昔から、みょうじなまえはこういう奴だったなと躊躇もなく身を投げ出したその姿に、ひやりと一筋汗が滑り落ちるのと同時、そんな突飛もないことが脳裏を過ぎった。 思えば最初は好奇心。はじめて背負うランドセルに浮かれて高揚する周りには一切の関与もくれず、漫然と頬杖をついて窓の外を眺めるその姿に酷く興味を惹かれたのを覚えている。変わってんなと小骨が喉につかえた程度だったそれも、日を追うごとに増していく、ちくりちくりと喉を刺す違和感に根を上げたのはいつだったのか。たぶん、はじめて目にしたあの時からみょうじの纏うあの独特な空気に魅了されていたのだと、当時を振り返っては思う。無口で無愛想な奴かと思えば、受け答えは歳相応のそれ。誰にでも平等に接して、誰とでも一定の距離を保つ。クラス内で浮きもせず、かといって小学生特有のいざこざには全くの無関心で馴染もうとはしない。此れといって特に傑出した才も無く、正しく平々凡々、普通という単語が相応しいそんな奴。みょうじってどんなやつだと問いかければ、クラスメイト10人が10人とも「普通にいい奴だよな」と声を揃えていうくらいには。 そんなみょうじに抱いた些細な違和感がひとつひとつと積み重なって、まるで解けない暗号を少しづつ提示されているような感覚に、「何見てるの?工藤くん」と毛利に声をかけられるまで、いつの間にか自分でも気付かないほど夢中になって解読していた。みょうじが男だと知ったのもこの時だ。たとえば、はじめて行ったテストの最中で零した余裕そうな欠伸とは裏腹に、返ってきた答案はごくごく平均点だったり、体育の授業で怪我をした生徒への適切な応急処置だったりとそんな僅かな一挙一動にすら目を奪われる。そして、時折垣間見せる空虚を見つめた視線とまるで干渉を避けるために分厚い壁をつくり全てを遮断する、小学生では醸し出せないその空気。なんといっても、この歳にして活字だらけの推理小説を読むやつなんか俺かみょうじくれーのもんだ。その異質なクラスメイトとたまたま席が隣になったのを皮切りに執拗に話しかけ雛鳥のように付いてくる俺に対して、適度な愛想笑いから煩わしいとばかりに表情を変貌させたのすら俺にとったら新鮮で。この時から徐々に芽を出していた探偵としての気質に水を与え育てたのは他でもない、みょうじ自身だなんて誰も知りやしない。 最初はほんの好奇心、ただただ己の欲を満たそうとその謎に満ちた人物に近づき情報を探っていただけだったのに、いつしか隣にいるのが当たり前な存在になっていた。幼稚園から知り合いの毛利よりも傍にいて、クラスメイトにも「工藤とみょうじはセットだよな」なんて軽口を叩かれるのすら擽ったい反面、心地よい。俺がみょうじに安定した安心感を感じているのと同じく、みょうじも俺と同等な気持ちを抱いてくれているもんだと、浅はかにも確信してたんだ。だから、あの事件後から徐々に遠ざかるみょうじに裏切られたと勝手にも憤りを覚え、嫌悪感を抱き、俺からも避けだす様になってから一切の関わりが途絶えた。 学年が上がり、中学生になり、コナンになってからもずっと頭の片隅にはみょうじのことがチラついていて、一向に忘れさせてはくれない。それでも、開き過ぎた時間と無駄なプライドが邪魔をして顔を合わせることにすら戸惑っていた。良くも悪くも人との距離を図るのが上手いみょうじが時折とる大胆な行動が風に乗って耳に届く度、身を削られるような痛みに苛まれる。子供を助けるために荒れ狂う川に飛び込んだと聞いた時は心臓が止まるかと思った。死んじまったら、あの頃の無神経だった自分の暴挙を謝れねぇじゃねーかバーロー。届かない苦言を何度、唾液と共に嚥下したことか。 そうしてコナンとなった今、ピザを片手に毛利探偵事務所の呼び鈴を鳴らしたみょうじを今度こそ離すかよと、その消えそうな細い背中に手を伸ばしていたのにーー目を離すことすらさせてくれねぇのかおめーは。 「心配、かけんじゃねーよ...バーロー」 「...そーおもうんならもうちょっと労わってくれませんかね」 「おめーが危ないことすっからだろ」 命の危険にあったなんて微塵も感じさせないほど、へらりと締りのない笑顔を浮かべて菊川を労る彼にふつふつと感情が昂る。おめーは昔っから自分の命をなんだと思ってんだ!とか落ちそうになるおめーを見て、俺がどんな気持ちになったかも知らねーで!とか言いたいことは山ほどあった。ゆっくりと近づく俺にびくりと身体を竦めた彼のその柔らかな頬に手を触れ、暖かい体温を直に確かめれば、湧き上がった怒り、哀しみ、何も出来なかった自分への歯痒さ、全てがしゃぼん玉のようにパチンと弾けて残ったのはじりじりと胸を焦がすほどの安堵のみ。自分でも驚くほどか細い声と、未だ震える指先に自嘲の笑みを零す。まだ、あん時の事謝れてねーんだ。待ってて貰わねーと困るだろ。蘭に抱く恋情とも違う、歩美ちゃん達に贈る友情とも違う。この燻る想いには今はまだ目を伏せて、ただ隣にいてくれればいいと渇望する俺も、あの頃から止まったままだ。 「心配してくれてありがとな、コナン」 お返しとばかりに加減なく摘まれ、ひりひりと焼け付く頬を抑えていた俺の頭に乗った優しい掌。慌てて顔を上げても見えたのは男にしては細すぎるその背中で。自然と口角が持ち上がる。それが例え仮の名前だったとしても、眼鏡だ名探偵だと呼ぶことをあからさまに避けていた奴に、はじめて呼ばれて嬉しくないわけがない。ひらひらと蝶のように自由で、ふわふわと雲のように掴み所がない奴。どんなに俺の傍が危険だと戒められようとも、こいつだけは離すわけにはいかねーんだ。独占欲でもない、依存でもない。俺にとったらそれこそ空気のように当然とそこに存在しているもの。みょうじにだったら工藤新一は江戸川コナンだと教えても構わないのだが、どうせこいつのことだ。冗談だろ、と馬鹿にした笑みを浮かべて一蹴するに違いない。だったら、その綺麗な瞳に俺自身を移させるしかねーんだ。「よ、久しぶりだなー工藤」なんて俺の心配なんか少しもせずにからりと笑うみょうじが脳裏に浮かぶ。「おめーなぁ俺がどんなに大変だったか...心配ぐれぇしろよ」不貞腐れる俺にこいつはきっと「でも、お前ならなんとかなるだろ?」なんて無垢な信頼で返してくれんだ。それがどんなに俺を安心させるかも知らねーで。 そんな日常を取り戻すには、まずこのゲームをなんとかクリアしてからだなと逸れていた意識を集中させる。レストレード警部がいるということはあの世界最高の名探偵、シャーロック・ホームズがいるはずだ。父さんがアイディアを提供したストーリーならまず間違いない。とうに日の沈んだ空に急いだほうがいいと、俺達はベイカーストリートへ足を進めた。 |