「なんかキツイなこの席」
「元太くんが後ろに乗ったからですよ!来る時は前だったのに〜」
「後ろの方が楽しそうだったんだよ!」

後部座席に歩美ちゃん、コナンくん、私、光彦くん、元太くん。そして助手席に哀ちゃんを載せた車は西多摩市に新しく建築された最も天国に近いと評されるツインタワービルに向けてタイヤを走らせていた。昨晩、ちっとも眠れなかった私は揺りかごの様にゆらゆらと振動する車内とその暖かさに、こくりこくりと船を漕ぐ。「みょうじさん、コナンくんに少し寄ってもらっても大丈夫ですか?」ぽんぽんと優しく肩を叩く感触に、零れでた欠伸に口元を抑え、生理的に浮かんだ涙を掌で拭っていた私は気を抜いたら落ちそうな瞼をなんとか持ち上げて光彦くんを見上げた。眉を下げ、申し訳なさそうに尋ねる光彦くんの言葉を数秒脳内で転がしてこくりと首を縦にふる。ぶつくさと文句を垂れる元太くんに譲歩して、どうやらコナンくんから少しづつ席を詰めることになったようだ。ごめんね、とコナンくんに小さく断りを入れて僅かに肩が触れ合う程度まで近寄る。だめだ、眠い。子供特有の体温に挟まれて、そろそろ絶え間なく襲いくる睡魔に抗えなくなってきた。ゲームしようぜ!ゲーム!と変わらぬ景色に飽きてきたのか騒ぐ元太くんに、30秒を頭の中で数えて当てるというなんともシンプルなゲームを考案した光彦くん。みょうじさんもどうですか?と笑顔で問われるも、ぬくぬくと双方から与えられる心地よい温もりに浸かって、微睡みに片足を突っ込んだ私の鈍い頭では酷なルールだ。とうに回らなくなった頭では30秒どころか10秒数えれる自信もない。ううん、私は遠慮しておくよ...そう呟いたはずだけれど音となって相手に伝わったのかは怪しいところ。「おめーなぁ、そんなに眠たかったら寝てもいいんだぜ?」数度目の欠伸を奥歯で噛み殺していた私にかけられた声に、薄らと瞼をこじ開ければ呆れた表情を浮かべたコナンくんと視線が重なった。ちゃっかり欠伸の回数まで把握していそうだから、この洞察力の鋭い名探偵さんは恐ろしい。上手く舌の回らなくなった口から発したうん、ともううん、ともつかない曖昧な返事に更に眉を顰められてしまった。はぁと深く吐かれた溜息にだって...と開いた口は二の句を告げる事はなく、ごにょごにょと尻すぼめに濁す。確かに、構うことなく寝てしまえばコナンくんの気に触ることも無いと理解しているのだけれど、事件を呼び込む人材の傍で呑気にすやすやと眠るのはどうしても憚れる。コナンくんと哀ちゃんが好奇心旺盛で無鉄砲な少年探偵団に目を光らせ、捉えているのがなにも不安な訳では無いのだ。ただ、この頭脳明晰のふたりはどうも私を危険から遠ざける傾向にある為、すべてが終わった後の事後報告なんて心臓に悪いことたまったもんじゃない。いってしまえばただの意地だ。

「おめーて変なとこで頑固だよな」
「...コナンくんのその察しのいいところって、どうして自分には向かないんだろうね」
「おい、それどーいう意味だよ」

どんなに口を窄めても私の考えなんてこの名探偵さんにはお見通しのようだ。自分に刺さるベクトルには全くの無頓着なくせに、他人の感情や思考には鋭く察知してさり気なく距離を図れるのだから狡い。快斗くんといい工藤くんといい、容姿の良い人はみんな漏れなく中身まで高性能だなんてこれを格差社会と云わずなんと呼ぼう。ただ、工藤くんは快斗くんとは違い、興味を持ったものにはとことんのめり込んで周囲に目を配れず、その無謀な行動故、相手に不安や心配の種を植え付け無自覚に傷付ける、なんて悪い癖があるんだけれど。不意に、未だ工藤くんの帰りを健気に待っている蘭ちゃんが脳裏に浮かんでぽつりと呟いた私の小さな声を拾ったコナンくんが、不服そうな面持ちでこちらを見やるのには難聴をうったえる。尚も、追及しようと口を開いたコナンくんにタイミングよく光彦くんがストップウォッチを手渡した事で、その全てを見透かす青い眼光の注意が逸れて悟られないようにそっと胸を撫で下ろした。

「...28、29、30!」
「30秒ジャストだ!」
「凄い歩美ちゃん!」
「エスパーじゃねーか?!」
「ま、まぐれだよ...」

運転中の阿笠博士、助手席の哀ちゃん、そして私を除いた4人の30秒あてゲームは結果、歩美ちゃんが30秒ぴったりのタイムを叩き出したことで満足したのか「そういえば灰原、昨日あんな夜中にどこ電話してたんだ?」助手席に身を乗り出した元太くんの言葉で終わりを告げた。「で、電話なんてしてないわ...小嶋くん、寝惚けてたんじゃないの」そう早口に吐いた哀ちゃんの声がふわふわと漂う意識の中で反響して心にもやを落とす。ここで私も、哀ちゃんが寝具から抜け出すところを見た、と伝えたら執拗に隠したがる彼女の不利になるから口には出さないけれど、その脆い躯が壊れる前に吐き出して欲しいと思うのは我が儘だろうか。阿笠博士の自宅に泊まらせてもらう度に、彼女が夜な夜な電話を掛けているのは知っていた。彼女から話してくれるまでは、と素知らぬフリを続けてきた。置き去りにされている私には彼女が抱えている闇は到底理解できやしないし、愛する人を失った、彼女の内に秘めた哀しみや寂しさを一緒に背負うなんて無責任なこと言えやしない。それでも、悲嘆に叫ぶその躯を抱きしめ、一緒に涙を流すことくらい取り柄の無い私でもできるはずだと朧気に揺れる意識の中、ざわざわとさざめき立つ胸中で吐露する。私じゃなくてもいい。哀ちゃんが安心してその身を置ける居場所が出来たらいいなと幾度目かの願望を胸に、すべてが黒に染まった。

「ーー...さん、みょうじさん」

まるで吐息のように優しく囁きかけるその声に、ふわふわと彷徨していた意識が導かれるかのように浮上する。重たい瞼を持ち上げるのすら億劫で、再び快楽へ誘おうとする暖かい温もりに甘んじてその身を磨り寄せると、突如、がくがくと揺さぶられる激しい衝撃に一気に脳みそが覚醒した。「みょうじ!おめーいい加減起きろ!」ぱっちりと開けた視界いっぱいにコナンくんの顔が移って驚愕に慌てて飛び起きると、ゴツンッと音が出るほどの額への攻撃に敢無く逆戻りする羽目になった。え、これどういう状況。寝起きでぼんやりとした脳内では飲み込みきれず違う意味で泣きそうだ。お約束のような展開に笑い飛ばす元太くんの声を聞きながら、ちらりと一瞥したコナンくんも赤くなった額を抑えて車外で蹲っている。どうやらいつの間にか寝てしまっていたようだ。不安定な首を容赦なく揺さぶられたことでぐわんぐわんと回っていた脳みそへの更なるダメージが、より一層気持ち悪さを誘う。眉を歪めていた私へ「なまえちゃん大丈夫?」と案じてくれた歩美ちゃんへ力の無い笑を返してふと、背中に感じた温もりにひりひりと痛む額を抑えたまま顔を向ければ、ほんのりと頬を赤く染めた光彦くんが居て。

「あ、ごめんなさい...!」
「い、いえ、大丈夫です!」
「なまえちゃん、光彦くんの肩でぐっすり寝てたんだよ」

慌てて飛び退いた私へ向けて投下された、生理的な涙さえ吹飛ばすほどの爆弾にぴしりと思考が停止した。ああ...もうなにやってるんだろう。やってしまったと、幾ら失態に胸中で頭を抱えても光彦くんに迷惑をかけてしまったのは覆しようもない事実で。あまりの自己嫌悪に胃がぐるぐると渦を巻く。好きでもない女の子の頭を、ましてや意中の相手の前で肩に乗せるだなんて行為、不快でしかないはずだ。きっと、すやすやと気持ち良さそうに睡眠を貪っている私を優しい光彦くんは起こせずにいたのだろう。重かったよね、ほんとうにごめんなさい。眉を下げ謝罪を零す私にぶんぶんと首を横にふることで応えてくれた優しい光彦くん。釈然としないもやもやを抱えながら伸ばした腕は「蘭姉ちゃん達が待ってっから...!」と復活したコナンくんに掠め取られ、強制的に車外へ引っ張り出されてしまった。あ、ちょっと待ってよコナンくん。静止の声もさらりと綺麗に受け流し、両足を踏ん張って抗う私なんて構いやしない。こうなった彼を制することができるのは蘭ちゃんぐらいだろう。コナンくんも私に負けず劣らず相当な頑固者だ。低学年といえどさすがに男の子の力に抗う術も気力も無く、早々と諦めの息を吐く。なによりも彼の口から零れた、蘭ちゃんの名前が気にかかった。なんで蘭ちゃんが此処に。小首を傾げながらも後髪を引かれてちらりと振り向けば、どこか漫然とした様子で私に視線を向けていたであろう光彦くんと視線が交差して。歪ながらも微笑んでくれた光彦くんに安堵からか自然と頬が緩んだ。

「こぉら、どうしてお前達がここにいる!?」
「キャンプの帰りに見に寄ったんだよ。おじさん達は?」

ぴたりと立ち止まったコナンくんに釣られて顔を上げれば、蘭ちゃん、園子ちゃん、毛利さんと、もはや定番と化した面々に嫌な予感を隠しきれずひくりと口角が引き攣った。この3人が揃ったことで事件に遭遇する確率はぐんと上がるじゃないか。どうやら毛利さんの大学時代の後輩がこのツインタワービルのオーナーで、オープン前にと招待されたらしい。蘭ちゃんは毛利さんが心配で、園子ちゃんを誘って着いてきたようだ。何もなければいいんだけど、と荒波のように押し寄せる不安を殺して「でも、こんなところで蘭お姉ちゃん達に会えて嬉しいな!」と無邪気な笑みを貼り付ける。本当は彼女と顔を合わせるのが怖いだなんて誰にも言えやしない。彼女の笑顔を見る度に護りたいと願う想いが強くなる反面、込み上げるほどの寂寞感や劣等感に苛まれてしまうのだ。たまに連絡は来ても、いつ帰ってくるかも分からない想い人を健気に待つ彼女はあまりにも強く純粋で、私には眩しすぎる。そして、小さくなった工藤くんからひしひしと伝わる彼女への真っ直ぐな気持ちがなによりも私を暗闇へと落とすのだ。今、彼と同じ境遇に立たされて隣にいるのは私なのにどんなに走ってもこの手が届かないことなんて百も承知。だからこそ私はいつだって見ているだけで、そんな臆病で勇気もない自分が益々嫌になる。キリキリと痛みだした胃に苦笑を零して、扉を潜った彼らを追うために重い足を動かした。