204 No Conten


※似非関西弁です、申し訳ありません。
※捏造、妄想。
※吝嗇家さまへ提出しました。


喪失によって、錯乱していたのだろう。

×

「お司書はん」

現と記憶の合間を行き来するような心地の中、わたしはその声を耳にした。

昨日、急遽送られてきた書類を一人で深夜まで片付けていたから、今日はもう一日中眠かったのだ。
送られてきた際、共にいた助手の徳田先生が手伝おうか?と気を遣ってくれたが、その書類は司書だけしか閲覧することも作業することも許されないものだったため、泣く泣くその気遣いを断らなければいけなかった。
ちなみに一人きりで行った作業は、これを送れと館長に命令した奴等、全員箪笥の角に足の小指を思い切り強打しろと恨み言を吐きつつのものになったとだけ伝えておく。

「おっしょはんー」

それにしても、この声の持ち主は一体誰だ。
眠気で蜂蜜のようにどろどろと溶けた思考ではまともに考えられず、うまく回路が繋がらない。
誰だっけ……。起きて確かめればいいものの、わたしはいま訪れている眠気が心地良すぎて、全く起きる気にならなかった。
呼びかけに答えられないでいると、わたしの様子に焦れたらしい相手が、からだをゆさゆさと揺すってくる。
揺れているせいでか、物と物がぶつかり合う音がひどい。とてもうるさい。
ていうかわたしってどこで寝ているんだったっけ……。
えーと……。えー……と、あ。

「お司書はん、ええ加減におきんと風邪ひくでー?」
「……」

そうだ。わたし、織田先生の補修をしていたんだった。
ようやく、はっきりと意識が戻る。はっきり回路がつながった。目を開ける、報告書と鉛筆が見えた。
のろのろ上半身を起こし、左右に首を動かせば、左のななめ後ろに織田先生はいた。
茶色の上着を着ていない姿に、そういえばベッドに入る前、脱いでいたなあとぼんやり光景を思い出す。

「あ、起きたんか。お司書はん、おはよーさん」

おはよう、やなくて、こんばんはの方がええかな。
織田先生がいつもと変わらない掴み所のない笑顔を浮かべている。
わたしは織田先生に寝ぼけつつ、「おはようこんばんはです」と返した。うまく働かない頭でも、日本語がおかしいと思った。
目を擦りながら、椅子から立ち上げる。
窓の外は暗い。ここに来た時につけた部屋の明かりが、必要だと感じるくらいには暗い。
それから壁にかけられた時計を見る、まあ、いい時間だった。
わたしの顔の下にあった報告書は、眠気との格闘で文字がところどころ難解な新文字みたいになってしまっていたので、後で修正しなければいけないなと憂鬱になった。
なんだか複雑な気持ちになりつつ、わたしは織田先生の方へからだを向ける。

「もうこんな時間になっていたんですね。すみません。起こそうと思っていたんですが」
「ええよ。ワシもぐっすりやったみたいやし。お司書はんも疲れとったんやろ?気にしんでええで」

わたしは織田先生の言葉を否定することが出来ず、曖昧に適当な笑みを作っておく。
徹夜のこと、知られていたのだろうか。
……そういえば、報告書を下に眠っていたなあとふいに思い、頬に報告書の文字が写っていないかどうかが気になり始めた。
とりあえず、指でついているかもしれないところを指で擦るも、黒く掠れたものが付着していなかったため、ついていないのだろう、きっと。よかったよかった。
そんなことをしていると、からだも眠りから覚めたのか、お腹が空いていることに気付く。

「……織田先生、夕飯食べに行きません?」
「おっええな、ほな支度してからいきましょ」

誘ってみれば、織田先生は明快に頷いてくれた。
わたしは織田先生のその反応にほっと一安心して、同じように頷く。
そうだ、織田先生の言う通り、食堂に行く支度をしないと。
この報告書はまだ置いといていいだろう、食べ終わった後で取りにこよう、徳田先生にも報告書の相談をして、先生たちに色々な報告をしてくれただろうからきちんとお礼を言って……などと考えていると、織田先生が背後から不透明な声を投げ掛けてきた。

「なぁ、おっしょはん、ワシ、なんやおかしなこんいっとらんかった?」

指で触れた鉛筆が、机の上を転がる。

「いえ……特には、」

わたしは織田先生の問いに、答えを返した。
そして、机の上から織田先生へ顔を動かせば、いつもの茶色の上着を纏う、見慣れた織田先生がいた。

「おかしなことなんて、言ってませんでしたよ」
「そうか、ならよかったわぁ」

織田先生が、わらう。
それからつらつらと安堵したような言葉を織田先生は並べた。
わたしは先生の言葉に耳を傾けながら、机の上を片付けていった。




「うそつき」




ベッドの上で死にそうな顔色で横たわる織田は、ぼんやりと傍らにいる名前を見ていた。
名前はその恨めしそうな陰りのある、いっそ虚ろとでも呼べそうな視線を黙って受け止めながら、補修作業を淡々とこなしている。

「―――おっしょはん」
「……?どうしました?織田先生」
「結婚しよ」

不意に呼ばれたと思えば。織田の言葉に名前はぎょっと目を見開く。
なにをいっているんだろう、この人は。
と、狼狽えたが、名前は織田が変わらず、生気の宿っていない瞳を見て、喪失による錯乱かと判断を下した。
織田はおそらく作品内か自身の過去を、今に重ね見てしまっているのかもしれないと考えたのだ。
ならば、名前が動揺することはない。
名前は織田にかけた綿毛布を胸元から首の辺りまで上げ、はやく休んでくださいとやさしい声色で言う。
しかし、織田は中々黙らない。
誰かもわからない女に、何度も、何度も、あきることなく求婚してくる。

「……そうですね、結婚しましょう」

早く休んでほしい一心が、口を滑らせた。
もしかすると、睡眠不足もあったのかもしれない。
名前はまずいな、怒鳴られるなと咄嗟に思った。
しかし、返事をしなければ、織田は休まないと思ってしまったのも本当だ。
びくびく覚悟をして、織田の反応を待つ。
けれども、織田は名前の予想した反応をせず、名前の答えに喪失とは思えぬぐらい明るく、そして幸せそうに笑い、力強く名前の両手を握ってきた。
名前は再び目を見開く。
「ほんま?ほんまに結婚してくれんの?」と「明日にでも、すぐにしよな」と遠足前の子どものようにはしゃぎ、やがて名前の手を握ったまま眠りについた。
……名前は、まぁ、喪失の出来事だから忘れているだろうと、強く握られた手から抜け出すのに苦戦しながら、単純に考えた。
なかったことにしよう。わたしに求婚したわけではないのだし、なかったことにしよう。
わたしと織田先生の間には、なにもなかった。
自身の下した判断に納得して、名前は報告書を書くために机へ向かい、椅子に腰をかけた。
ああ、眠い。


204 No Content……内容なし。
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