※パロディ。



 夜、純白の着物をきた少女が巨木の下でひとり佇んでいた。青白い顔を俯かせ、やがてやってくる相手をじ、と身を硬らせて待っている。
 近頃。少女の暮らす村に化け物が現れるようになった。田畑を荒らし、果実を喰らい、挙げ句の果てには人を襲う、そんな人々の暮らしを脅かす化け物が。化け物に襲われた村人が言うには、鋭い牙に爪を持つ犬のような化け物らしい。村人たちは困り、化け物を退治しようとしたが、化け物は素早く村人たちが仕掛けた罠には一度も引っかからない待ち伏せも通用しなかった。策が全て尽きたとき、一人の老いた男が手をあげた。俺に任せろ、そう男は言い。今日を迎えた。
 手をあげたのは名字喜次、今ひとり山中で放置されている少女の祖父であった。祖父の言う策とは自分の孫娘を囮にし、化け物を誘き寄せることだった。まず得体の知れないものを引き寄せる少女を目立つ場所に置き、ふらふらと寄っていた化け物を退治する。粗雑な計画だった。
 しかし少女はその計画が成功するともう分かっていた。そもそも化け物の件は全て祖父が仕組んだことだからだ。祖父の村での発言力を高める為の計画。田畑、果樹、村人は祖父の為の犠牲だった。家の者は一部を除き、祖父の身勝手な計画を本人の口から語られている。だが、誰ひとりとして祖父を止めたものはいなかった。実の息子である少女の父ですら黙ったままだった。もしかすれば少女の見ていないところで止めていたのかもしれないが。
 計画に協力している化け物は人の形と獣の形をとれる。その化け物とは、関係を疑われないように外でやり取りをしているらしい。
 露見してしまえば良かった。少女は祖父の計画で犠牲になっていく村人たちの悲痛な声を耳にする度にそう思っていた。村人たちが今まで努力してきた結果が台無しにされるのが、嫌で仕方なかったのだ。計画を台無しにしたい。少女の性格を知っている祖父は少女の外出を今日まで許さなかった。何も出来なかった。なら、この場でどうにかするしかない。
 怒りを静かに燃やす少女は恐怖を押し殺して相手を待ち続ける。自分がどうにかしなければ、化け物は殺されてしまう。例え金銭で買収されて悪事を働こうが殺されるのは見過ごせない。祖父が指定した時間まで余裕があるはずだ。それまでにどうしようかと頭を動かしていると、ざしゃざしゃと土と落ち葉を踏みしめる音がきこえてきた。
 少女は音がした方へ顔をあげた。まだ、時間があると思っていたが、実は既に約束の時がきていたのか、それとも祖父が釘を刺しにやってきたのだろうか? 
 どんどん近付いてくる音を待っていると、一人の見知らぬ男が木々の間から姿を現した。この、男が、化け物、なんだろうか。
背の高い、眼光が鋭い男。黒い衣服を纏う男が少女の方へ足早にやってくる。

「名字名前か?」

 名を知られている。少女ー名字名前は男の口から自分の名が出てきたことに驚きを見せた。なぜ、と思うが祖父が確認のために教えた可能性に思い当たり名前は男に向かい、分かりやすいように大きく頷く。

「はい。わたしが、名字名前、です」
「あーはいはい。成る程」

 何とも言えない表情をする男は名前を頭から爪先まで見てから、懐に手を入れ、するりと手紙らしきものを取り出した。男の唐突な行動に名前は混乱を抱く。更に手紙を広げてしまった。読んでいるのか? よくよく見れば手紙はひどくよれており、砂などが少し付着している。どうやら地面に落としたみたいだ。でも何故この男はこの場で手紙を読んでいるんだ、と緊張と混乱を通り過ぎ、名前の中に疑問が出てきた。名前はどうしたらいいのかと思いつつ、黙って男の様子を伺う。少しして手紙から顔を背けた男が口を開く。

「まず、僕は名字ちゃんが待っていた奴じゃない」
「……違うんですか? なら、何故ここに? 辺りには見張りがいたはずですが」
「いやあ、案外人間って見れてないものだよ。こうやってあっさり来れちゃうんだから。で、僕がここにきたのは待ち合わせ相手はここには来ないってしらせるため。普段なら別に気にしないんだけど、女の子と会うって知っちゃったからには放っておかないでしょ」
「来ない」

 男の言葉を繰り返す。来ない。まさか来ないと知らぬ男から断言されるとは思わなかった名前は動揺を見せる。祖父の企みに気付いたのだろうか。化け物がこの場に来ないことで、名前の抱いた思いの半分は達成されたのだが。

「貴方が、その、待ち人が来ないと、どうして知っているんですか」
「来れなくなるのをすぐ間近で見たから。その時あいつ手紙を落としてさあ。そこに色々書いてあったわけよ。名、会合場所、目的、対価とか」

 祖父と化け物は手紙でやり取りをしていたのか。男が持っている手紙へ目線が行く。名前はこの手紙がもっと早く村人に見られていれば良かったのにと思いながら、男に気になったことを尋ねる。

「あの、待っても無駄でしょうか」
「一生来ねえよ」

 はっきりとした口調。名前は俯く。一生こない。それなら今のところ名前が知っている計画の尾の部分が潰れたことになる。祖父が最も重要視していた部分。殺されないのならばと胸を撫で下ろすも、なら祖父が来ないことを知ったらどうするのだろうかと名前はまた不安になった。
 手紙を男に読まれたことについては、特に気にすることがないため名前は触れなかった。男の身が心配ではあるも恐らく事は全て今日で終息する。
 この男は名前と関わりを持ちたがっているように感じなかった。名を名乗らないのも、真夜中にひとりで山中に佇む名前に不審な目や都合のいいものを見る目を向けなかったのもある。
 ……祖父のことだ、今は。あの祖父がこのまま、来ませんでした、計画は失敗しました。で、そうですかと素直に頷くわけがない。なら、どう動く。嫌な予感を抱き始めた名前に男が声を投げてくる。

「それで? どうするの」
「どうする、とは」
「もうここに用事はないじゃない?」
「祖父に会って話をするので用事はありますよ。会ってひとこと言わないと気が済みません。一泡吹かせてやりたいんです」

 名前は自分の懐に軽く手を当てる。そうだ、会って一言いわないと気が済まない。自己満足でしかなかろうが。男は目を細め、名前の手を注視する。捉え所のない表情が眉を顰めた表情に変わったのを名前は意外に思う。広げていた手を握り込む。
 風の吹いていない夜だった。時折、枝が動き葉が揺れる音がするくらいで、あとは本当に静かだ。元々不穏な噂が流れる山だったが、今日は名前の家の人間たちが整備された山道の入り口を見張っているからか、更に人気がない。
 名前と男、二人だけが存在している。男は見張りの目を掻い潜って名前がいるこの場所までやってきたと言っていた。確かに抜け道はあるだろうが、男は名前の前に現れた際に灯りとあるものを持っていなかった。幸い今日は月が出ているから月の光が辺りを照らしている、しかしそれが険しい山道を登る頼りになるとは到底考えられなかった。目が良いのだろうか。目がいいとしても、月光に照らされた山道を歩けるほど良いなど名前はきいたことがない。名前が世間知らずなだけかもしれないが。

「俺が、名前を知っていたのを可笑しいと思わなかったのか」
「……手紙に書いてあった、と貴方は言っていましたよね。おかしいとは思いませんよ。おかしいことなんて何一つないんです。わたしの祖父はそういうお人なんです」

 名前は男へ返す。

「貴方こそ、ここに御用はないでしょう。帰られた方が身のためですよ、祖父たちがもうすぐ」
「もうすぐ、じゃなくて。すぐだ」

 すぐ近くで声が響く。いつの間にか、男がすぐ側で名前を見下ろしていた。突然のことに名前は思わず後退る。祖父たちが来るであろう唯一整備されている山道へ一瞬、本当に一瞬視線を向けただけだった。人は、こんなに速く音も無く動けるのだろうか? 腕を掴まれる。遅い。何がだ。名前は自分が男に抱いた印象が違っていたのかと今更ながら判断に迷う。

「来い。ここから離れるぞ」
「はい?」

 返事など求めていないと言わんばかりに腕を引っ張られ、名前は目を白黒させる。
 巨木の下から連れ出される。「待ってください」立ち止まって踏ん張ろうとするも、どうにも男の力の方がずっと強い。名前がそれでも抵抗しようとすれば、最も簡単に抱え上げられてしまった。
 巨木が遠くなってゆく、この男は厄介な名前を連れてどこに行くというのだろうか。呆気に取られる名前は固まったまま、遠ざかっていく巨木を見送るしか出来なかった。