流れ行く日々の中で

仮面越しに見える景色は退屈だった。
物資調達のために停泊したこの島には、面白味あるものがなにもない。その独特の気候からどこもかしこも想像を超える複雑怪奇のグランドラインの中で、こんなにも普通で変わったことにない島は逆に珍しい。だとしても、だからなんだという話である。
街並みも人並みも平凡極まっているこの場所は、グランドラインに入る前の小さな田舎島を思い出した。のどかで平和、あっと驚く出来事の気配すらない。 そんな見覚えがありすぎる景色。単調で退屈。
おれは奇想天外でワクワクするような冒険記が書きたいのに。

数時間前、買い出しとネタ探しのために船を降りた。前記したように退屈な街並みだ。徒歩2時間もあれば島内を一周できるであろうくらいの小さな島。
申し訳程度に並ぶ屋台のような出店が並ぶ海沿いの通りが、この島のメインストリートらしい。もちろん、変わったものなど何もない。早々に探索する気も削がれたおれは、休憩と称して路肩に座り込んでぼんやりしていた。

「なにしてんだ?」

ふいに、そんなおれの顔を覗き込んだのは、我らの船の太陽ーーもとい船長だった。
屋台の枯れ木色ばかり見ていたおかげで、彼のオレンジ色の帽子と赤い首飾りが眩しく見える。

「買い出しに出掛けたんじゃなかったか?」

彼は、両手に持っている冷しキュウリを齧りながら言う。
おれは反射的に周囲を確認した。血相を変えて追いかけてくる人影は見当たらない。だからといって、冷やしキュウリのお代はきちんと支払われているのかは、定かではない。支払われていない確率のほうが高いとも思う。
困ったことに、彼は食い逃げの常習犯なのだ。

「そろそろ日が暮れちまうぜ」
「……今から行くよ」

真っ白なページを前にしてペンを持っているおれが、使命を途中で投げ出していることはお見通しらしい。さっさと仕事をするように促される。
おれはノートを閉じ、彼と並んで歩き出した。
やはり、移動をしても目に入る屋台に目新しいものはなかった。

「デュース、何を書こうとしてたんだ?」
「この島特有の変わったことが書きたかった。けど、何ひとつとして変わったことがねェんだよ。ここはグランドラインだぞ?そんなことってあるかよ」
「それが逆に珍しいだろ?」
「そう思ってそれを書こうとしたけど、いまいち言葉が浮かんでこない。この島はおれのハートを刺激しない。幻滅だ」

憤るおれを尻目に、彼は笑ってキュウリを齧る。シャクシャクと軽快な音を立てて咀嚼していく様は、おれの鬱蒼とした気分などまるっきり他人事だった。
そんな様子を見て察する。彼はおれと違ってこの島を楽しんでいる。どうやらこの島では、おれ達は同じ気持ちを共有できないらしい。出会ってからここに辿り着くまで、いつも隣で苦楽を共にしてきたというのに。ますます楽しくない。

「おれもこの島に幻滅したよ、一緒だな」
「はァ? どこがだよ。お前は楽しそうじゃねェか」
「いまはな……お!なァ、デュース!あれいいな!」

話の途中で彼が指差して駆け寄って行った屋台は、眼鏡やサングラスが並んでいた。なんの変哲もない、ただの眼鏡屋だ。

彼は、店先に並ぶ商品を物色したのちに黒いレンズのサングラスを掛けて「似合うか?」と訊いてきた。
レンズが塗り潰されているせいで表情の半分が隠れているが、その口元や口振りには、しっかりと笑みが浮かんでいる。
グランドラインという特別な場所で、棒に刺さっているだけのキュウリを齧り、変哲のないサングラスを掛けて、なぜこいつはこんなにも笑えるのか。
おれは何も楽しいことなどないのに。船長である以前に相棒である彼と気持ちが共有できないなんてことは、これまでで初めてだった。

「なァ、デュース? 似合うかって」
「……似合ってるよ」
「お前も掛けてみろよ」
「おれはいいよ」

彼はサングラスを外し、そのままおれに差し出した。
しかし、おれはサングラスなどに興味はない。目元を隠すのには仮面で十分だ。

「ちょっとくらいいいだろ?」

しゅんとしたような声を出す彼の唇は、少しばかりツンととんがっていた。
ずるい男だ。彼はおれの心の傾け方をマスターしているのだ。
そうやって拗ねてみせて、次にはど直球に良心に語りかけてくる。今にそうしてくるはずだ。

「たまにはお前がその仮面意外のもんを掛けてるとこが見てェなァ、おれは」

ほらみろ。言いながら、にやにやとして肩に手を置いてくる。

「ぐっ……! 少しだけだぞ……!」

そしておれは、彼の頼みを断ることができない。
誘導されるがままに、彼の手から少々乱暴に取り上げたサングラスを掛けて見せた。

「……どうだ?」
「うーん……微妙だなァ」彼は眉を寄せて難しそうな顔をする。「なにかが違う」

備えられている鏡を覗いて見れば、言われたとおり微妙な自分が映っていた。彼が選んだゴツいフレームのサングラスは、想像以上に似合っていない。
「これは?」と次に手渡された物を素直に試着するも、やはり難しい顔で首を傾げられた。
それから、いくつかのサングラスを試着しても、彼がその表情を変えることはなかった。

「なんっか怪しいんだよなァ」
「もういいって……」

最悪だった。しぶしぶ試着して、結果微妙な姿を晒すだけ。カッコ悪い。だから嫌だったんだ。

「そもそも似合うサングラスがあったところで、おれはこの仮面がいいんだから、」
「お、これがいいんじゃねェか?」
「だから、もういいって」

話を聞かない彼が次に差し出していたのものは、今まで試着したものと少し違っていた。明らかにゴツくイカついデザインを好む彼のシュミではない。
細めのフレームに、両端が釣り上がっているレンズ。この形は、フォックス型と呼ばれているものだ。
‪淡い紫色のレンズを透かしてみた。向こう側がピンクがかって見えていた。‬
‪「掛けてみろよ」と促す彼。おれは「最後だからな」と受け取った。‬

‪紫がかったレンズ越しの景色は、思っていたより視界に変化がなかった。‬
‪ほとんど掛ける前と同じ。淡いピンクのフィルターが、薄っすらとだけ視界にかかる。それだけだ。
ただ、目の前にいる彼の表情が明るい表情ものに変わっていた。

「似合うじゃねェか! デュース!」

白い歯を見せて笑い、まるで自分のことのように嬉しそうにしている。彼のこんな表情をみると、おれはどうしようもなく安堵を含んだ嬉しさがこみ上げてくる。
おれは、彼の背負うものを知っているから、他のクルーと比べて少し特別な感情を抱くのだろう。憂いなく笑っているこの顔を見るのが好きだった。

「お前の言う通り、これは悪くないな……」

鏡を見る。たしかに悪くはない。むしろ自分で見ても似合っていた。

「せっかくだ。買えよ」
「ぅんんー……でも仮面あるしなァ……」

鏡に映る自分と睨めっこをしていると、背後の空模様が気になった。いつの間に時間が経ったのか、空の色合いが変わっていた。空に紫色が差していて、雲がピンク色に染まっている。綺麗な色だった。

「おい、見ろよ! 空! 夕日! すげェキレイだ!」

その空模様に、おれは一瞬で心を奪われていた。毎日のように見ている夕日でも、取り分け綺麗な空模様を観測できるラッキーデーがある。どうやら今日はそのラッキーな日らしい。
目の前の景色をなんと言って表現していいか言葉を知らないおれは、すげェ!最高だ!ととにかく興奮して捲くし立てた。
そんなおれとは対照的に、隣にいる彼はぽかんして空を見上げていた。彼は意外にもキレイな風景を見るのが好きだ。大きな虹を見ればわざわざ教えに来るし、二人して満点の星空を見上げ続けていたこともある。
いつだってキレイな風景を共有してきた仲なのに、今日のこれは共感するに値しないのだろうか。

「デュース……夕日なんてどこにあるんだ……?」
「え?……あ!」

おれは気付いた。サングラスのレンズだ。サングラスをずらし、あらためて空を見ると、まだ青空のままだった。彼が見ていた風景はこれだ。

「……」
「あはは!」

恥ずかしい。ただでさえ恥ずかしいのに、彼が声に出して笑うから余計に恥ずかしくなった。

「ッ〜〜! 笑うなッ! 本当に綺麗だったんだよ!」
「あ〜、わかった、わかった」彼は肩を揺らしながら頷く。「まァなんだ……良かったじゃねェか。キレイな景色が見られて」

な?探してたんだろ?と、彼はまた笑った。
「でも、本当に日が暮れちまうな」と、先に歩いて行く彼の背後で、サングラスを掛け直したおれはもう一度空を見た。青い空が人工的なもので染められたその空は、やっぱり息を呑むほどキレイだった。

おれは、結局そのサングラスを購入した。サングラスを選んだ彼が見せてくれた特別な景色。今思えば、その景色を購入したのだ。

後になって、二つ買えば良かったと後悔をした。二つあれば、彼と同じ景色を同時に見られたのにと思ったのだ。
もっと見たかった。一緒に。いろんなものを。
これを書いている今、彼は遠い先に行ってしまったけど、おれは未だに彼の手を借り、灰色の世界に色を塗っている。
ああ、そういえば。あの日の彼が、島に幻滅したにも関わらず楽しそうだった理由は謎のままだ。これは彼に追いついたとき、話したいことリストにメモしておこう。




「デュース! ここに居たか!」

嬉々とした声に呼ばれ、読んでいた本から顔をあげる。図書室の入り口からエースが顔を覗かせていた。文字通り、満面の笑みだ。なにがそんなに面白くて、楽しいのか。

「そんなに笑って……なにがそんなに面白いんだよ」
「なにって……探してた奴に会えたら嬉しく思うだろ? 一緒に帰ろうぜ!」
「……ああ、そっか、そういうもんか。なるほどなァ……」

おれは独り言を言いながら立ち上がった。本を閉じる。表紙には海賊船が描かれていた。

「ん?」 独り言を聞き取ったエースが眉を潜めている。「なにがだ?」
「いや、こっちの話」
「そうかァ」
「なァ、帰りにサングラス選んでくれねェ?」

エースは唐突な申し出に首を傾げるも、「イメチェンってやつか?」と笑って快諾してくれた。

「エースにはおれが選んでいいか?」
「ん? おれ? おれは別にいらねェよ」
「世界が変わって見えるかも知れねェぞ」

本では同じものを二つ、と書かれていた。だけど、エースにはおれが選んでやりたいと思った。
惚れ込んでいる奴にキレイな世界を与えてもらいたいし、与えたい。人当たりが良く、学校中の人気者であり、みんなの太陽であるエース。そんな彼に対して抱いている感情のうち、ほんの一欠片分のエゴを主張する程度なら、神様だって許してくれるだろう。

「なんだそりゃあ」
「本に書いてあったんだよ」
「へェ……なら、一緒のにしようぜ。二人で同じ物を選ぶんだ」
「え?」
「世界が変わったって、一人で見てもつまんねェだろ?」

窓から指す、オレンジ色の光の中で彼は真っ直ぐにおれを見る。

「おれはサングラス一つで世界は変わんねェと思うけどな、デュースがそう思うなら試してみようぜ」

ああ、本当に、彼のことが心から好きだと思った。






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