかしら」

感情を抑制した笑みを浮かべつつ、ひらいた距離をつめて側に寄れば、シローの発する熱が更に増していった。
生きている、シローもわたしも。
そして、シローは私が生きているという事実を思い知ればいい。
わたしは、意地が悪いから。
生きている限り、やさしいシローに意地悪をし続けるのだ。
シローの呼吸がきこえる。
ほんのかすかに波の音に混じって、きこえるそれをわたしはひどく愛おしく思った。