10


 リードを苦労しながらつけ、学生服を直して、防寒着を着て……。
 家から出れば、途端に吐いた息が白く染まり薄暗くなった外に消えていく。
 がちゃんと家に鍵をかけてから私よりも先に外に出ていたヒロフミをにらみつける。私の鋭い視線に気付いたヒロフミが、平気そうに笑って返す。余裕そうだ。
 散歩をしよう。とヒロフミが言い出したので、今日のSMごっこはお散歩、である。SMごっこだから、ただぶらぶらと歩く普通の散歩ではない、先程までつけるのに悪戦苦闘していた首輪をして、リードをしての散歩である。
 ただのSMだったなら、防寒着だけじゃなく衣服を脱いで、下着だけの姿で散歩させるのかもしれないが、これはごっこ遊びだし、私はそんな過激なことをしたくない。
 「ほら、こっち。俺の方きて」
 「ええ……。どうしても……」
 「どうしても。早くしないと危ないから」
 「はい……」
 私の人権の話だろうか。
 ヒロフミの側に寄る。髪の毛がヒロフミに触れる。寒いから人の熱が丁度良いけど、私にとってはよくない。かなりよくない。ヒロフミが私の手をとり、自分の防寒着のポケットに導く。すっぽり入る、狭くて、温かい。
 「リード、手でとれるよな?」
 「と、とれます……」
 もたつく舌を何とか動かす。
 一体どうやって散歩をするんだ? リードを持つと何をやっているかがバレるだろうと思っていたが、成程こうするのか……。
 とれますって言ったが、まだリードを見つけられないんだけど。
 ……リード、ヒロフミの体を弄るみたいな真似をしないと見つけられないんじゃない? 自分の気付きに愕然とする。どうなっているんだ。
 ヒロフミはいいのかな、私に体を弄られる、ようなことをされて。あと、凄く近いし、無理だ、考えない考えない……。
 無心でリードを探す、ボタンに触れたが気にしない。ヒロフミの体を弄る、いや、リードを探していれば、手に触れたものがあった。リードかな、待って、違うかも……、違うとしたらヒロフミはリードの他に紐のようなものを身につけていることにならない? これが探していたリードだろう。なら、握るべきだ。それに、このままヒロフミに密着したままじゃ、色々私にとって不都合だ。勇気を出して、リードを握ってみる。
 「うん、正解」
 耳元で囁かれる。何度目になるか分からないが、勢い良く離れようとして、私よりもずっと強い力でぐっと肩を掴まれ、離れることが出来なくなる。
 「え、ええ……」
 「離れなくていいでしょ。はい、行くからね」
 「あっ、ああ〜」
 ぐいぐい。そのままの体勢で家の前から連れて行かれる。昔から慣れ親しんだ家の周りをSMごっこをしながら歩くことになるなんて、全く想像しなかった。顔見知りの方にたまたま会ったらどうしよう、想像すると……目眩がする。
 「名前、ちゃんと歩いて」
 「……こ、こんな人と密着したまま、歩いたことないし……、すぐには、慣れないよ」
 剥き出しになりそうな感情を落ち着かせてから文句を言う。ヒロフミはそれはそうだ、とヒロフミは私の文句に肯定を返し、するり流れるような動きで私の腰に手を回す。
 リードの存在が手の中でどんどん大きくなる。ヒロフミの熱におかしくなりそうだった。
 自分に蠢く欲望から目を逸らす為に、会話をしながらゆっくり歩く。見覚えしか無い家の群れ、昔から置いてある赤いポスト、ただの広い空き地だったが最近立派な家が建てられた土地。
 私の住んでいる家の歴史はちょっと古い。ここでは古参の住人である。つまり、ここの辺りは幼い頃の思い出がたくさん詰まっているのだ。だから、今とても気まずいし、気が気でない。近所のおばさんにあったらどうなるんだろう。その隣の男の子は? なんてきかれたら何て言えばいい? だって、私たちは今こんなに密着していて、見えないだろうがヒロフミの防寒着の下は首輪がつけられていて、更にはリードをつけて、そのリードは私が握っている。そんな状況になって、そんな質問を投げかけられたら、私は堂々と友だちだと答えられるだろうか。
 私とヒロフミは友だちだ。望んでいなくてもSMごっこをする仲だとしても、友だちと言える。
 しかし、もしも、この状況が露見したら、友だちだと思われないんじゃないか? 私がいくらこの男の子は私の友だちです。と言っても、首輪リードをつけたヒロフミを見た後では、そんな言葉信じられないはずだ。目撃した相手に、こんなことしているけど、小学生からの友だちなんです。本当なんです。と弁明しても信じて貰えないだろう。そもそも露見したら困る所の話じゃない、終わりだ。社会的に、心情的に。
 歩く度にリードが動くのが手の平から伝わってくる。動いて当然だろうと思うが、私はそれに馬鹿みたいに動揺する。馬鹿みたいに実感する。今、私はヒロフミとSMごっこをしているんだ、といやになる程。外灯の下に入るのを躊躇うほど。
 散歩。夜に外へ出るのことは滅多にない。私が臆病だからというのも理由にあるが、悪魔が出現するのが大きな理由だ。悪魔は朝も昼も出現するが、夜は暗くて外灯を設置するにも限度があるから、暗い所に潜まれたら発見に少しの時間がかかる。だから、最悪の事態にならないように、自衛をしているわけだ。いくら隣にデビルハンターがいても、怖いものは怖い。頼りのデビルハンターに首輪リードをつけて散歩しているのも怖い。
 時間が経つと、密着したまま歩くのにも慣れてくる。体温には、まだ慣れない。寒さがだんだん強くなってきて、日が落ちるのも早くなってきたことを実感する。家から出た時は薄暗かった空もあっという間に真っ暗だ。
 「集中して」
 「し、しているって」
 何故か咎められる。どちらかといえば、咎められるのは強要をしているヒロフミの方じゃないかと思ったけれど、ぐっと堪える。
 結構歩いたが幸い、今のところ誰にも会っていない。厳しい状況ではあるが、それだけが私の救いだ。
 普段歩く道、日光も外灯も届かないから近付かない道を二人で歩く。最終的に誰にも会わないで散歩を終えることが出来た。我が家のドアの前に立った瞬間、どっと疲労がやってきて足がもつれ、ふらついたのをヒロフミに助けられる。外側にふらついたので支え直された、といった方が正しいだろうか。私の様子にヒロフミが心配してくれた様だった。
 「鍵どこ? 俺が開けるよ」
 「だ、大丈夫……、私が開けるから」
 スカートのポケットから家の鍵を取り出し、さっさと開ける。力を振り絞って、体を使ってヒロフミを強引に家の中に入れた。
 「びっくりした。そんなに寒かった?」
 「……寒くないよ」
 呑気な。私はこんなに自分の社会的立場と自分の性癖に頭を悩ませているというのに。でも、ヒロフミの動じなさは見習うべきかもしれない。そうすれば、ヒロフミからの脅しのような言葉をかけられた時に、「バレたってどうってことないけど」と胸を張っていれば、こんなことにはなっていなかったはずだ。
 「リード」
 「……リード?」
 言われてからはっと気付く。私、リードを握ったままだ。慌ててリードを手離し、ヒロフミの防寒着のポケットから素早く出て行く。そして、あわよくば密着した体が離れれば良いと思ったが、ヒロフミの体幹が良すぎるのか全く離れることが出来なかった。力が強い。
 誤魔化すように、手の平に残ったリードの感触を消そうと拳を作ったり解いたりする。忘れていたわけじゃない、いっぱいいっぱいになっていたから、すぐに気付なかっただけだ。そうに決まっている。そうだよね。
 「もう離れてもいいでしょ。……今日は温かい飲み物でも飲んで帰ったら」
 「用意してくれるんだ、ありがとう」
 「はい……」
 お礼を言われるのと同じくらいのタイミングで体を離される。これで私は本当にヒロフミから解放されたわけだ。靴を脱いで、逃げるようにキッチンに向かう。学校から帰ってきてすぐに首輪をつけての散歩に出かけたので、温かい飲み物を飲むには水を沸かさないといけないのだ。
 

 帰ってもらえば良かったんじゃないのか? そんな思いが通過していく。かつての記憶と同じ配置で座っているから余計にそう思ってしまう。でも、寒い中を散歩していたんだから、体を温めた方がいいという思いもある。
 ヒロフミは湯気が上がっているコーヒーを静かに飲んでいる。夜にコーヒー? と首を傾げたが、ヒロフミにはヒロフミの嗜好があるので口には出さなかった。私は好きな温かい飲み物を飲んでいる。
 暖房をいれたので、だんだんリビングは温かくなっているだろう。散歩の時とは違い、無言の時間が過ぎていく。テレビをつけなかったから、暖房の音と時計の音がカチコチきこえる。何だが気まずい。目の前にいるヒロフミは首輪をしたままだ。恐らく首輪を外すように言ってくるはずだから、今の内に腹をくくらないと。あと、首輪ってどうするんだろう。ヒロフミが持って帰る? それとも私が保管する? どうするんだ。飲み終わったら、首輪の行方について話し合うのかもしれない。そう考えるとこの場に落ちている沈黙が恐ろしくなってくる。
 口の中にある飲み物の味がわからなくなってきた。ヒロフミに目を向けてみる、ヒロフミは私の向けた視線にすぐ気付き、微笑んでくる。
 ……ここのところ、考えないように頭の端に追いやっていた自分の性癖について、思考をやってしまうし、ごっこ遊びを思い返して頭を左右に振ってしまう。
 こっちを見て笑うヒロフミはごっこ遊びに飽きる気配がない。むしろ、デビルハンターの仕事に、学校のことに時間を使って忙しいにも関わらず、ごっこ遊びする為の時間を作り出す。でも、楽しいとか飽きない理由を口に出すことは無い。私のよろこぶ顔が見たいと言っていたけれど、それがヒロフミがごっこ遊びを止めないで続ける理由なんだろうか。よろこぶ顔が続ける理由なら、止める時は私のどんな表情が理由になるんだろう。尋ねる勇気は、まだ出てこない。