03


 よろこぶ顔が見たい。
 なに? なんだ? その台詞を言った際のヒロフミの表情を思い出す。まるで昨日、強制させて首絞めをしていた最中に浮かべていた表情。
 唖然とする私なんて意に介さずヒロフミは決めることはもう全て決まったと言わんばかりにするりと私の手から自分の手を退けて、さっと力の抜けていた握った私の拳からさっと包帯を抜き取っていった。
 「納得した?」
 また私を覗き込んできた。そっと離れていったヒロフミは自分が座っていた椅子の前に行き、コップを掴んで飲みかけのジュースをあっという間に飲み干した。それから椅子の位置を直してから言う。
 「ごちそうさま。じゃ、俺そろそろ帰るな」
 さっさと学生服を直して、ヒロフミはいつものように帰った。
 一人だけになったリビングで起こったこと、耳を疑うお願い、ヒロフミの最後の言葉が脳内を回り、固まって動けなくなっていたが、ぼんやりとヒロフミが帰ったんだから鍵をかけに行かなくちゃな、そう思い鍵をかけに行った。
 再びリビングに戻ってきた私は椅子に座る。
 気になっていた疑問が解決した、でも、すっきりしない。
結局、SMごっこなんて嫌悪する自分の性癖を直視しなくてはいけない遊ぶをやることになった。正直ヒロフミが私に会いに来た時点で嫌な予感がしていたのだが、まさかこんな展開になるなんて思わなかった。
 ああ、ほんとうに、なんで……。
 よろこぶ顔が見たい、とか。子どもが親の手伝いをする、老い先短い祖父母のために自分の晴れ姿を見たい、誕生日を迎える友だちのプレゼントを選ぶ。そんな感じの意味だろうか。
 サドだと確信している昔馴染みに脅しの様な言葉をかけ、SMごっこをしようと持ちかけてきた理由が私のよろこぶ顔だなんて、一体誰が想像出来る。私は想像出来なかった。頭が全く動かない、衝撃が大きすぎる。
 ヒロフミはどこを見て私がサドだと気付いたかは全然分からなかったけど。本当にわからない。デビルハンターが持つ優れた観察眼でバレた? ……デビルハンターが持つ観察眼だとしたら、この世に存在するデビルハンターは一目見ただけで私の性癖を見抜くことになってしまう。私の名誉のために観察眼でバレた、ということにはしないでおこう。
 理由の謎が解決したのはいいが、解決した理由でまた謎が出てきた。
 ヒロフミと二人だけになった時に、周りに誰もいない時に勇気を出して、どうして私がサドだと気付いたのかと尋ねてみようかな。……周囲に誰もいない、二人しかいない時の機会って、ヒロフミが提案したSMごっこだけじゃない? 何の覚悟も出来ていないけど、私は大丈夫だろうか? ……早くヒロフミの首のあと、治らないかな……。


 「おはよう、名前」
 「……」
 朝から緊張で体の震えが止まらなくなるところだった。
 学校に登校しようと外に出て鍵をかける。と、背後から聞き慣れた声が私の耳に入ってきた。そちらの方を向けば、案の定、ヒロフミがいつもと変わらない様子でそこにいた。既視感を覚える、昨日もこんな感じだったな。思ったけど、ヒロフミって一昨日といい、昨日といい、何であんなことした後にも関わらず、こんな平然とした顔で私の前に現れるんだ? 私が号泣したり、ショックで呆然と過ごしているのに、私をこんなにした張本人のヒロフミはこうして平然と変わりなく過ごしているんだ。そう、考えると腹が立ってきた。
 腹立たしさに任せ、ヒロフミに近付きシャープな頬をむにむに指で摘んだ。
 「ええ、何?」
 「……何も。おはよう」
 鍵をかけた後で良かった。
 私は頬から指を離し、ヒロフミを置いてさっさと歩き出す。一緒に登校とか恥ずかしいし、引き離したいのだ。しかし、ヒロフミは足が長いので私が早歩きをしても、コンパスの差であっという間に追いついてくる。
 「今日は泣かなかったみたいだな」
 「な、何、今日はって……、昨日も一昨日も泣いてなんかないけど」
 「嘘吐かなくてもいいんじゃない? 誰にも言ったりしないよ」
 「信じられないな……」
 ヒロフミは今私からの信用がガタ落ちしているのに気付いてないのか。できれば、すぐに気付いて、昨日の提案を撤回してほしい。
 というか、ヒロフミの首を絞めることを強制されたショックで私が泣きに泣いたのに気付いていたの? 友だちが誰も指摘してこなかったかは目の腫れは引いたんだと思っていたんだけど。友だちがそんな薄情なわけない、でも気を遣ってあえて指摘をしなかった可能性がある。それとも鎌をかけられた?
 指先を目の下に当てて考えていれば、ヒロフミが小さく笑うような声が聞こえた。じとりと笑った相手の方を見る、目が合う。面白いものを見ている表情だ、面白がられている顔を見られたくなくて、目をさっと逸らす。
 からかわれている……。たまに見るこの表情が、からかいのものだと知っている。
 走って逃げようとすれば、反応良く腕を掴まれて阻止された。反応が良すぎる、デビルハンターってやっぱり凄いんだなあ。
 「ごめんごめん、もう今日はいじめないから一緒に行こう」
 「……今日は?」
 「今日はおしまい」
 「やっぱり一人で行っていい?」
 「だめ」
 「……はいはい」
 早くからわざわざ来たみたいだし、仕方ない一緒に行くか……。
 ヒロフミは基本、頑固だ。言い出したら自分が納得するまで口から言葉を撤回しない。私はそれを知っている。大した意志の無い私がヒロフミの頑固さに屈するのは当然であった。
 二人並んで学校に向かう。こちらの方向から来る友だちがいなくて良かった。ヒロフミと一緒に登校しているところを見られたくない。ん? こっちの方向から来る友だちがいないからヒロフミがここにいるのか? いなくて良かったじゃないな。誰か一人私の家の近くに引っ越してきてくれないかな。
 ちらりと隣を歩くヒロフミを見る。私の視線に気付いたのか、ヒロフミがこちらへ首を動かして私の方を見ようとしてきたので、すぐ前を向いた。
 ヒロフミって顔をよく見てこようとするから嫌なんだよな。なるべく人と話す時は目を見て話そうみたいなこだわりがあるのかな、私と話す時って大体目を見て話すし。こだわりがないといいな……。まだまともに顔を直視出来ないし、目を見て話すことなんてもっと無理なんだけど、私二人きりの空間できちんと尋ねられるだろうか。