なにもかもが無意味じゃないさ


※運命の先へさまに提出しました。



「わたしね、カルデアに来る前、お母さんに遅くならない内に早く帰ってきてねって言われたの」

マイルームにあるベッドに腰掛け、黙り込んでいた名前が、突然思いついたように虚空へ言葉を投げかける。語りかけるような口調であった。
その光景をなにも知らぬ者が見たならば、名前の精神を疑うだろうし、異質なものを見る目を向けるだろう。
それほどまでに名前は虚空に親しい感情を見せていた。

「ねえ、エドモン、聞いてる?」

名前の瞳は真っ直ぐにある方向に向いており、ぶれることはない。
まるで月か星を見るように、その瞳は静かだ。静寂が部屋を木霊する。
暫く静寂が続いたその時、名前の視線の先の空間が歪み、一人の男が突然姿を現した。
恐ろしい外見をした男は完全に姿が現れるのを待つことのないまま、名前に近付いていく。

「ああ、聞こえているぞ。それがお前が世界を救う理由か?」

外見に相応しい声色が、静寂を布切れのように引き裂いた。
部屋を騒めきに満たした男は、尊大な態度で名前の前に立ち塞がる。
名前は男に嬉しそうに明るく笑いかけ、簡単に頷く。なんでもないようにである。

「そう。あと、マシュも守りたい。だから人類史を取り戻すし、ソロモンも倒すつもり。ついでよ、ついで」
「それを聞いたら、あの男は血相を変えるだろうな」

嘲笑う男に、名前は呑気に同調した。
ドクターが浮かべるであろう表情を想像するのが、容易かったからである。いや、どうでもよかったが。
男は名前の答えを聞き、名前の隣に腰を下ろした。
男は、エドモン・ダンテスという名のサーヴァントだ。名前に召喚され、名前に付き従う、使い魔と呼ばれる存在。
つまりは名前の味方であった。
それにしては恐ろしく尊大であるが、名前は気にしていない。
禍々しい雰囲気を纏うエドモンが隣にいても、普段通りの態度でリラックスしていた。
そして、また口を開く。

「わたしね、エドモン。世界を救った後、記憶が消されたらどうしようって、たまに考えるんだよね」
「ほう?お前もそんなことを思考するのか」
「まあ、わたしだって考えたりするよ」

だってわたし、たくさんのサーヴァントを召喚して、協力してもらっているんだよ。
自分でもすごいことしてるなってたまに思うんだ。
怖いの。英雄に指示している現実が、少しだけど。

「それでも、お前は世界を救うために進むのか?」

名前の不安がたっぷりと含まれた言葉の羅列を最後まで聞かず、エドモンはそう、名前にあの時のような声色で尋ねた。
名前がいつの間にか俯いていた顔を膝から、エドモンの方に向ける。
星の煌めきのように澄んだ瞳が、エドモンの姿を写す。
――星がいずれ流れていく煌めきであることを、エドモンは明確に知っていた。
名前は薄暗く口角をあげ、穏やかな笑みを浮かべた。

「うん。たとえ全てが終わったあと、何もかも忘れたとしても、無意味なんかじゃないって、あった事実をなかったことには出来ないってわたしは、知っているから。だから。わたしね、エドモン。離れ離れになると知っても、歩けるんだよ」

名前の言葉に、エドモンは笑った。
口角が裂けるのではと錯覚するほどの笑みを浮かべ、名前のか細い手をとる。
いずれこの手と手が離されると知っても、握るしかなかった。