翌朝へそを曲げていたので口の中に饅頭を突っ込んでおいた

 家族を大事にする、ということに関して、恥も外聞もなく言ってしまうのなら江澄には自信がない。
 もちろんこんなことを公言したことはない。金凌の面倒を見ているうちに心のなかで少しずつ、「どうしてあげたらいいのだろうか」という戸惑いが江澄のなかに降り積もっていったものが自信のなさに繋がった。
 家族仲は良いとは言えなかったし、親戚も幼い頃は会わせられていたけれど、両親の関係が悪化していくにつれて関わりが薄れてしまった。だから江澄の周囲には参考にできるような人間がおらず、他世家との交流時に見え隠れするものからこういう接し方をしているところは家族仲が良さそう、あちらは悪そう、というふうに判断して己の接し方が金凌にとって良いものなのかどうかを探っている。

「じう」
「なんだ」

 まだ言葉もはっきりと喋ることが出来ない子供の拙い呼び声に、読んでいた書を置くと屈んで応えた。
 子供特有の高い声はよく通り、接しているうちに金凌が何を指して喋っているのかくらいは察することが出来るようになってきたところだ。いまのは己を呼んでいる。金凌はこちらへ右手を伸ばしてうにゃうにゃ言っているが、そちらに関しては何を要求しているのか皆目見当も付かない。
 何かをしてほしいのか、それともただ単にお喋りをしているだけなのか。

「ああ」

 とりあえず相槌を打つだけ打って、金凌の脇に手を差し入れて持ち上げる。
 物に掴まって伝い歩きが出来るようになっても子供というのは頬も手足もふっくらと丸く、そして怖くなるほど軽いままなのだということを江澄は初めて知った。それから意思疎通が出来ずとも会話の形は作れるということも。
 腕の上に座らせる形で抱き上げた金凌は機嫌が良さそうだ。これが金凌の求めていたことだったのかは分からないまま、江澄を見上げてまた何事かを伝えてくる子供に「良かったな」と声をかけた。
 金凌が這って動き回るようになってから気付いたことだが、抱き上げておくと楽だ。子供は目を離した隙に思いもよらないことをしていたり、そんなところまで行けるのかというほど遠くへ離れていってしまうので。
 抱きかかえるでも膝の上に乗せておくでもいいからそうしておけば、好奇心の赴くままに移動したりしないので江澄は安心して書を片付けることが出来る。まあ、金凌は側近をそばに置いて見張らせているので万一のこともないのだけれど。
 ともあれ江澄は片腕に金凌を乗せたまま、一度卓上に置いていた書を取って書架に仕舞った。

「ん!」
「今日はこれか?」

 今日は飾り棚に置いていた扇子に興味を示しているらしい。江澄に抱き上げてもらったときにしか見えない高さが新鮮なのか、単に目移りしているだけなのか。それは分からないにしても子供に触れられて困るようなものでもなし、江澄は金凌の言う通りに扇子を持ちやすいように畳んで渡してやる。
 ところが不満気に愚図ったので「なんだ、これが良かったんじゃないのか?」といらなければ邪魔になるからと扇子を元のように戻せば、金凌は唸りながら扇子を指差している。子供の考えることはさっぱり分からない。欲しいのか、欲しくないのか。
 たびたび起こることだが、意図が分からない。眉間に皺を寄せて「なんなんだ」と呟けども金凌は手を必死に伸ばして唸るばかりである。
 こほん、と部屋の片隅に控えていた側近が咳払いをした。

「開いたままが良いのだとおもいますよ、宗主」
「……そういうものか?」

 彼の言う通りにして持たせてやれば、斜めになっていた機嫌もみるみるうちに戻ってきゃらきゃらと笑い出す。小さな手で上手く持てていないものを上機嫌にぶんぶん振り回すのはやめてほしい、落とすから。そうならないように抑えながら、江澄は「どちらにせよ同じだろうに」とぼやいた。


 そうして分からないながらにも接し続けて早十年、仙子を連れて駆け回る金凌が初めて抱き上げられることを拒絶した日を思い返す。

「もう子供じゃない!」

 年々増していく重さに人が育つということを実感していたし、口が達者になっていく様子には生意気なと頬をつまんだりもしていた。
 宗主としての役目の都合で金凌と会うのは久しぶりだった。しばらくぶりだなと言いながら抱き上げようとした江澄を、また少し背の伸びた甥が伸ばされた腕を振り払って拒絶したのである。

「まだ子供だろうが!」

 反射的に怒鳴るように返しながらも、江澄はショックを受けていた。
 こうすれば嬉しいだろうと思ってしていた行為を拒絶されたことへもそうだし、子供として扱われることを嫌がったことへも。
 そのときの金凌はまだ十にも満たない子供である。大人扱いをされようと背伸びをした振る舞いをするようになってもだ。
 江澄はその年頃にはまだまだ抱き上げてほしいだとか褒めてほしいだとかと考えていて、大人に対等に扱ってほしいだなんて思ってもみなかった。こういったことも環境の差なのかもしれない。
 ともかく金凌は江澄からのあからさまな子供扱いを嫌がるようになったので、江澄は金凌を抱き上げてやることがなくなった。
 ただしそれは金凌が起きている時に限った話である。
 泳ぎの練習に疲れて果てて寝落ちた金凌を運んでやるべく持ち上げる。陸に上がる際に水中から押し上げてやった時にも思ったが、随分と重たくなった。仙師だからこそ特に負担がかかるわけでもないけれど、金凌はもう片腕で軽々と抱えてはやれないほど大きくもなった。
 それなのにやることなすことはまだまだ子供だ。夕餉だと運ばれてきた時からうとうとしていて危なっかしく、箸もろくに握らないうちに突っ伏して寝落ちてしまった。初めて泳いだのだから相応に疲れていたのだろう。
 大人ぶりたい金凌は江澄に抱きかかえて運ばれたことを知れば怒り出すだろうが、こんなところで寝るのが悪い。
 そういう、小生意気な主張をするようになったことを思い返しながら、衾をかけてやった金凌のあどけない寝顔を見つめて肩の力を抜いた。

「大きくなったものだな」

 とはいえ江澄にとってはいくつになっても甥は甥で子供は子供だ。今日食べ損ねた夕餉の分も明日は食わせようと思いながら、江澄は金凌の眠る部屋を後にした。

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