幻にすら至らぬ不在


気付くとボーダーばかり見ている。


「名前、またボーダー見ているの」
「え」

本当だ。私は窓から友人へ顔を向けた。
呆れた顔をされている。こんな顔をさせているのは私だ。ごめんと一言、謝罪を告げた。
昼休み、ご飯を食べ終わって雑談をしていた途中にぼーとするなんて、本当にどうしようもない。

「どうしたの。前まではそんなことなかったじゃん」
「わかんない……自分でも不思議で……」
「こわ」

三門市でそれなりの知名度を誇る界境防衛機関、ボーダーを無意識の内にどうしても見てしまう。
ボーダーはかなり存在感のある造りで、試したことはないが三門市内のどこからでもあの建物ははっきり分かるだろう。
広報もしていて、嵐山隊という隊がよくメディアに出ているのも見たことがある。
あらゆる意味で目立つボーダーに目を奪われるのは、まあ分からなくもない。
しかし無意識にしては度が過ぎるんじゃないか?
自分自身に驚きを隠せない。

「そういえばさあ、名前って習い事やめたんだよね」
「ああ、うん。そう。県外の大学に行くから、やめるなら早い方がいいかなって」
「あー県外かあ……私も県外行く予定。ここ危ないし」

憂鬱そうにストローを弄る友人に、誤魔化すように苦笑した。
危険の理由は簡単で、近界民がやってくるからだ。
近界民。どこからか現れた、現代兵器がきかない怪物。人間を殺していたという、恐ろしい化物。
なぜ人間を襲うのかは、よくわからない。説明されたような、されていないような。四年前の記憶なんてそんなものか。説明されていたなら覚えていないとまずいと思うが、今更そんなこと聞けない。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥という諺が頭を過る。……あとで調べるから、どうか許してほしい。
四年前にはじめて近界民が侵略してきた際の傷跡は、まだ癒えずに市内の至る所に残っている。私の住んでいた家は幸い被害らしい被害を受けなかったが、近界民の出現場所の近くにいた人たちは。……。そんな危険な三門市を、ボーダーに所属している人たちは守っている。

「てかもう二月だね。バレンタイン近いし、材料買いに行かない?日曜暇?」
「暇!どこ行く?」

もう友人はぼおってすることが多くなった私の扱いに慣れたのか呆れたのか、何の追及もしてこない。申し訳なさが募る。なるべく意識をはっきりさせるようにしているが、いつの間にかぼおってしてしまうのだ。病院に行ったようがいいのかもしれない。
いや、もしかしてボーダーに惹かれていたりして……。何の関わりのないボーダーに?
まさか嵐山隊の隊長さんへ無意識に恋心でも。

「ふ」
「え、なに……」
「いや、ちょっと待って引かないで」

ありえなさすぎて、思わず笑っちゃっただけです。ごめんなさい。
友人の引いた心を何とかしようと両手をわたわたさせていると、廊下がちょっと騒めいた。つられたように私と友人はほぼ同時に廊下の方を向く。

「何、虫?」
「無理。そうだったらもう帰るわ。早退しましたって名前言っといて」
「帰らないで。……ボーダー隊員だって、誰か言ってた」
「へえ、誰か流石じゃん」

ボーダー隊員ってだけで騒めくのが三門市に通う高校生らしい。
移動教室だろうか、二名の男子生徒が歩いているのが、窓から見える。なんで教室に窓付いてるんだと思わなくもない。
あの廊下を通っている男子生徒がボーダー隊員らしい。私は興味はないし、友人も興味ないのでさっぱりだ。

「え……どっち……、どっちがボーダー隊員なの」
「わからん。あの黒髪かな」
「狐目に一票」
「どっちもってことね」

なんてじゃれあっていると、私が一票をいれた狐目の男子生徒と目があった。
どうしてか相手が目を逸らさず、数秒目があった状態が保たれて、そっと私が目を逸らした。耐えきれないと、思った。心臓がばくばく音をたてている。なんだ一体。視線を戻す。もう狐目の男子生徒はこちらを見ていなかった。

「え、なに、どうした」
「どうしたんだろ……、不整脈かもしれない……」
「やばいじゃん。病院行こ、付き合うから」
「げんきです。大丈夫。安心して大丈夫」
「取り繕うの下手じゃん。嘘も下手だしさあ。はい、病院行くの決定」
「ええ……お母さんか?」

まだばくばく脈打っている。なんなんだ急にこんなに早く動いたりして。あと病院行くこと決まっているのなんで。
狐目の男子生徒が、黒髪の子と喋りながら去っていく。わたしは見送ることしか出来ない。動けない。動いて何になる?話しかける?何を尋ねる話す、初対面で。もう一度私は彼らから目を逸らした。


××


名前さん。

鮮やかに動く姿を出水公平はいつだって思い出せる。
嘘をつくのが苦手な人だとは知っていた。だから出水はそれを上手く使い名前の嫌いな食べ物を知ることが出来たし、憧れの人を知ることが出来た。
けれど、ボーダーをやめるときに記憶封印措置を取られるくらい下手だと、出水は思っていなかったのだ。

「出水」

機密情報の漏洩を抑えるために、ここで過ごしたある程度の記憶を消されることとなった名前は、少し不安そうだった。
防衛隊員だった名前はトリガーを扱っていた。ゆえにおそらくほぼすべての記憶を封印されてしまうだろう。トリガーは近界民と戦える唯一の手段だから。
出水と名前が初めて出会ったのはボーダーで、出水もまた名前と同じくトリガーを扱う防衛隊員だ。
つまり。

「ごめんね、出水」

ボーダーに来なくなり、あまり見かけなくなった名前は教室で元気そうにしていて、いつも通りの笑顔を浮かべていた。
それでも、もう名前は同級生のボーダー隊員に話しかけないし、出水に構ったりしない。名前はまだそこにいるのに、ボーダーで過ごした名前はいなくなってしまったようだ。
もし話しかけてしまえば、出水自身がいらないことを言うと思っている。口走ると確信している。だから、こうして目を逸らすしかないのだ。
物分かりの良い、なんでもない顔で消えた隊員のことなど気にしないフリをする。
でも出水は、無性に名前が自身を呼ぶ声をききたいと願ってしまう。
願ってしまうのだ。