05


 今、私は良くないところで借りたお金を返すために、更に良くないところでお金を借りているような状況に陥っている。
 私はあの時、ヒロフミに脅されたと思った時、屈するべきではなかったのだ。
 ヒロフミの首にくっきりついた手のあとが消えても、今度は手錠をつけた際に出来たあとが出来る。SMごっこをすればするほど、私がヒロフミを痛めつけているという証拠が消えないままだ。私はずっと、こんなことをしていくんだろうか。ヒロフミの気が変わるのを待つしかない。それまでは、我慢だ、我慢……。

 手錠が揺れている。
 初めてSMごっこをした日はヒロフミがベッドに座って、私がカーペットの上に座っていたのだが、今はやりずらいというヒロフミの発言により、私たちはベッドの上でSMごっこをしている。ベッドに上がるのは流石に……と遠慮したけれど、ヒロフミの気にしていないからという押しの強さに負けた。
 ベッドの上で手錠をつけて、色々なことをしているときけば、もう何だかインモラル的なことを想像するかもしれないが、単に二人で映画鑑賞、漫画を読んで感想を言い合ったり、ゲームをしたりと友だちがする遊びをしているだけで全然インモラルではない。手や足に手錠をしているのならインモラルか?
 最初はそんな感じだった。
 SMごっこはヒロフミが指示を出し、私がそれを淡々とこなす。これではどっちがエス役かエム役か分からない。ヒロフミは苛烈なことをしない。一番苛烈だったのはSMごっこのきっかけになった、あの日の首絞めだろうか。それくらいSMごっこは、ごっこと名付けられたものに相応しいものであった。
 そう先程まで、ヒロフミから黒い布を渡されるまでは。
 私は遠い目で渡された黒い布を眺める。
 ヒロフミはいつも通りの表情でそんな私の様子を私と同じように眺めてくる。
 目隠しでもやってみるか、とヒロフミは言った。
 手錠をかけたヒロフミに目隠しって……、絵がまずい、不味過ぎる。こんなのインモラルだ。
 というか、ヒロフミはデビルハンターをやっているんだから、緊急で呼び出される可能性があるはず、にも関わらず、そんなガチガチにSMごっこをして大丈夫なんだろうか。
 「……大丈夫? 呼び出しとかないの」
 ヒロフミが提案してきたのだから、と思ったが、一応確認をとる。
 「今日は大丈夫なんだよね」
 すんなり言葉が返ってくる。……あわよくば呼び出しが入り、SMごっこが無くなってくれればと期待したけれど、人生ってそうとんとん拍子にはいかないみたいだ。そうだよね、大丈夫だから言い出したんだよね……。仕方ない。不服を込めて溜め息を吐く、溜め息を吐いてもヒロフミは何も言わない。ヒロフミは察しがいい、だから私が乗り気ではない、SMごっこを嫌がっているのには気付いているはずだ。だというのに、こうやってわかりやすい行動をしているが何の反応もしない、はっきり言えればと思うが、おそらく言い返されて終わりだし、また私がした行為のあとを指さされたらと思うと……。ううん、考えない、かんがえない……。
 「こっちに背中を向けて」
 ヒロフミがゆっくりと私の言う通りに背中を見せる。流石に向き合って目隠しを出来るほど、開き直れていない。
 このごっこ遊びの時、ヒロフミは私のいうことには逆らわない。普段はぐいぐい意見を突き通してきたり、頑なに気持ちを曲げないで相手を折らせたりしているヒロフミとは思えない態度に最初の頃は恐ろしく思っていたが、やはり人は慣れる生き物で、今ではヒロフミは素直だなあ、なんてSMごっこが始まる前の私が聞いたら、目をひん剥きそうなことを今では思っている。
 きちんと手入れをしているのか、指通りの良さそうな髪。ピアスがたくさん刺さっている耳。あ、ここ私が開けたやつだ。細身だが体幹
の良さそうな体、デビルハンターだから見えないところで体を鍛えているのだろう。
 背中を向けたヒロフミに後ろから目隠しをしようとするのってもしかして難しい? なんて後悔をしつつ、やけにスプリングがきくバランスの取りにくいベッドの上で膝立ちをする。ていうか、やっぱりベッド広いな、しかも何か高そうだからあんまり近付かないでいたからベッドに来てって言われた時、すごいビビったな……。結局押し切られたわけだが。
 見下ろせば、ヒロフミのつむじ、靴下におおわれた足の裏、手錠をかけている手がちらっと見えた。
 すっごい嫌だな……。絵面が本当にいやだな……。
 もたもたのろのろ初心者に相応しい手付きで私はヒロフミに目隠しをし終わる。
 ところでここからどうすればいいだろうか。いつも手錠をかけている時にしていることが出来ないと気付く。ゲームも漫画も映画も。耳だけで楽しむのもいいかもしれないが、ヒロフミって耳だけで物語を楽しめるタイプか? 私は無理だ、映像も楽しみたい。
 何をしようかと悩んでいる私にヒロフミが黒い布をした状態で顔を向けてくる。しかし、微妙に向いている方向が違う、目を隠しているせいで私のいる場所が分からないのだろう。
 「名前?」
 「なに?」
 「何もしないの」
 「何をしようかって考えていたんだよ……、今日はヒロフミが自分で考えてっていうから」
 そう、今日はSMごっこが始まる前にヒロフミから「今日は名前の好きにしてよ」と言われたのだ。好きにとは? じゃあもうこれで解散で刑事ドラマ観ようと思ったが、私はヒロフミにうんうん頷くしかないので、うんうんヒロフミの言葉に頷いた。何も考えないで頷いたから困っている。
 耳だけで楽しめる。うーん、音楽。歌詞のないクラシックでも流すか?
 手錠と目隠しをしたヒロフミに流れるクラシック……誘拐を題材にした映画でしかないな。クラシック、ロック、テクノポップ、ジャズだろうが、手錠と目隠しをした人間がいたらヤバい映画だ。やっぱり今からでもこのごっこ遊びを中止にしない?
 私の切実な思いは目隠しをしたヒロフミには届かず、私が何をするのかを静かに待っている。先程とは違い、私が声を発したことにより、居場所がわかったのか、私の方へしっかり顔を向けている。
 お菓子でも食べさせようかと思ったが、それはSMごっこに相応しくないんじゃないか、SMごっこじゃなくてまた別の遊びになるな、といった理由で止めた。
 SMらしい……、SMらしい……。
 痛む胸を無視しながら、真面目な私は拙い知識からSMらしくなる行動を探す。あ、と良さそうな案を思いつく。
 私は思い付いた案を実行するために膝立ちを止め、その場に座った。そして、無防備なヒロフミの脇腹に手を差し入れる。
 「わ、なに……」
 「くすぐってあげようと思って」
 私が触れた途端にヒロフミの体がはねる。目隠しをしているから余計に驚いたのかな? 確かに相手の様子を目で追えないから不安に感じるだろう。その上、私は良い案を思いつけた安堵のまま、事前に声をかけないでいきなり触っちゃったから……。なるほど、状況が分からない中でいきなりは怖いな。
 「急にごめんね? ほら私いまヒロフミに触っているんだよ。わかるよね。どう? ちゃんとくすぐったい?」
 「っ……、ん、うん」
 謝罪のようにヒロフミの脇腹を撫でてから指を曲げてくすぐりを始まる。ヒロフミはくすぐったいのか、言葉を詰まらせて僅かに息を乱しながら、私の言葉に素直に頷く。本当にこの時だけは素直だな……。
 「くすぐったいの、本当に?」
 「くす、ぐったいって、」
 「なら良かった! ここはどうかな?」
 脇腹から脇の方へ手でくすぐりを続けつつ移動する。ヒロフミは声を殺しているのか、くすぐりに強いのか小さな声を上げて、体をぴくぴく反応させるだけだ。
 「いい? どう? ごっこっぽい?」
 「あ、ん、……っ、う、ん……っ」
 いいかどうか尋ねるが明確な答えが返ってこない。でも、拒否をされてはいないので、続けることにした。……くすぐりを拒否されても、代わりとなるSMごっこっぽい案が全く浮かばないので、止めることが出来ないとも言う。
 ヒロフミは、今、どんな顔をしているんだろう。見たい。ううん、見たいなんて、思っていない。私はただ、SMごっこを無事に終えたいだけで、SMごっこをしている、くすぐられているヒロフミの顔が、みたいだなんて。
 「……我慢、しないで、笑っていいよ」
 「あ……、ふっ、う、ふ、っは……、はは……っ」
 座っている私の目線よりも上にあるヒロフミの頭。笑い声にあわせてその都度、ヒロフミの頭が揺れる。
 私はくすぐりを続けながら、再びベッドの上で膝立ちになる。ぐらぐら安定しない、私はバランスをとりつつ、目の前にいるヒロフミに近付く。
 座っていた時とは違い、服で隠されていた首を見ることが出来た。赤くなっている。ピアスをたくさん開けてある耳、頸が赤く染まっている。
 そりゃ……、そりゃあ、赤くもなる。くすぐりって強制的に笑わせるものだし、笑うのって息が出来なくて苦しくなるし。
 両脇をくすぐっていた両手の方から片手だけをくすぐりを止め、ヒロフミの脇から離れさせる。私は、その片手でヒロフミの頸に触れた。手のひらでがっつり触れるのではなく、指で頸の骨を撫でる。やさしい手付きで。
 ああ、また、言うのを忘れた。
 ヒロフミに黙って触れた。どんな声を上げるのかなあ。ちがう、驚かせちゃう……。
 「ひ、」
 「……」
 ざわり。
 腹の底がいいようの無い感覚に襲われる。恐ろしい。いつも私が抱いている漠然とした欲求が形になり、目の前に現れてしまったんじゃないか、なんて。恐ろしい予感が……。
 いや、ううん。何も考えない、考えないで……。