市議会議員の大木岩松さんが亡くなった。その連絡をコナンくんから貰ったのは早朝のことだった。大木さん?首を傾げる私にああそういや、おめーは会ってなかったななんてあっけらかんとした口調で言われたが、あの日ツインタワービルにいた全員に警部さんは顔を出して欲しいらしい。そういうことなら、とふたつ返事を返した私は現在、警視庁の前でみんなが揃うのを待っている。ちらりと確認した時計は待ち合わせの30分前。すこしはやく出すぎたようだ。暇つぶしにと小石を蹴飛ばしてみたがずきりと痛んだ右膝に顔を歪めて足を戻す。先日擦りむけた腕と手の甲はかさぶたが覆っているのに、膝の完治はまだまだかかりそうだななんて。とりあえずあの鋭い名探偵だけには気づかれないようにしなければ。あの日、車内で散々どやされたのは記憶に新しい。なんでひとりで行動すんだだの勝手にいなくなんなだの俺にも報告しろだの母親かと思うほど耳が痛くなるお説教はもうこりごりだ。自分だって勝手にいなくなるくせに。思わずそうぽろりと零した失言に底冷えする瞳を向けられたのは今思い返してもぞっとする。だからこそ、ぎょっとするほど赤紫に腫れ上がった膝を彼に悟られるわけにはいかないのだ。気づかれたら最後、どんなお小言を貰うのか考えただけでも恐ろしい。ひっそりとため息を吐いた私の前に見慣れた黄色いビートルが音を鳴らして止まった。

「彼が常磐美緒さんに宿泊を頼んだ時、君たちが側にいたときいてな。千葉くん」
「はい。大木氏の死亡推定時刻は午後10時から午前零時の間です。凶器はナイフと思われますが現場には残っておりません。ただ、大木氏の手にはふたつに割られたお猪口が握られていました」
「おちょこぉ?」

目暮警部、白鳥警部、千葉刑事に誘導され会議室へと通された私達は本題である大木さん殺害事件について説明された。昨夜、ツインタワービルのスィートルームで殺害されたという大木さん。鋭利な刃物で無残にも刺された彼が持っていたのは掌サイズの小さなお猪口だったという。毛利さんの怪訝な声色に促されるようにして、白鳥警部がぱかりとふたつに割れた現物をそっとテーブルに置いた。

「このお猪口はわりと高価な品でな。酒好きの大木氏が日本酒と共に持ち込んだ可能性が高く、犯人を示すダイイングメッセージではないかと我々は考えている」
「つまり警察は容疑者があの五人の中に居ると考えてるわけですね」
「現場が、まだオープンされていないビルということもありましてね」

真っ二つに割れたお猪口は大木さんが亡くなる直前に残したダイイングメッセージではないか、警察はそう考えているようだ。千葉刑事の手によってホワイトボードに容疑者五名の顔写真が貼られていく。毛利さんの後輩である常磐さんと秘書の沢口さん、専務取締役の原さん、そして私が会えていない建設家の風間さんと日本画家の如月さん。ぼんやりと写真を見ていた私の耳に毛利さんの推測が飛び込んでくる。お猪口から連想できるのはチョコレート。だから原さんが犯人ではないか。そう意気揚々と断言した毛利さんの推理は彼にだけアリバイがあるとの一言で呆気なく一蹴され、尚も八方から飛び交う連想ゲームのようなやり取りはただお猪口から容疑者を繋げれただけで憶測の域は越えられない。それでも警部には充分だったようだ。

「いや、犯行のしやすさからすれば彼女が一番の容疑者だ」

常磐美緒さんの付けていたブローチとお猪口が似ていると言ったコナンくんの一言に毛利さんがちょっと待て!と身を乗り出して否定を入れるも、目暮警部が鋭く遮った。ツインタワービルのオーナーであり、大木さんが泊まっていたスィートルームの1階上に自宅を構えている常磐さんが一番怪しいと、警察は睨んでいるという。確かに、毛利さんには悪いがオーナーである彼女に警察の目が向くのは仕方ないことかもしれない。へたりと力無く椅子に戻った毛利さんを横目に私もうーんと頭を捻ってみるけれど、すぐに音をあげて諦めた。常磐さん、原さん、如月さんまでお猪口から繋がればこれ以上浮かんできそうもない。それに、先程から引っ掛かっていることもある。おい灰原、まさか奴らか。いいえ、彼らはそんなヘマしないわ。私を挟んだ会話は辛うじて耳に届いていたけれど、それよりも小骨が支えたようなそれが気持ち悪くて思考を巡らす。なんだろう。なにか引っ掛かる。ダイイングメッセージ。ふたつに割れたお猪口。常磐さん原さん沢口さん。それらがくるくると脳内を回り、そしてぱちんと弾けた。

「…あ、」
「え?」
「あ、う、ううんなんでもないよ」

意図せず声に出していたらしい。ぴたりと揃えたように音が止み、耳聰く拾った複数の怪訝な視線がぶすぶすと遠慮もなく突き刺さる。先程までがやがやと己の推理を投じていたのにこの変貌。その息の良さを日頃からだせばいいのに!なんて言える状況でもなく慌てて口元を隠してへらりと笑う。けれど逃げられはしなかった。「なまえくん、なんでもいい。なんでもいいから思ったことがあれば我々に教えてくれないか」じっと見据えられる青い瞳は逸らせても、やんわりと穏やかな口調で問われれば誰もノーとは言えないだろう。帽子の下、鋭い視線とかち合った。ごくりと唾液を飲む音すら響きそうな静寂の中、すっかり萎縮していた胸を張って、恐る恐る、けれど正面からその双眼を受け止める。「あ、の…笑わないで、聞いてくれますか?」ゆっくりと震える声を殺して吐息を零すように吐いた言葉に目暮警部はしっかりと深く頷いてくれた。

「…本当に、お猪口がダイイングメッセージなのかなって」
「どういうことだね?」
「あの、もし、私がこの大木さんだったらって思ったんです。私だったら息を引き取る寸前、お猪口割る時間あったならもっと相手に伝わりやすい方法を選ぶんじゃないかなって。でも、近くに割れたお猪口しか無かったんだったら...そう考えたら納得できたんですけど、でも、小さくても手のひらからはみ出るお猪口に気づかない犯人なんているんでしょうか。それだけ慌ててたんだったら、焦って逃げた可能性もあるんですけど...。でも、もし、違ったら。これが反対に、犯人の残したメッセージだとしたら、そしたら、」
「まだ犯行は続く…きっとそう言いたいんだよ!ね?」
「え、あ、うん、そう!そうです警部さん」

大勢の視線が見守る中、自分の意見を伝えるのは難しいことだと改めて実感した。それをいつだって凛として、曲げない真実を真っ直ぐに伝えている新一くんの凄さはこんな時でも頭に過ぎて自嘲の笑みを浮かべてしまう。伝わればいい、伝わってほしい。そんな私の背中を押すように伝えたいことを汲んでくれたコナンくんにどきりと心臓が跳ねた。ほう、と顎をひと撫で。それも視野に入れて捜査に当たってみようと子供の些細な意見でも受け入れてくれた警部の優しさにそっと胸をなで下ろす。「さすがみょうじさんです!」「すごいなまえちゃん!」感嘆を込めた眼差しが居た堪れなくて下を向いた私のぼそりと囁くような感謝の気持ちは名探偵に届いたのか。膝を見つめる私に捉えることは出来なかったけれど「おめー…」同様な声量で吐かれた、鼓膜を揺らしたそれにゆっくりと顔をもちあげる。ばちりと交差した視線に見られていたのかと目を瞬いた。

「…なに?」
「なんでそう思ったんだ」
「そうって?」
「だーから、なんで犯人のメッセージじゃねぇかって思ったんだって言ってんだよ」
「んーそれは私が犯人と似てるから、かな」

まだ深く追求してきそうなコナンくんの訝しげな瞳から逃れる為に背けた先。いつだって涼しげな表情の裏でひっそりと哀しみに嘆く彼女の読み取れない視線とかち合う。おかしいな。口角はしっかりと持ち上がっていたはずなのに、外れない双方の見極めるような視線に耐えきれなくて膝を向く。なにもおかしなことを言っているつもりは無かった。確かにすこし言葉足らずだったのかもしれないが、それを深く掘り下げられればきっと嫌われてしまう。いや、嫌われてしまったほうがいいのだ。そう片隅では分かっているのに避ける私の意志はやっぱりまだまだ弱いらしい。意識を白鳥警部が所持していた大木さん殺人現場の写真に向けたコナンくんにそっと安堵の吐息を漏らす。大木さんを殺害した犯人だけじゃない。計算的に犯行を犯す犯罪者と、意図して此処にいる汚い私は似通っている。犯罪を隠しすために痕跡を消すのも、心根を悟られないように外見をも偽って尻尾すら掴ませないために嘘を吐くのも同類。隠して存在を消して悟られないように気を配るのは当たり前で、だからこそおかしいと気づいたのだ。あんなあからさまなダイイングメッセージ衝動的に殺してしまわぬ限り残しておくわけがない。すこしでも痕跡を残してしまえば最後、洞察力に優れた彼等にいつかはきっと呆気なく暴かれてしまうのだから。