※絶筆についての捏造あり。
※いやな予感がした人はすかさずお戻り下さい。


ごめんなさい。
舌に音が残っている。喉に言葉が居座っている。気分はずっとよくならない。
私の心は致命傷を負ったまま、死んだように生き続けていた。
なにひとつ、誰一人として私を救えない。
唯一私をこの虚無から救える人は、もうこの世にいなかった。


「おっしょはん」
「――織田先生」

窓から差し込む陽射しに背を向けて。本棚に囲まれた部屋というよりも、本の部屋といってもおかしくない部屋に私はいた。
丸くて幅がそれほど広くないテーブルにノートと万年筆にインク瓶、それから研究資料の本を置き、アルケミストの勉強をする。珍しくはない。
時々こうして、ひっそりと隠れつつ勉強するのは、就任した当初からの習慣だった。

耳に馴染む気安さで織田先生は私を司書と呼ぶ。
名前という名前ではなく、与えられた肩書きで呼ばれると、まともな仕事できちんとした地位についているかのようにきこえるから不思議だ。
……特務司書の仕事がまともなものではない、という意味ではなく、ただしていることが特殊で俄かには信じがたいものだから、そういう表現をした。
私は動かしていた手を止め、織田先生の方を向く。
艶がかった髪を三つ編みにし、茶色の革ジャンを着た、いつも通りの格好で明るい笑みを浮かべる織田先生は花柄の腰布を揺らめかしながら、座っている私の元へやってきた。

「頼まれたもの、買ってきたで」
「ありがとうございます。寒かったでしょう?風邪をひかないように、温かくしてくださいね」
「ほな、そうさせてもらいましょ」

差し出された袋を有り難く受け取る。織田先生は何もなくなった手の平を擦り合わせ、暖房で温められた空間の中に身を小さくした。
そして、そのままてっきり食堂や太宰先生や坂口先生の元に行くかと思ったが、織田先生はあっさりと当然ともいえる動作で私の隣の空いている席に座った。
予想外の行動に私が目を丸くしていれば、織田先生が「座ったらあかんかった?」そう尋ねてくる。

「いえ、そんなことありませんよ。ちょっと珍しかっただけで」

私は距離の近くなった織田先生から目を逸らし、口籠りながら返答した。
都合が悪いことなんて、全くない。
悪いことはないが、ただ、少し困ってしまう。
織田先生が来るとは思っていなかったこともあり、余計に。
袋から商品を出し、ノートの上に置く。インク瓶に一瞬目線をやり、吐きそうになった溜息を呑み込む。
流石にこの場で溜息を吐くのはよくない。

「まあ、ちょいとききたいことあったから」

織田先生が綺麗に笑む。私は首を傾げた。

「ききたいこと?」
「そうそう。ほら、なんや、ワシとおっしょはんも長い付き合いやん?」
「そうですね。……長い付き合いに、なっていますね」
「せや。んで毎日過ごしとると、考えること多くなってくるやん?そういえば最初の時、なんでおっしょはんはワシのこん選んだんかな、ってなんや……前々からやけど思うてて」
「……はい」
「おっしょはん、ワシを知らんかったのに。もしかしてワシが美男子やったから選んだん?」
「…………いえ、なんとなく、ですかね。その場の直感です。織田先生が、よかったんです」


ごめんなさい。ごめんなさい。
織田さん、ごめんなさい。
嘘をついた。織田先生が良かったんじゃない。
ただ、私は小説を書きたいと、今世は前よりもたくさん書きたいと言った織田さんを思い出して、きっと貴方もそうなんだって。
だから。

私は自分が許せない。きっと、一生許せない。
あの日、あの時、織田さんを殺してしまったことを、後悔し続ける。
ずっと、ずっと。
万年筆の中身に私は何度も謝る。
私を庇って散った織田さんの命を、床に広がった血の温度を、全てが洋墨に変わった瞬間の喪失を。
私は忘れられない。