五、

 真っ暗な場所を歩いていた。
 暗いと言ったが、夜闇の中を歩いているようでもない。そのような状況であれば、いくら暗いとはいえ木の影ものの影と空との境界くらいは分かれているはずである。
 しかし歩いているのはそんなものではない、墨をこぼしたように何の景色もない真っ黒な中なのである。
 そのくせ、気付いたのだが、自分の手足ははっきりと見ることができる。形から色から昼間のようにくっきりと。
 ぞくっ、異常な場所に怖気がはしる。
 と、腕をさすろうと上げかけた手が、何かに掴まれた。
 小さく悲鳴を上げて振り払おうとしたが、びくともしない。取り乱して上下に勢いよく振っても、こちらに引っ張ってみても。何かが――何者かが、手首を、掴んでいる。


「あの日みたいだね」


 何者か、が声をかけて来た。


「そう、こんな日だったなぁ」


 のんびりとした、子どものような声。しみじみと言ったその声の主は、ゆったりとこちらの手を掴んだまま前後に揺すった。母子がするように、男女がするように、甘く揺らす。


「あ、」


 突然その腕が止まったかと思うと、そんな声がして前方へ強く引っ張られた。
 引きずられるように歩みを進める。
 ざく、ざく。先ほどはしなかった、土を踏む感触が足に伝わる。


「田んぼへかかったね」


 声が告げた。
 しかし辺りは何も見えないままだ。それなのにどうして、田んぼだなどと言うのだろう。
 考えていると、また声が聞こえた。


「ほら、きれいだね」


 ざ、と風が吹く。
 辺りに薄ぼんやりと光が舞う。
 あまりにもおぼろげで、それが何かはよくわからなかった。だから綺麗かどうかもわからなかったが、それよりもはっきりと寒気がした。
 黙りこくったまま、なおも手を引かれて歩く。
 引かれる。強く。
 歩みから早足、そして走るほどに引く腕の強さがなった頃。突然それはぴたりと止まった。


「着いたよ」


 それだけ言って、正体不明の手は離れていった。
 暗闇にぽつんと取り残される。仕方なく一人で歩き出す。
 一体ここはどこだろう。
 何のあてもなくしばらく歩くと、何かにつまずいた。木の根か何かだろうか、随分太い――やわらかい。


「ちょうどこんな夜だったね」


 いなくなったと思っていた声が聞こえて、あわてて振り返るも誰もいない。そのまま体勢を崩して倒れこむ。
 いないのか、見えないのか?
 恐慌に鼓動が早まり、息苦しくなって。いや、何かこれは、むせ返るような、臭いが。
 はたと胸に当てようとした手が、倒れた時に何かを下敷きにしたようで、それを見ると。
 見ると、人が。
 その顔は――。







2017.06.18投稿