「蠍、いい加減にしなさいよ」

噛みつくような物言いに加え、鋭い眼光を背中に向けた。決して広くはないまだ小さな背中は、振り向き私を見据えることはない。

「あぁ、デミニーか。俺から話すことは一つもない。これ以上時間を割くようなら今すぐ殺すが。どうする?」
「相変わらず上からの物いいね、ハッキリ言うわ。コムシを殺したことをとやかく言う気はないの。里を出ないで」
「フン、実力を見据えて話しているだけだ。…コムシ?…あぁ、そんな奴もいたな」

まるで赤髪の一本一本が話してるようだった。背中で語る男という言葉は存在しているが、対話している最中に背を向け目も合せないというのはナンセンスだ。蠍は待つのが嫌いでとても短気。故に人と話す際に目線を向けず仕事をする様はよく見た。誰相手でもだ。

私が引き留めている事に痺れを切らし、殺気を向けてくることはなかった。里を出る最中に話しかけ、足取りの邪魔をしているのだ。この行為も待たされている、といった理由で蠍に疎まれる要因になってもおかしくはない。そしてその場合は間違いなく殺されるだろう。忍としての実力は蠍の方が格段に上だ。戦闘になれば時間稼ぎならともかく、勝敗が付くなら負け戦は明白だろう。でも、それでも、届かないのは承知で、思いを伝えなければならない時というのは誰にでもあるじゃないか。


「なにが、…気に入らないの。教えて」
「幼稚な質問をするようになったな、いつも察し面の口癖は『分かった』なテメェが」
「…蠍の事を、教えて欲しいの」
「頭でも湧いたか」

言葉選びは得意な方ではない。これでも必死に引き留めて会話をしているつもりだが、こちらを振り向くどころか蠍の背中はドンドン遠退く。腕を目一杯伸ばしても、触れるのには数メートル足りなかった。足を数歩前に出し、赤い後髪に触れようとした瞬間、蠍が目前から消える。


(はやいー…)


消えたと思っていた姿は私の後ろに佇んでいた。造形師の蠍がこれほど早く動ける筈がないと瞬時に頭が回る。−新種の毒?考えられるのはその一点のみだ。気づいた頃には体は後ろに倒れ痺れが全身に回っていた。ドンと、地面ではない弾力のある物に体を凭れた。蠍の胸に、私の中途半端に伸ばした髪が触れ、痺れで動かない指は、ひっそりと持っていたクナイを地面に落とす。砂がコトンと鳴る筈の音を滑らかに飲み込んだ。

「さ…」
「物心がついてから人に触れたのは初めてだったか。この体も見納めだ。人形に残る全てが思い出のみというならこれもまた一興か…」
「なにを…、まっ…て、…り」
「もう会う事も無いだろう。じゃあな、デミニー」

触れたといっても、服越しじゃないか。これでは人の温もりなんて感じられる筈もない。出ない言葉を捻り出そうとするも虚しく空気を吐いただけで終わる。そして私は無力にも意識を手放した。
あの時伸ばした腕はもう届くことはないし、毒に侵されながらも必死に伝えようとした口の動きは、背中でしか見られていなかった。















ある晴れた朝。私はもう30に年齢が達する辺りまで生き永らえ成長していた。忍びとしては生きた方だと思う。此処は風の通りがよくなかなかの荒野地帯だ。と言っても、どうやら明るい桜色の髪をした怪力少女が、見晴らしをよくしたのだろうが。記憶上こんなに清々しく見晴らしがよかった覚えなどない。遠征でこの辺りを通った覚えがある。派手に欠けたばかりの岩が足元に散乱していた。そして、解毒の終わった桜色の少女と一緒にいた婆様は先を急いで一瞬にして消え去った。暁を追っている最中とのことだ。

「蠍、ねぇ。まだ生きてるんでしょ。何か言いなさいよ」

関節に穴が開いている。本来人間に穴など開いていない筈だ。桜色の少女にやられた傷ではないだろう。関節の境目に沿ってなぞった。これは、人間の皮膚ではない。傀儡だ。

「人の温もりって…あの時言ってたのはこういう意味だったんだ。馬鹿なんだから」

恋をしていた。決して優しくはない、光の無い目に。惹かれていた、私を見ているようで見ていない、虚ろな瞳に。残虐非道で有名になり、暁に加入した蠍が、何故あの日私を殺さなかったのかと考えれば見つかる理由などこれしかない。自分に好意を寄せる私を、殺せなかったのだ。蠍というのは、心の底で情を殺せない男だった。

「頭がいいってのも考え物ね、おかげで私のこと殺せなかったんでしょ。告白もしてないのに気づいちゃって、まぁ」
「…死に際にまで追いかけてきたか、デミニー」

「最後、チヨ婆様殺せたでしょう」
「…ハッ、お前の目が節穴なだけだろう」

「悪態は変わらないのね、なんだか安心したわ。もう、私が好きだった蠍の肉体じゃないみたいだけど」
「……口が立つようになったじゃねェか」

「誰かさんが傍にいなかった分、色々移っちゃったのかもね、自給自足ってやつ」
「…」

「私、元気にしてたのよ。体だけはね、勿論怪我もしたりしたけど」
「…」

「寂しかった…多分、この気持ちは、蠍も過去に感じたことあるでしょう」
「…」

「もっと、話をしたり、傍に居たかった」
「………」



「…蠍…愛してるわ、さそり……?」


風が大きく吹く。中途半端に伸びきった私の髪が、蠍の顔にぶわりとかかった。隙間から、瞳も口も閉じたままで話していた蠍の表情が見える。幸せそうに笑っていた。ある晴れた日の、出来事だった。