「あら」

名前は床に落としてしまった小物を、ショックを受けた瞳で視線をやった。

考え事をし、意識を飛ばしていたせいだ。
手を滑らせるなんて、らしくもない。
反省するのは後だ。この小物の状態を確かめないといけない。

「…ヒビが入ってしまったわ…」

床から拾い上げて、小物を見てみれば結構大きなヒビが出来ていて、名前から溜息が自然と出た。
白い花をモチーフにした小さな置物。
始めて近侍をつれ、城下町らしき所で買ったもの。
しかも、近侍が買ってくれたものであった。
その日のことを思い出ながら、その小物を机の上に置く。
周囲の人間から感情の起伏がないと言われる名前も、流石にこれにはショックを受けた。溜息が自然と出てくる。

「主」

ぼう、とヒビが入った小物を眺めていると、外からその近侍の声が聞こえた。

「なに?」
「主の部屋の中から落下音がしたので、いかがされたのかと思い」
「あぁ、大丈夫よ、気にかかるのなら入っていいわ」
「…では、失礼します」
「ええどうぞ」

音もなく障子を開け、部屋にやってきたのは蜻蛉切だった。
主の部屋から聞こえた些細な物音が気になってきたらしい。
随分と真面目で、主思いの刀剣である。名前は顔に出さないまま感心した。
訪れた刀剣のためにと用意した座布団に座るように言い、蜻蛉切に名前は向き直る。

「確かに落下したものはありますが、怪我はしていません」

心配しているであろうことを、名前は最初に告げた。
そうすれば険しい表情から、ほっとした表情に変わる。

「それはよかったです」
「けど、昔貴方が買ってくれた小物が落ちて、ヒビが入ってしまいました」
「…小物、ですか」
「白い花のやつです、ごめんなさい壊してしまって」
「いえ、主に怪我が無いようでよかったです」

名前に向かって、頭を下げる蜻蛉切。
大男へ頭を下げられているにも関わらず、動揺せずにいる名前は、主に相応しい風格を備えているように見えるだろう。
感情の少ない声で、名前は「面をあげなさい、蜻蛉切」と声をかけた。

「はっ」
「貴方にはこれから、私と共に城下町へと行ってもらいます」
「承知しました」

さっと立ち上がり、上着や鞄やらを用意していく主の背中を、蜻蛉切は見つめる。
まさか何事にも無関心そうな主が、自分が買ったものを今日まで持ち続けており、更にはそれを覚えているとは。蜻蛉切は感極まる思いであった。
蜻蛉切が過去を振り返っているのを知らない名前は、不審な様子の蜻蛉切を見る目を細めて。

「準備が出来ました、参りましょう」

とだけ言い、部屋を出てった。


刀剣男士は分霊である。
本丸の数ほど分霊は、同じ顔をした刀剣男士は、存在する。
そのため、他の審神者などが集まる城下町、あるいは万屋、そして演練は、自身の刀剣男士を間違うことが頻発した。
審神者たちからどうなっていると言われた政府が、問題をどうしかしようと原因を調べたところ、霊力の混雑が原因とのこと。
人が多いと霊力も、当たり前だが多くなる。しかも審神者にもなる程の霊力の持ち主が一堂に集まっているのだ。霊力のぶつかり合いで、霊力感知が鈍くなるのは仕方がないことだった。

「はい、つけるわよ」

後を追ってきた蜻蛉切の手首に名前が、紐をつけようとした。
この紐が政府の出した問題の打開策だ。
紐に霊力を込めながら編むと、GPSにも似た力を発揮する。
なんでもこの紐は特殊な素材で出来ており、霊力を吸収し、温存するらしい。
その力を利用し、主の霊力に鋭い刀剣男士と、自分の霊力なら理解できる審神者の目印になると政府が配布した紐がこれだ。
城下町、万屋、演練に行く際は必ず自身の刀剣男士に装着させるように、政府からは命令されている。
置き場所は特に指定されていないため、本丸ごとに様々だが、この本丸は刀装部屋にある箪笥の一番上の引き出し(鍵付き)の中だ。
名前は審神者に選ばれたその日に命名された審神者名と同じ無色の紐をくくりつけた。

「これでいいわ」
「ありがとうございます、主」
「いえ、外出の事は、先程擦れ違いざまに皆には言っておきました、ですので問題ないでしょう」

たしかに、刀装部屋に行く途中に刀剣等が集まる広間があった。
成程、広間がやけに騒がしかったのはそのためか。
蜻蛉切は主が主がと、障子の向こう側から聞こえてきた声を思いだし、そっと苦笑した。
名前が蜻蛉切を再び、あの細い目で見る。

「では、行きますよ」
「は、……あの主」
「なにか」
「もう一度、贈り物をさせて頂いてもよろしいでしょうか」

名前の目が、驚愕したように瞬きを繰り返す。
やがて、ふいと部屋の障子の方を向き、名前は歩き出す。
もしや機嫌を損ねてしまっただろうかと、戸惑う蜻蛉切の元に。

「いいですよ、その代わり、私も贈らせてもらいます」

そんな名前のどこか嬉しそうな声が届いた。
小さく蜻蛉切をみて笑うその笑顔は、白き花の如く美しかった。