これが私のための世界だから


※ひどい話。
※Anachronismさまへ提出しました。


「社長に幼馴染みっていらっしゃるんですか?」
「いや、いない」

気になったことを福沢さんに尋ねてみれば、淡々と否定の言葉が返された。
ふうん、いないんだ。
少しだけ、和服の似合う女の人がいるのを想像したのだけれど。
あわよくばそんな和服美女っぽい人に会わせて欲しかったとか、考えてなどいない。けして。
……美人かはともかく、社長の幼馴染みがいたのだったら、紹介してほしいし会ってみたかったのだが、いないらしい。ちょっと残念。
ずず、と茶を啜りつつ、福沢さんの横顔を見やる。
顔立ちも、目も、果てすら睫すら、鋭さを感じさせる人だ。
部位の一つ一つが刃だと思う程に、鋭くて凛々しい。
恐怖をいうか緊張感を抱くが、ついつい見惚れてしまう。
刀を鑑賞する人たちは、こういう気持ちをしているのだろうか。
刀など見たことなどないけれど、おそらく福沢さんみたいに違いない。
じいと見ていれば、目と目があった。流石に見つめすぎたか、特に福沢さんは視線に敏感だし……。

「どうかしたのか、名前」
「いいえー、なんでもありませんよ」

ただ用もなく見つめていただけです。
福沢さんは私の言葉に「そうか」と頷き、湯呑に口を付けた。
誤魔化せたかな、と横目で確認をした。
うん、私がお茶と一緒に持ってきた羊羹に意識を向けている、うん大丈夫そうだ。
ほっと一息吐き、私も羊羹に爪楊枝を刺す。勿論、一口サイズに切り分けたものだ。
この羊羹は、私が京都の警察からの依頼に出向き、事件を解決したその帰りに買ってきた羊羹。
値段は高い。高いだけあって、他の方々にも美味しいと好評だ。

「……」

お言葉に甘えて、共にお茶をさせて頂いているが、いいのか。
福沢さんは、社長は、文字通りにこの探偵社の社長だ。社の長である。
長だから福沢さんは当然のように忙しい。
きっと一社員の私には縁遠いこともしているんだ、と思うと頭が上がらない。
たまに私にはちょっと難しい依頼があてられるけど、きっと考えがあって当てているんだと思う。

「しかし、なぜ幼なじみの有無を聞いてきた」
「え?あぁ、幼なじみに会いましてね。それでふと、福沢さんに幼馴染みがいるかどうか気になったんですよ。急にごめんなさい」
「……幼なじみがいたのだな」
「はい、とても元気そうでした。私、ずっと彼が心配だったんです」

うなずく。まさか十代頃、急に引っ越していった幼なじみが京都にいると思わなかった。よかった元気で、本当に心配していたのだ。
元気よく笑って去っていった彼の姿を思い出して、つい笑ってしまった。
恥ずかしくなり、もうすぐ無くなりそうなお茶を飲む。

「――」

福沢さんは無言だ。
無言で私を見ていた。
羊羹でもついているのかなと、片手で口のあたりを触ってみるがそんな感触はしない。
首を傾げる。
どうして福沢さんは私を見ているのか。
凝視とはまではいかないが、そんなに見られていると照れてしまう。

福沢さんはよく私を見る。
福沢さんは視線に敏感だと表したが、実は私も敏感な方だ。
すぐにとは言えないが、まぁ気付く。
はっと気付いて、その方を見ると、いつもではないけれど、福沢さんがいる。
その刃のような瞳でまっすぐに私を。

……心配してくれるのは嬉しい。でも。これでも私は探偵社の一員だ。
ふんと意気込みをして、食べ終わった皿と飲み終えた湯呑をおぼんに乗せ、福沢さんに向き直る。

「福沢さん……あ、もう食べ終わっていたんですね。お茶のおかわりはいりますか?」
「いや……。すまぬが片付けを頼んだ」
「はい!わかりました」

福沢さんから皿を湯呑を受け取り、同じようにお盆に乗せる。

「それでは失礼いたします。同席させて頂き、ありがとうございました」
「名前」

表現しがたい声におぼんから、福沢さんに目を移す。
鋭くて凛々しいはずの目が。

「暇なときに、また茶を入れてくれ」
「あ、はいっ」

私は嬉しくて、笑顔を浮かべつつ返事をした。


×


名字名前と言う女が普段はなんてことない善良でまっすぐな女だが、どうしようもない状況に陥ると、どうしようもなく限界まで追い詰められると、自分を守ることを第一とする人間になる。
自分を守るために繭をつくる。
どうしようもないときとは、自分が作り出す世界が崩壊の危機に晒される時である。
そして、そのどうしようもないときは、今だ。
今、それは、福沢に発揮されている。
名前は気付いているのだ。
福沢が己を好いているという事実に。
幼馴染みの彼という言葉に、しっかりと嫉妬した福沢に気付いていた。
しかし、その性質が、名前に事実を隠蔽している。
名前がもし仮に福沢の想いを告げられ、断ったとする――名前は福沢に憧れを抱いているだけであるためだ――。
探偵社での身の振舞い方はどうすればいい。
皆どんな目で己を見る。
対応はどう変わってくる。
探偵社にいられなくなったら、異能持ちの私はどうなる。

私の世界はどうなる。
崩壊してしまうのか。

崩壊してしまう可能性が一%でもあるのなら、福沢の想いは、知らないふり、見ないふり、分からないふりをした方がいい。
――厄介なことにこの答は無意識に出されたものだ。
同様に"ふり"は無意識に実行されている。
福沢の理性による自制を名前は敏感に察し、狡猾に利用した。
もしも、福沢が、そう、なんでもない幼馴染みだったのならば、名前は福沢にふりをしなかった。
名前の世界を、崩壊させる可能性が一%もない、ただの男だったのなら。
名前は福沢の想いに"ふり"なんてしなかった。
無意識に知らないふり、見ないふり、分からないふりなどしなかった。
真剣に答えて、いたのに。

いずれ福沢が、己に想いを伝えてくるかもしれないと、名前は危機感を覚えている。
そうなれば、想いに答えるしか世界を守る方法はなくて、その選択をしてもおそらく長くは持たない。

その後は。

考えない。考えたくない。

名前は今日も己の世界を守るために、誰も救えない"ふり"を無意識に続ける。
私がこのせかいで生きていくために。