夢で逢えてもいみがないもの


 気に入っていたサンダルがあった。
 シンプルな白無地とお洒落な花柄の組み合わせがきれいなサンダル。去年の夏に買ったサンダルが駄目になり、新しいサンダルを買ってもらえることになり、私がお店で選んだものである。本当にとにかく気にいって、折角買ってもらったサンダルなのに、家の靴箱に入れたままで夏を乗り切ろうとした。
 しかし、そう上手くいくわけがない。母が靴は履くものだと言い、その日友だちと遊ぶ予定だった私の前で靴箱から出したサンダルを玄関に置いたのである。嫌だったのだが、駄々をこねて母の機嫌を損ねて面倒なことになっては堪らないので、渋々大切にしまっていたサンダルで外に出たのだった。
 汚したら嫌だな、と憂鬱な気分で出かけたものの、サンダルそのものは気に入っていた為、私の機嫌は直ぐに上昇した。その日は前日に雨が降っていなかったから水溜まりや泥で汚れる心配がなかったせいもあるかもしれない。私はご機嫌で友だちの元へ足取り軽く向かっていた。
 で、その途中、私は悪魔に襲われた。鳥の形によく似た悪魔に。
 幸い誰かが通報してくれていたのかデビルハンターがすぐに来てくれたのだが、悪魔はあろうことか、悪足掻きかなんなのか去り際に最後に襲っていた私の左のサンダルを奪っていった。空へと逃げていく悪魔に地面に転がされた私は大泣きするしかなかった。何も出来るわけがないのだ、どうやって小学生が巨大な悪魔に戦いを挑めるわけがないのだ。
 体のいたるところに擦り傷、サンダルを奪われた際に嘴によってつけられた傷の痛みとお気に入りのサンダルを奪われた悲しみでボロボロ私は泣いた。辺りに私と同じように悪魔の被害にあった人たちがいて、やさしい人は泣いている私を慰めてくれた。
 デビルハンターの指示に従い、被害にあった人たちの手当てのために近くの病院に来た。親切なデビルハンターのおじさんが私を抱いてくれたのを覚えている。道中、同い年の男の子がいるっていうことを話してくれたことも。
 それで手当てをしてもらい、いつの間にか取り乱した様子の母が私のところに来てくれた。

 「なあ」

 しばらくして心が落ち着きを取り戻したところで、声をかけられた。素直に顔を上げる。そこには同い年くらいの男の子が立っていた。一体知らない子が私に何の用だろう。
と私は男の子を目を丸くしてみてしまう。

 「これ、あんたのでしょ」

 男の子が私の目の前にサンダルを出す。私のだ。こんなになっても、すぐにわかった。私のサンダルはとっても汚れた状態で再び私の前に姿を現した。酷い有様になってしまったショックで、私はまた泣き出した。静かにしなくてはいけない病院だろうが、同い年くらいの男の子の前だろうが、関係なく声を上げて泣いた。

×

 なぜ私が、人前で大泣きした恥ずかしさとサンダルと駄目にされた悲しみと悪魔への強い憎しみがこれでもかと詰められた過去を思い出しているのかといえば、それはヒロが私に白いバックストラップサンダルをプレゼントしてきたからだと思う。

 「なに、その顔」
 「……初めて会った日のことを思い出していた……」

 夜が深まり、着々と明日が迫ってくる。
 今日の放課後に以前からヒロに気になるんだと話していたDVDを借りることができたので、ヒロに一緒に観ようとメッセージを送ってOKを出された私はうきうきでヒロの好きそうな新商品などの食料を買い、好きな飲み物を買い、一人暮らしのしているヒロの住む一室に向かったのである。
 夏を迎えたばかりだが今だに気温は涼しく、蒸し暑くはなくて過ごしやすい。お陰で私は暑さに負けることなく、ヒロのところを目指すことが出来た。
 高校生でデビルハンターをしているヒロは実家を離れ、一人暮らしをしている。ヒロの部屋は殺風景ですっきりしている。たまにこうやって遊びに行くが片付いていて、唐突に遊びに行ったってすぐ部屋に通してくれるからいつも部屋は片付いているんだろう。
 とても楽しい時間を過ごした。新商品はヒロが好きな味だったし、DVDは期待通りに面白かった。
 映画を観終えて感想を言い合っていたところ、ヒロが思い出したような表情をして、ソファから立ち上がったかと思えば、灰色の箱を手にして戻ってきた。プレゼントだといい、私に差し出してきて、開けてみてくれと促されるがままに開封した。
 そして今、私はかつての思い出に複雑な感情に頭を痛くしていた。
 頭を軽く振り、現実に戻ってくる。白い、いつかの苦い思い出の主役を彷彿とさせるサンダルに似たようなデザインのサンダルだ。でも、……似てないか?こちらは大人っぽいというか、どんな服にも似合いそうでいい。正直に言えば、とても気に入った。

 「気に入った?」
 「そりゃ、うん、気に入ったけど……どうして」
 「あげたかったから。似合うんじゃないかって思ってさ」
 「ほんとに貰っちゃうよ」
 「だから、あげる」

 ヒロの表情はいつも通りだ。いつも通りの読めない顔。

 「ありがとう……。いずれお礼するね」

 ここで断って返しても、処分に困るだけだろうし。素直に好意に甘えよう。似合うんだろうなって衣服やアクセサリー、靴などを見て、相手がそれを身に着ける姿を想像する気持ちはすごく理解できるし、それを相手に贈りたいと思う気持ちも理解できるが、ちょっと唐突で吃驚した。ヒロは行動力があるし、有言実行というのか、したいと思ったことをまずはやってみようとチャレンジするところがあるけど、私に対してもやるとは思わなかった。お礼、何がいいかな……。ヒロは何をあげたら喜んでくれるかな。

 「履いて見せて」
 「唐突だなあ! え、室内で?」
 「いいじゃん、先行公開ってやつで」
 「えええ……、片方だけでいい?」

 いいよ。と頷くヒロの前で灰色の箱の中からサンダルを出す。左足の方だ。靴下を脱いでいてよかった、一々脱ぐのは面倒くさいから。ソファに深く体を預け、白く綺麗なサンダルを履く。おお、ピッタリだ。思わず声が出る。ここまでピッタリなサンダルって今まであったのかっていうぐらいにはピッタリだ。

 「どう」

 軽く感動を覚えつつ、プレゼントを送ってきたヒロの方へ軽やかに顔を向ける。隣のヒロはやけにはっきりとした覚めたような強い眼差しのまま、「似合うな、やっぱり」笑みを浮かべ、私に言葉を返す。

 「名前には、白が似合うってずっと思ってたんだ」
 「初耳なんだけど。なら次は白い何かを身に着けて来ようかな」

 ふと、壁にかけられた時計が目に入る。午前0時。明日はすでに来ていて、もう今日となっていた。でもまだ夜はこれからだろう。なんだか、そんな気がする。