*血とか無理ーという方はお戻りください。閲覧後の批判は受け付けません。
*原作から数年前のこと。




その日初めて名前は血を大量に抜かれた。輸血の為の血であった。
太い注射針を、浮かび上がらせた血管に刺し入れ、死ぬギリギリまで抜かれた。
とある少年のために血だった。

その少年は、名前の保護者の男が所属している組織と、他の組織との抗争に最後まで参加し、多くの敵を葬って来た。
抗争による被害は、予想された数より多く、何故か大量出血者が特に多かったのだ。
敵の異能によるものらしいと、後から聞かされたが、そのときはまだわからなかったと言っておこう。

名前が血を抜かれる原因は、闇医者たちが用意していた輸血の量が、その少年が来た際には、もう足りなかったためだ。
少年に当てられた病室には、保護者の男と手伝いにやってきた名前しかいなかった。他の者達は怪我人の介抱や治療に当たっていたため、その場にいなかったのである。

―血が足りていない。

そう男は言った。少年は包帯やガーゼで傷を覆い、深く気を失っていた。血の気のない顔色は、まるで死体のようである。
ベットに横たわる少年を静かに見据える名前に、男は更に言葉を重ねる。

――僕の血液は、彼に輸血できない。けれど、君の血液は輸血が出来る型だ。先程輸血が可能かどうかの検査を行ったが問題なかった。……いいたいことは、わかるね。
はい。

名前は返事をしてすぐさま、なんの躊躇いもなく腕まくりをした。
この場で少年に輸血が可能であるのは、名前だけであったから。

その日、名前はチューブ越しに自分の身体を巡る命の欠片を見た。



「中也に輸血したのだってね」
「はい」

怪我をしたという少年―太宰の手当てをしていた名前に、太宰はつまらなさそうにしながら、そういってきた。名前は隠す必要などないと考え、太宰の問いかけに素直な様子で頷く。あっけない返事に太宰の表情が、愉快気なものに変化したと、包帯を真剣に巻く名前は気付かない。

「それが如何したんですか」
「いいや?しかし、本当に輸血していたのだね。てっきり中也が臆病になっただけかと思ったのに」
「……中原さんが、臆病?」

怪訝そうに名前がやっと包帯から太宰に目をやった。名前の関心を惹けた事実をどう思ったのか、太宰が笑みを浮かべる。
中原中也とは、名前が血を分けた少年の名前である。抗争に最後まで参加した、あの少年が。不意打ちさえされなければ、名前の血など必要なかった、あの少年が…臆病だとはどういうことだ?
一体何の冗談か。しかし、全然想像もつかないが中原中也の相棒の太宰が言うのだから、戦闘に出ていない自分よりも確かな話だ。しかし、信じられない。
眉を寄せ、不思議そうにする名前に太宰は大袈裟に肩を竦めて見せる。

「そう、いや臆病、というよりも、怪我を避けるようになった、が適切な表現かな」
「……」
「そうだ、名前。唐突だけれど、中也と会っているかい」
「はい、会っています、ほぼ毎日……おそらく心配して下さっているのでしょうね」
「へえ……けど、医務室には、来ていないだろう?」
「はい、来られていません」

太宰の言う通り、小競り合いの度に来ていた中原中也は、あの日を境にぱたりと医務室に来なくなっていた。
代わりに廊下などでよく話しかけられ、身体の調子を聞かれる。

「怪我をしなかったから、来ないのでは?」

名前は珍しいとその時思ったけれど、そういうこともあるかと深く考えてはいなかった。
太宰が名前の発言に「そう」と吐息を混ぜつつ言う。どこか笑みを滲ませた相槌。何故太宰がそんなに愉快そうであるかが、名前には分からない。
――太宰とは、ここの組織に太宰が来た時からの付き合いだが、いまだに名前は太宰のツボが理解できないでいる。
けれど、何かいいたいということは分かったので、太宰の台詞を静かに待つ。

「名前の言う通り、中也は怪我をしていない」

首を傾げる名前を見た太宰は嬉しそうに笑った。

「……怪我することを、中也の癖に上手く避けている。今までとは違ってね」

綺麗な唇が、美しい弧を描く。

「ねぇ、どうしてだと思う?」



「名字」

名字は、名前の名字である。名字名前がフルネームだ。
聞き覚えのある声に呼ばれた名前は、そちらの方を振り向いた。
そこには元気そうな中原中也がいた。名前は病室に向かう足を止め、中原中也に向き直った。

「中原さん、今晩は」
「ああ……病室に向かう途中だったか、邪魔したな」
「はい、ですが、そんな急ぐことではありませんから、気になさらず…なにか御用ですか?」
「なんだよ、用事がなきゃ話しかけるなってか」
「いえ、そういうわけではありませんが」

不機嫌そうな中原中也の態度に首を振って否定した名前はふと、先程までいた太宰の言葉を思い出す。
…どうして、と問われたが、それに名前は答えられなかった。
人間の人体に興味深々であっても、人間の心情の方には興味がない。名前は、そういう少女だった。

「体調は」
「上々です、どこも変異はありません」
「そうか」

中原中也が満足そうに頷く。
中原中也という少年は口が悪くて暴力的だが、仲間思いだった。その仲間という枠組みに自分が入っていることを、名前はこうしてやってくる中原中也を見ていくうちに理解した。

「……ところで、中原さん……最近、医務室に来られませんが」
「そりゃ怪我してねえからだよ」
「……はい……。以前は、小競り合いの度にいらしていたので……どうしたのかな、と思いまして」
「まるで俺が小競り合いの度に怪我してる言い方だな」
「そういっているのですが」
「名字、手前悪気はないんだよなァ?」

悪気とは一体、何のことを指していっているのか。はて、と名前はきょとんと瞬きをして、中原中也の反応を待つ。
中原中也は呆れたような表情を浮かべたが、特に何も言ってこなかった。
その表情を見た名前はそうだ、と思いつく。どうやっても自分の頭では、太宰の問い掛けの答えが分からない、なら直接本人に――中原中也に聞いてみればいいのではないか、と。
名前は、やはり、人の気持ちに鈍感で、怖いもの知らずの少女だった。
口を感情のまま開く。

――名前にとって、嫌悪を滲ませるほどの太宰と中原中也の不仲など、関係ないと思っていたし、これっぽっちも興味もない、恐れるに足りないものであった。
だから、躊躇いもなく平然と太宰の前で中原中也の名前を出せて、中原中也の前で太宰の名前を出せる。他の者が聞けば、冷汗をかくまでの頻度で。

「先程、太宰さんが来られて、中原さんが怪我をするのを避けていると言い残し帰られました。……それは本当の事ですか?いえ、答えたくなければ、答えて頂くなくとも結構ですが」

太宰、という名を出した瞬間、中原中也はさっと顔を顰めたが、その後は名前の言葉をただ静かに聞いていた。
何かを、思うように。

今は夜。仕事終わりに中原中也は来たのだろう。わざわざ、足繁く。
名前ももう後は後片付けを済ませて、保護者の男と共に住んでいる家に帰るだけだ。
男は、まだいてくれて、名前を待っていてくれているはず。
もうすこし、この疑問が解決するまで、待ってて欲しいと名前は心中で願った。

「名字」

責める様な声が、名前の鼓膜を震わせた。
飛んでいた意識を中原中也に戻すのと同時に、手袋に包まれた片手が名前の鎖骨辺りへ置かれる。親指が喉元に触れた。
本能か背筋に嫌なものがぞっと走る。
目を僅かに見張った名前は、中原中也を瞳に映す。

「莫迦か手前が気付いて、手前で考えろ、俺がくる意味もだ」

中原中也は、名前の瞳を、見ていた。

――名前はこの時ほど、自分の無知を恨んだことはない。
この時の中原中也の表情を当てはめる適当な言葉を、名前は思い当たらなかった。
無意識に名前の喉がひくりと動き、中原中也の親指も上下に動く。激しく脈打つ鼓動が聞こえる。名前が生きている証だった。
中原中也の異能の詳細を、名前は知っていた。中原中也の手が触れている。つまり、自分が一歩何かを間違えてしまえば、命の危機に晒される可能性に気付いている。
しかし不思議と、名前は命の危機を感じていなかった。
中原中也が、自分を殺すわけがないという、不可解な確信があったのだ。
怯えることのない名前を中原中也が意地悪く笑い、緩やかに手を離す。

「ま、そういうことだ。…あと、太宰とはまともに喋るんじゃねえ、いいな名字」

時間とらせて悪かったな、と中原中也は片手をあげて、名前に背を向けて去っていく。その背を呆然と見送り、名前は中原中也が触れていた箇所にゆっくりと触れた。
今まで接してきたが、あんな風な態度を取られたことがない。
物事がいつもように考えられなくて、名前は混乱しつつも深呼吸を冷静に繰り返す。
考えろ、と言われた。
あんな顔をされて、言われれば、そうせざるを得ない。
きっと、いつも何かと助けてくれる太宰を、頼りにしてはいけないんだろう。
そもそも太宰からも、問いかけられているのだ。答えてくれるはずも、ヒントを出してくれるはずもなかった。

「………難しい」

中原中也の言った意味を、名前は一向に来ることのない自分を心配してやってきた男に話しかけられるまで、その場でひたすらに考え続けた。
中原中也のことを、ひたすらに。