※現パロ

幼い頃、学校が終わった後は外で活発に動き回るよりも、すぐ家に帰宅して二階にある自分の部屋の窓から、外ではしゃぐ同い年らしき子を眺める方が多かった。
そんな気がするのは、私のからだが弱かったからだ。
私の小中での学校生活は少し不自由で、体育の授業、運動会に向けての練習、または運動会本番、林間学校、修学旅行はなんとか行けたが、からだのせいで学校行事はほとんど参加出来なかった。
からだが弱いと確かに動かない方が楽であるし、私自身動くのがあまり好きではないのでそれはいいが、クラスメイトに混じって学校行事を楽しむ記憶があまりないままに時は流れ、私は十六歳――高校生になった。
十六歳にふさわしい……と周りの同い年の女の子の体つきと比べればそうとはいえないが、成長したからだつきになったものの、からだも弱さは以前と変わりない。
それでも小中よりかは頑丈になっていたため、無理はなるべくしないように気を配りつつ、これまで参加することの出来なかった学校行事に参加したりして、私は高校生活を楽しく過ごしていた。
いたのだが。



つい先日、私は入院した。
無理をしないで大人しく入院していれば完治するだろうと、お医者さんからは言われている。
入院が決まったのは丁度、夏休みに入る数日前のこと。
お医者さんから入院して下さいという発言を母親と共に聞いた私は、夏休み前にたてていた友だちとの予定がだいたい潰れてしまったな、と最悪な気分になった。
入院してからはずっと退屈で両親がもってきてくれたゲームをプレイしたり、病院に備えつけられているテレビを見たり、先生が誰よりも先に持って来てくれた宿題をちまちまやったり、それに飽きたら外ばかりみていた。
私が案内されたのは四人部屋の窓際のベッドだから、外はいつだって見られるのだ。
緑が生き生きとしている木々。
蝉の煩わしい鳴き声。
入道雲や飛行機雲やらでごちゃごちゃしている青空。
……きっと私がこうして病院で毎日を送っている間、夏休みに入る全国の同級生たちは海やプールに行ったり、色々な服屋に雑貨屋を見て回ったり、ちょっと遠出してテーマパークに行ったりしようねと話しているんだ。
そして実際に行くんだろうなあ。
絶対楽しいだろうなあ、とかをベッドの上でぼんやり想像した。
沈んだ気分が更にずうんと沈んだと同時に胸の底からふつふつと怒りのようなものが出てくるのを私は感じた。
からだが弱いからこんなことになっているのだ。
確かにからだの弱さを言い訳にして――勿論過度な運動を行ってはいけないのは本当だ――楽をしてきたが、こんな仕打ちがあるか。
私が悪いのか。
一体なにをしたっていうんだ。
酷い。腹が立つ。でも、こんなところじゃ、不満を口にすることだって出来ない。
私は怒りを通り越して、悲しみすら覚えて、それでも静かな病室の端で呻くことも出来ずにいた。

複雑な気持ちに閉じ込められそうになる寸前、藤堂平助が私の病室にやってきた。

藤堂平助と出会ったのは、去年の夏だ。
私が駅の中で落とした生徒手帳で彼が拾い、私の元へ走って届けてくれたのがきっかけである。
私は落としたことに気付かなかったため、それほど焦っていなかったが、藤堂平助は色々な危険性を考えつくしたのかなんなのか、遠くにいた私でも分かるほど焦った様子で全力疾走してきたため、走ってきた方角でなにかしらの事件でもおこったのかとめちゃくちゃ驚いたからか、藤堂が私の所へ辿りつき、生徒手帳を差し出してきた時のこれを届けるために全力疾走してきたんだ……感が本当に凄かった。
いや、ありがたかったんだけど、落胆にも安堵にも似た感情がどっと湧いた。
私と藤堂の出会いはそんな夏の日であった。
それからどうして仲良くなったんだろう。
私がお礼にとジュースを奢ったからか、藤堂が私の持っていたものに興味を示したからか、話してみたら意外と話があったからか、どうだったっけ。
よく覚えていない。
でもそれなりに今でも交流は続いている。
趣味とか趣向とか全然違うのに不思議。
藤堂は明るくて、元気が良くって、優しいから、一緒にいると私もそうなったんじゃないかと錯覚してしまうくらい、はしゃいでしまう。友だちと一緒に過ごす時間も同じぐらいに、まあ、友だちの方がもっと楽しいかもしれないが、それとはまた違った楽しさがある。
藤堂は私が行かない場所に連れて行ってくれて、知らない話を喋ってくれるからかもしれない。
いつもどきどきと心が弾んでしまう。

確か、十三時半。
終業式が終わった日、のはず。
誰よりも早く私がいる病室にやってきた藤堂は心配そうな表情を浮かべ、実に落ち着かない様子だった。
なんでも診察室以外に立ち入るのは久しぶりらしい。
健康的な生活をおくってきたんだろうな。
でも、緊張するのはなんだか違うんじゃないか?私はここで話をするのもなんだし、人気が全くないデイルームに行こうと提案した。
あまりこの時間に行く人はいないことを、予め私は調べていたのだ。
藤堂は辺りを興味深そうに、病院内を見ていた。
席についた私と藤堂は色々な話をした。
私の病気について。
今の体調。
退院の予定日時。
藤堂の夏休みの過ごし方。
他は当たり障りない学校の話題とかの雑談。
藤堂は病院内だからかいつもより声を抑えており、テンションをあげないようにしていた。
私もそれにつられて、こそこそと内緒話をするような声の大きさで藤堂と話す。
看護師さんがいるナースステーションも近いし、人が誰もいないとはいえ、みんなが使うところだから仕方ない。
藤堂はたっぷり私と色々喋り、最後にお見舞い品と思われる飴を三つ私に渡してから来たときよりも落ち着いた様子で帰っていった。

病院には友だちたちも来てくれた。
皆忙しいだろうに、合間をぬってきてくれたみたいだ。
私を心配してくれる友だちたちは私が退屈にならないように気をつかってくれたらしく、様々なお見舞いの品を持って来てくれた。
パズル。綺麗な花。漫画。
……どうやら皆お見舞いというものが初めてだったようで、どういうものを持っていったらいいかわからず、みんな自分がこうだと思ったお見舞いの品を持参したとのことだった。
正直にいえば、私はお見舞いされたことはあってもお見舞いに行ったことは少ないので、どれが正解かは分からない。
みんなの心遣いがうれしかったから、おそらくどれも正解だったと思う。


蝉が鳴いている。
空は寂しくなるほどに青い。
白い布団で身を守りながら、騒がしい外の音を聞いていた。
蝉が鳴いている。
……誰かが、喋っているのがきこえた気がした。
誰だろう。ふっと目を開けてみる。
遠くから顔だけを出し、誰かがわたしを見ていた。


こうも。
こうも、病院のベッドの上にいると、どうにも億劫になる。
それほど長くは入院していないにも関わらず、私は長く病院にいるんじゃないか、とそんな風に思えてくるのだ。
それに最近、おかしな夢を見るようになった。
おかしな夢。
今まで空を飛ぶ夢とか、突然街中にゾンビが溢れ、ゾンビに襲われる夢とか見たことはあったけれど、こんな日常的に終わる夢を連続してみるのは初めてで少し困惑している。
どうしてあんな夢を見るようになってしまったのか。
……わからない。
まあ、私が考えても答えが出るとも思えない。大した意味を持たない夢、のはずだ。
もう考えないようにしよう。
病院にいる私がやれることといえば、宿題とパズルとゲームぐらい。
でもそれも大体終わらせてしまった。
毎日があまりにも暇すぎるからだ。
同じ大部屋にいる人たちと少し会話はするが、年齢や性別が違うせいかそれとも私が口数が少ないからか、会話が全然続かない。
が、今日は特別なようでかなり朝から盛り上がった。
主に残念がる方に。
どうやらここの近くでお祭りがあるらしい。
私はここが地元ではないが、それでも分かるくらいに規模の大きなお祭りだ。
コマーシャルもやっていたはず。

夕方。
遠くから音楽が聞こえる。
病院の窓から会場が少し見えると気付いたのは、会場の明かりが灯された時であった。
それに気付いた同室の子――私よりもずっと幼い子が窓に駆け寄る。
近くにあったパイプ椅子を使っていいよ、と勧めればありがとう!と笑って座ってくれた。
お祭りの影響でだろうか、お見舞いの人もいつもよりずっと少ない。
小さな子の、羨望が滲む横顔をこれ以上見ていると悲しくなってしまう。
だから私は飲み物を買いに行くことにした。

私の好きな紙パックのジュースの販売機は一階の売店の近くにある。
一階まで出歩いてもまだ自由に歩いていい時間だから、看護師さんに注意はされないのだ。
ぼんやりと非常灯が光っている。今日は暗くなるのが早いようだった。
暗闇と静寂、そして独特な薬品の匂い。
病院だ。
慣れ親しんだ病院の匂いがする。
すたすたと歩く。
売店が見えてきた。
そして、どうしてか見慣れた姿、が。私は目を見開く。

「――藤堂?」
「え。え?なんでここにいるんだ?」
「ジュースを、買いにきたの」
「あ、あー、なるほど、そっか」

驚いていた藤堂はしかしすぐにひょいと手を上げて、まるで陽だまりのように笑った。
半袖から伸びる二の腕は、前よりも日に焼けているような気がしたが暗闇の中であるため、正確な判断が出来ない。
おそらく病室に来ていたのなら、また来たんだという空気がみんなの間に流れていたと思う。
それくらい頻繁に藤堂は私の病室へお見舞いに来ている。
もしかすると、友だちたちよりも多く来ているかもしれない。
ひとまず立ち話を止め、一緒にジュースを買いにいくことになった。

「また、お見舞いに来てくれた感じ?」
「なんだよ、来ちゃだめだったか」
「ううん、嬉しいよ。でもよかったの?今日、お祭りだったのに」
「いいって、渡したい物あったから。……ここで渡すのもなんだけどさ、これ」

手渡されたビニール袋は、自動販売機の光に照らされている。
確かにここで渡すかっていう感じだ。
ひとまず受け取り、持っていた財布から硬貨を自動販売機に投下する。
好きなジュースのボタンを押し、出てきたジュースを取りつつ、藤堂に中身を尋ねた。

「なあにこれ」
「りんごあめ。前に食べたいって言っていただろ。あっ持って来てからきくのもなんだけど、食事制限とかあったっけ」
「……私は、ないけど……わざわざ買ってきてくれたの?ありがとう……」

まさか、覚えていてくれたとは。
しかもただの雑談の内容を。
思わずジュースを握る手に力が入る。
手にある紙パックの形が少し歪になる。ビニール袋がゆらりと揺れた。
藤堂とそれから小さい声で話をした気がするけれど、正直なにを話したかは憶えていない。
お見舞いの最終退室時間は七時だからと手短に話を終わらせて、藤堂を祭りに行くように促したことだけは憶えている。
私はもう、十分にお祭りを楽しんだから、藤堂にも楽しんでほしかった。
藤堂は不満そうにしていたが、来年はきっとからだもよくなるから一緒に行こうと約束を取り付けると、渋々会場に向かっていった。
その後ろ姿を私は見送った。
見えなくなっても、なにもないし誰もいないのに見えないものを惜しむように私はその場にいた。ぎゅうと胸が苦しくなる。発作でもないのに、おかしいの。

わたし、おかしいの。

就寝時間。
ここから見えた花火で、いくらか元気になったみんなを尻目に私はぼうとしていた。
りんごあめはこそこそと備え付けの冷蔵庫に入れた。
明日食べよう、今は食べれない。
こそこそ食べる。
みんなが寝静まったあとでも、私の目は冴えていた。
私はベッドの中で、からだが弱くて良かったなあなんて、入院当初と思っていたことと真逆のことを思う。
馬鹿だ。
単純だ。
私は、藤堂が、私の為に色々なことをしてくれるのが、とても嬉しいのだ。
ずっとお見舞いに来てくれることが、気をつかってくれるのが、やさしくしてくれることが。
ずっと。ずっとまえから。
……多分、私は藤堂が、好き、なんだろう。
多分。きっと。
恋というには自分の中の確信が足りないし、曖昧すぎて仕方がないような気もするが、そうであって、ほしい。
私は堪らなくなり、大袈裟な動作で布団に包まり、暗闇の世界で願うように目を閉じた。


雨が降っていた。
雨が降り続いている。
蝉はもう、ないていない。


落とした生徒手帳を届けに行くためにオレは走る。
届けなくてはいけないと、この生徒手帳の持ち主の女の子に必ず会わなくてはいけないと強く思う。
走る。走る。走る。走る。早く!―――ああ、いた!
オレの走る音に気付いたのか、駅のホームに立つ女の子がオレの方を向く。舞い上がる髪。白い肌。丸くなっていく瞳。
ああ。


蝉の鳴く声が遠くから聞こえた気がした。