トロピカルランドで身体が退化したあの日から、流れる様に時間が経過していた。阿笠博士の提案で小学校に通うことになり戸惑っていた環境の変化にも、今ではすっかり自然な演技力に磨きが掛かっているなんて自負している。歩美ちゃん、元太くん、光彦くん、転校生の哀ちゃん、そしてコナンくんの6人で少年探偵団まで結成してあれよあれよと事件に携わるのにももう慣れた。どんなに保護者面しようにも同じ小学生の私の言葉なんか聞いてはくれない。そんな好奇心旺盛なお友達にも恵まれ、2度目の小学生も悪くないかななんて笑える余裕まで出てきたのはひとりで思い悩む時間を与えてくれないこの子達のおかげだ。そして、どこから入手したのか阿笠博士にお強請りして新しく新調した携帯電話に、たまに連絡を入れてくれる快斗くんの気遣いのおかげである。あの日、「別れよう」と理不尽にも一方的に縁を切った私に罵声を浴びせることもなく、一ヶ月もの間消息を絶っていた私なんかを必死に探してくれていた快斗くん。「何があったかは知らねーし聞きやしねーけど、待ってるからな」とただ、それだけ書かれた文面にどれだけ救われたか。今はまだこの姿で会うことも、幼くなった声で話す勇気もない私が、待ってると連絡をくれた快斗くんの優しさに涙を流したのは随分前のことだ。それからは、コナンくんのように変声機を持っていない私と快斗くんの近況報告のようなメールだけのやり取りは現在まで続いている。声を聞いたら、顔を合わせたらボロ雑巾のように汚れた心が快斗くんの優しさに縋って、甘えて真実を吐露して巻き込んでしまうのが怖い。これ以上、私の勝手な欲望で彼に迷惑をかけるわけにはいかないのだ。それこそなんてエゴイズム。思いを馳せて自嘲に笑う私と陽気に歌う少年探偵団を乗せた阿笠博士のお世辞にも乗り心地の良いとはいえない小さな車は、キャンプ場へと向けてゆっくりとタイヤを進ませていた。

「はい、哀ちゃん」
「ありがとう、なまえ」

オートキャンプ場へ着いたのはまだ太陽が頭上でその身をサンサンと主張していた頃。川で魚を釣ったり、足をつけてその冷たさに見悶えたりと存分に自然を堪能した彼等がお腹をすかせる頃合いを見計らって、阿笠博士と一緒にせっせと晩御飯を作るのが私の役目だったりする。不自由でならなかったこの身体も慣れてしまえばなんてことない。子供だからと舐められたり、笑われたりするのには辟易だが、同じ境遇の彼等がいることが傷の舐めあいとは分かっているものの安心を齎せてくれるのは確かで。よそったお皿を笑顔で受け取ってくれる哀ちゃんもそのひとりだ。本名は宮野志保さん。詳しくは知らないけれど、元々黒の組織のメンバーで私達が飲まされた薬を開発した人らしい。彼女の姉の宮野明美さんが殺害された時、傍にいた私は見ていることしかできなかった。息を引き取る間際、血に濡れた手を握った私に向けて「貴女に、似て...凄く優しい子だから...妹を、宜しくね」そう告げた明美さんの姿は未だに私を苦しめている。彼女に向ける感情は、使命感や正義感なんてそんな綺麗なものじゃない。何も出来やしなかった罪悪感に苛まれて溺れる臆病な脆い心が砕けないよう自分を保つため、優しい彼女を利用しているだけだ。彼女から向けられる感情もその類いのものだろう。お互いに利用してぽっかりと空いた胸を埋めるために身を寄せあっている。滑稽な友情だ。私を通して姉を見ていてる哀ちゃんの心が安らげるなら、幾らだって利用してくれて構わない。そうは思うも、黒の組織についての詳細を有耶無耶にはぐらかしては関係ないと突っ撥ねる哀ちゃんとコナンくんにはそろそろ我慢の限界だ。私の身を案じてくれていると分かってはいても、蚊帳の外なんて悔しいじゃないか。私だって哀ちゃんや工藤くんの助けになりたいのに。

「米粒ひとつでも残すと罰が当たるって母ちゃんが言ってたぞ」
「その通りじゃ!米は農家の人が八十八回、手間をかけて作るんじゃからなぁ」

ぼんやりとお米をつつくだけでなかなか食事の進まない私には阿笠博士のクイズは右から左。折角美味しく出来たご飯もこれじゃあ報われない。まだまだ食べ足りない元太くんにお皿を追いやって、「ちょっと涼んでくるね」と席を立った。こういう負の感情に押し潰されそうな時、無性に快斗くんと連絡を取りたくなるのは私の狡い癖だ。河原に腰掛け、両膝を立てた私は顎を膝に置いて、パカパカと携帯を開閉する。なんて面倒臭い女だ。自分から離れたのに、あの屈託なく笑う顔が見たいと嘆く。さわさわと木の葉を揺らし、髪を撫でる穏やかな風が荒んだ心まで連れ去ってはくれないだろうか。

「おめー何悩んでんだよ」
「コナンくん...」
「おめーがそんなんだとあいつら気にしちまうぜ?」
「うん...ごめんね。でも、もう少しだけ此処にいたいの」

どうやらこの名探偵には上手く隠せてなかったようだ。風の音に紛れて聞こえてきた足音に顔を上げれば、眉を寄せて困ったような顔をしたコナンくんがそこにいた。とさりと隣に腰掛けたコナンくんに思わず身体が強ばるも、ゆっくりと気を使った口調にゆるゆると張っていた気を緩める。あの日以降、コナンくんとは良き相談相手だ。それも事件に関してじゃなく蘭ちゃんや推理小説に関しての。小学生で江戸川乱歩やシャーロック・ホームズを熟読しているのは彼くらいで、中身を知っている私は彼の餌食。おかげで、推理小説に対しての知識はぐんと上がった。そして、蘭ちゃんや園子ちゃんとは一切連絡を取っていない。小学生のみょうじなまえとして顔を合わせることは何度かあるが、友人としての連絡はなかなか取れずにいる。変声機を持っていないなんてただの言い訳。本当は忘れているかもしれないと臆病な心が邪魔をして一歩も踏み出せずに未だ足踏み状態だ。
難解な事件に直面すると周りの見えなくなる彼が、蘭ちゃんに正体がバレそうになる度に私に変声機を渡して頼み込んでくるのも日常茶飯事。こんな私でも役に立つことが一つでもあるならと引き受けたのが仇となるなんてその時は思ってもいなかった。どうやら私は重い病にかかって入院していることになっているらしい。病名不明、入院先も不明な私を最初は工藤くんを通して心配していた蘭ちゃんだけど、いつの間にか話題に上がらなくなっていた。勝手に消えて、いなくなったら私が悲しいだなんて思ってはいけないのに、工藤くんと偽って通話する蘭ちゃんとの会話に、私の名前が出ないことで沈む気持ちは一向に無くなってくれそうにない。あの頃から私だけが置いてかれて、捨てられない恋心にも成長しない内面にも情けないなと心内で毒づいた。

「あんま無理すんじゃねーぞ」
「コナンくんがもう少し私にも事件に関わらせてくれたら考えるかな」
「おめーなぁ...危険だって何回も言ってんだろ」

ぽんぽんと優しく頭を撫ぜる手から逃れる様に立ち上がる。今の私には彼のあまい囁きは毒だ。綺麗な花に誘われる蝶のように簡単に翻弄されてしまいそうになる。にっこりと笑顔を貼り付けて悪戯に笑う私に、呆れた目を向けたコナンくんと肩を並べてテントへ向かう。日も沈んでそろそろ子供は寝る時間だ。小さなテントに寝袋を敷き詰めて、欠伸を零す彼らにおやすみと呟く私は、最期まできっと自分を偽って生き続けるんだろうななんて想像して小さく嘲笑する。眠気なんて一向にきやしなかった。