08


 「名前はどれがいい?」
 「……」
 私の部屋で、とんでもないものを、選ばせないでほしい。
 紙に印刷されているけっこうな種類の首輪の写真を見て、私は目眩を覚えた。

 今日は私の家でSMごっこをすることになった。気がすすまなかったが、私は渋々ヒロフミを自宅へ招いたのだった。
 「名前の部屋でしたい」
 「……」
 急にヒロフミはそんなことを言い出した。いつもリビングでしていたのに、どうしたのだろう。何か考えがあるのか?考えがあったとしてもいやだな。ただでさえ、リビングで自分の椅子に座る度に記憶が過って、何とも言えない気持ちになっているのに、私の部屋でSMごっこをやったらと思うと……。でも、私は弱いので、ヒロフミの要望に従い、渋々ヒロフミを二階にある私の部屋に案内する。
 登校する前と何ら変化の無い、いつも通りの私の部屋。ベッドに座られたら、寝ようとする度にSMごっこを思い出してしまうかもしれないため、カーペットに座っていてと言い、私は部屋を出て一階に降りる。
 この前、友だちが遊びにきた時のお菓子が余っていたはずだ。それを出そう。友だちは美味しいと喜んでくれたけど、ヒロフミはどんな反応をするんだろう。前は……、前々も完食していたけど。
 おぼんにお菓子と封を切っていないペットボトルのジュースとコップを乗せ、階段を慎重に上がる。
 「おかえり」
 「ただいま……」
 いる。私の部屋にヒロフミが……。
 うっすら笑みを浮かべたヒロフミが私の言った通りにカーペットに座って待っていた。
 手には薄い紙の束。なんだろう、何かの資料かな。私が来ても隠さなかったところを見るとデビルハンターに関するものではないみたいだ。
 ヒロフミの前にゆっくりおぼんを置き、それから私も座る。
 「どうぞ、飲み物は自分でやって」
 「はい、ありがとう」
 いいのか。どれくらい飲むのかわからなかったという理由で言ったのに、受け入れられてしまった。ヒロフミはペットボトルを手に取って封を切り、コップの中にジュースを入れる。私は……飲まなくていいや。今から私の部屋でSMごっこをするかもしれないのに、飲食する気にはなれなかった。
 今日は何をするんだろう。割とSMごっこってワンパターンだから、ある程度はどんな事をするのか想像がつく。ごっこ遊びだから、ワンパターンになるのかも。恐らく本格的なSMなら、もう少しやれることが増えるかもだけど、そんなこと全くしたくないし、ヒロフミもする気がなさそうだしで、本格SMは当然無い。
 「やっぱりさ、名前に決めてもらった方がいいなって思って」
 「私?」
 「当事者だしさ」
 「とうじしゃ……」
 ヒロフミの唐突な発言に、すごい嫌な予感に襲われる。SMごっこをするこの状況で当事者なんて言葉が出てくるんだから、嫌な予感がするのは当たり前とも言える。
 何で私は自分の家の自分の部屋にいるのに、こんな居心地の悪い思いをしているんだろう。おかしくないか。正直、前にリビングでSMごっこをしようかと持ちかけられた時の記憶、SMごっこをした記憶がリビングに行く度に過って、泣きそうになっているのをヒロフミは知らないだろう。教えるつもりはないが。
 次は私、自分の部屋で苦しむのか?
 身震いをしている私なんて気にしていないヒロフミが、手に持っていた紙の束を私に渡す。見ろってこと?
 薄い紙の束を恐る恐る受け取る。私に渡す資料? 表紙は白くて、中身が透けていないから内容が分からない。当事者って言ったんだから、SMごっこに関するものだと思うんだよな。見たくない、もう泣きたくない……。でも、見たい選択肢はないので、私はいやいやながら紙を捲る。
 首輪。一面の首輪。
 首輪? 幻かと思い、目を擦ってから再び紙に向き合う。どう見ても首輪の写真がある。だが、じゃあ見間違いかと思い、一旦表紙を閉じてみてまた開ける。まだ、ある。なら、これは幻じゃない、認めたくないがいま私が首輪が載せてある紙の束を持っているのは現実だ。なんだこれ……。


 目眩を覚えるし、泣きたくなってくる。
 私が呆けている間に移動したらしいヒロフミが、おすすめの首輪を横から教えてくれている。悪夢か?
 選ばないという選択は無いみたいだ。ずっと覚めない悪夢の中にいる気持ちだ。
 薄目で首輪を見る。大型犬用の首輪か、そういうプレイ用の首輪か全く見分けがつかない。どっちだ……?
 おすすめコメントを無視して、ぱらぱら紙を捲る。一から全部まで首輪しか載っていない。首輪ってこんなに種類があるんだなあ。ヒロフミがこの種類の首輪を見つけてちまちま集め、こうして紙にまとめたと思えば、心が温かくなって、なってえ……、こない……。もっと別のことに労力を使った方が絶対にいいよ。
 「私は、なんでもいいかな……」
 「じゃあ、これでもいい?」
 「すみません。真剣に選びます」
 何でもいいと逃げた途端、ヒロフミがページを捲り、すごいゴツいシルバーの棘がついた首輪を指差したので、負けを認め即座に謝った。やっぱり人の任せは良くないよね、自分と決めるのが一番。
 まとも、ううん人につける首輪の時点でまともは無いな、ましな首輪を選ばないと。ましな首輪って何だ?
 ましな首輪、ましな首輪……と頭の中で繰り返しながら首輪を選ぶ。
 黒、白、ピンク、赤、青ってどれが目立たないんだ。黒? 装飾の無いシンプルなものを見付け出し、その中から比較するという作業を繰り返していく。じっくり時間をかけ、これだ! と思った首輪を指差して、横にいるヒロフミに見せる。
 「これ、どう?」
 「これ?……うん、いいんじゃない」
 私の手から自作らしい紙の束を自分の元へ戻したヒロフミは、私の選んだ首輪を確認するように見ている。
 「わ、私の趣味じゃないから」
 「分かっているよ」
 誤解をされたら困ると弁明するためにヒロフミに対して口を開くと、ヒロフミは笑って私の弁明を受け入れる。……本当に分かっているのだろうか。ヒロフミを信じるしか無いけど、少し不安だ。