06
「映画、観に行かない?」
「う、ん?」
映画?
という訳で学校帰りに映画を観に行くことになった。
今日、ヒロフミに話しかけられた時に、SMごっこの誘いかと思って、身構えたのだが私の想像のは違う、ただの遊びのお誘いだったのでほっと安堵した。
これだよ、私がヒロフミに求めていたのは。SMごっこなんてものを強要される前の、普通の友だちの関係。
何故か私はヒロフミに手を引かれている。何でだろう、せっかくの安堵が削れて落ち着かないから止めてほしいが、言い負かされたくないので、何も言わずに沸々と湧く焦りに近しい感情すら飲み込み、ヒロフミに従って映画館を慣れた足取りで歩く。
ヒロフミと映画に行くのは、今日が初めてではない。SMごっこを持ちかけられるまでは、ちょくちょく誘われたり誘ったりして遊びに行っていた。しかし、SMごっこが始まってからはお互いの家に行き来して、何処かに外出することが少なくなっていたわけだ。それは映画館にも当てはまっていて、しばらくといっても違和感が無いくらいには間隔のあいた来館になった。
映画館は独特の静かさで満たされており、私が抱いている不安と焦りをゆっくり落ち着かせてくれる。が、いま私は何故か分からないけどヒロフミに手を引かれているので、ヒロフミの体温がずっと伝わってきている。そのせいで落ち着く筈の気持ちがずっと騒めき続けている。
そもそも私はヒロフミに手を引かれているんだろう。あまりにも自然に繋がれたから、すぐ抵抗出来なかった。おかしくないか? 多分、前なら、SMごっこが始まるただの友だち関係だった頃なら、ヒロフミと接触することはあったがこうも長い時間触れ合ったことは無かったのに、今はこうして……込み上げてくる感情を抜いた上部だけ見れば平気に接触をしている。SMごっこの影響だろうか。
「映画、どれを観たい?」
「うーん。そうだなあ……」
何を観るかを決めないで来館したから、何をやっているかすら知らない。いま上映している映画を確認する。せめて面白さはあって欲しい、つまらなさすぎるのは寝ちゃうから。
「ヒロフミは何か観たいものある?」
「俺? 俺は、あれかな。あそこにポスター貼ってあるやつ」
「げっ」
ヒロフミの指差した方には確かにポスターが貼ってあった。ポスターの内容がホラーっぽい暗い雰囲気に恐怖を煽るような文字列が並んでいる。つまり、ホラー映画だ。
私はホラー映画が苦手である。いきなり幽霊だかクリーチャーが出てきて、BGMが不安を煽るように大袈裟な音量になるのが嫌だ。心臓に悪い。驚かせるのが目的であるのはわかっているけど。
私の渋い顔が見れて満足したのか、ヒロフミがホラーのポスターからつい、と指を動かす。
「ごめんごめん。あれは今度観る。じゃ、隣のあれは?」
「……あれかあ、うん、面白そう」
ホラーポスターの隣に貼ってあったポスターに指を止める。
明るめの色合いに驚愕の表情や笑いの表情をしている役者たちがいることからコメディ映画かなと思う。やや特殊そうな設定の内容っぽい、思い思いの表情を浮かべている役者たちの纏っている服が和服、ディスコで着るような派手な服、スーツと様々なものでどんな内容か全く想像がつかない。
「あれにしよう、ヒロフミはそれでいい?」
「いいよ」
いいんだ。
観ることになった映画がいつ始まるのかを確認する。まだ、時間があるみたい。いい席があるといいな、そう祈りながらチケット売り場に行く。チケットを手に入れた私とヒロフミは雑談をしながら時間を潰す。
もうそろそろだろうとポップコーンと飲み物を買ってシアターの方へ向かった。
シアターは妙な威圧感がある。広々とした空間だからだろうか。スクリーンが丁度良く視界に入る席を確保出来たので機嫌良く座る。ポップコーンと飲み物が入った紙コップを置くスペースを置く。私はスクリーンに映し出されるCMを眺める。
「どんな内容だと思う」
「うーん。格好がそれぞれ違ったからね、タイムトラベルものじゃない?」
和服と派手な服とスーツを着た役者にコメディとくればタイムトラベルじゃないだろうか。
ポスターにあったキャッチコピーを見ても、どんな内容かは掴めなかった。
ヒロフミと話しているとぽつぽつ人が入ってきた。客層が分からない、年齢性別に統一性が無いから幅広い層にウケる内容かな。
ふっとシアター内が暗くなる。まだ映画は始まっていないが、そろそろ始まるから会話を控えるようにという合図だ。私が勝手に合図たまと思っているだけだが。演劇なおける一ベルみたいなものかもしれない。
それにしても、ガラガラだ。心配になるくらいに人がいない。大丈夫かなという気持ちを落ち着かせる為にポップコーンを慎重に口へ運び、静かに食べる。
もうすぐ本格的に暗くなり、映画の本編が始まるだろう。
エンドロールは最後まで観る、というより再びシアター内の明かりが点くまでは席を立たない派だ。コメディ映画にふさわしいエンドロールが流れていく。
中々面白い映画だった。タイムトラベル時代劇ダンスバトルミステリーと、詰め込むにも限度があるだろと言いたいくらいに詰めこんだ内容だったが、それほど目立ったささくれは無く纏まりのあるストーリーで観るのに苦労しなかった。
まだ食べきっていないポップコーンと飲み物をひたすら口に運ぶ。飲み物が入った紙コップはまだしも、ポップコーンを持って帰るのは面倒だから。
ポップコーンってお腹に溜まるから、今日の夕食は食べなくても良いかも、でも、ポップコーンだけじゃ体に悪いかな。バレたら不健康だって注意されるかもしれない。それなら少し時間を置いて、何かしらの食べ物を胃に入れた方がいいか。それなら何も言われないはず。
ポップコーンと夕飯に気をとられていた私は、ヒロフミの方に置いてあった手に突然違和感と熱を感じた時、大袈裟に体を跳ねさせた。
「!?」
何、何だ。
ばっと違和感と熱を感じた方を見れば、ヒロフミの手が私の手を覆っていた。声はなんとか上げずに済んだが、体は抑えられなかったから、突然エンドロール中に体を跳ねさせる女子高校生が生まれてしまったんだけど、ヒロフミはその不審な女子高校生を生んだ責任をどう取るつもりなんだ?
横にいるヒロフミを睨みつければ、私のことなんて知らないフリでエンドロールが流れているスクリーンを見つめていた。自分は何もしていないとでもいう様な涼しい顔に驚き、まじまじ食い入るように見てしまう。
いやだ、と思った。だから、じわじわ熱を伝えてくる手から逃れたいと強く思って、手を引いた。引こうとした、のだが、その気配を察したのか覆っていただけの手が形を変え、私の手を握りしめてくる。私よりずっと大きな手だ、今更ながらに気付く。
あんなにヒロフミの手首に手錠をかけていたのに。
動けなくなる。今この場で与えられるヒロフミの熱と、過去のSMごっこの記憶が私を支配する。
思い出す。思い返す。よぎって、反復する。
ヒロフミの横顔がぱっと明るくなって、私が動けなくなっている間に、エンドロールが終わり再びシアター内の明かりがついたことを知らせる。私は固まっていた体が元に戻るのを感じた。体が元に戻ったにも関わらず、私は安堵を覚えることが出来なかった。だって、私、固まっている間ずっとヒロフミのことを見ていた。目を逸らして、エンドロールを眺めて気持ちを落ち着かせれば良かったのに、私は騒めきの原因であるヒロフミをずっと見ていたのだ。……動揺と驚きで正常な判断が出来なかっただけ?
咄嗟の時、人はまたに間違った判断を取るらしい、これがそうなんだろうか。
「ヒロフミ」
名前を呼ぶ。なんの為に? 怒るのか、呆れるのか、それとも他に何らかの気持ちをぶつけたいのか分からない。私はどうしてヒロフミの名前を呼んだ? 呼んで、返答があって、それでどうする。
「結構面白かったな」
あっさりと私の方を向いたヒロフミは、これまたあっさりと握っていた私の手を離す。私はその態度に目を瞬かせる。なに、この人……。私が睨みつけても、知らないフリして不動を貫いていたくせに……。
何だか気が抜けた……。
ヒロフミの感想に同意を示すように、私は頷いた。
「そうだねえ……」
ポップコーンは全部食べたし、飲み物も飲み切った。ちらほらと人が席を立ち、シアター内を出て行く。私たちも立ち上がって、ここから帰らないと。
映画館を出てすぐにヒロフミが携帯を見て、急な用事が入ったから今日はこれで帰ると言い出した。謝るヒロフミに気にしないで欲しいと返せば、ヒロフミはありがとう、ごめんな、気をつけて帰って、なんて私に告げてから去っていった。
おそらくデビルハンターの仕事だろう。他の友人からの誘いだったなら、私に素直に言うはずだ。
ヒロフミの去っていった方角を見て、私は長い長い溜息を吐いた。疲労と安堵が入り混じった長い長い溜息。こんなこと思いたくないけど、用事が入ってくれて良かった。
このままヒロフミと一緒にいたら、私どうなるか分からなかったから。
それでも映画は楽しかった。またこうやって行けるといいな。出来ればSMごっこはしないで、こういう友だちがするような遊びをずっとしていたい。
よし、帰ったら、今日の映画の感想を考えよう。次ヒロフミに会った時、面白いと感じたシーンを語り合えるように。