「なんや、もうええ時間やっちゅーのに今起きたんか?」

ここ最近の忙しさには、目が眩むのすら身軽に飛び越えて吐きそうなほどだった。人手が足りない、お前しかいないんだと人情に訴えてわんわんと泣き付く上司に自称お人好しの俺に選択肢など無く、散々こき使われて2週間。仕事と学業、両方から漸く解放されたその日の夕方、たとえ地震や火事に見舞われようと起きる気力もないほど憔悴しきっていた俺は、倒れるようにベッドに飛び込んだ訳だけど。...なんで起きて早々こいつの声を聞かなきゃならないんですかね。モーニングコールされるなら女の子がいいんだけど、なんて降下する機嫌を隠すことなくため息ひとつ。「おいこら、お前いらんこと考えたやろ!」無機質な機械の先でギャンギャンと子犬の様に吠える西の名探偵のせいで、活動を始めたばかりの寝起きの頭がずきずきと鈍痛を訴える。工藤が、工藤が、と俺は一言も声を発していないはずなのに一方的に会話が弾んでいるのは関西人の性なのか、服部平次だからか。工藤に関して相変わらずだなこいつ、なんて世間話を笑って聞いてやれるほど穏やかな心情でも無いわけで。低血圧なめんなよ。自慢話に切り替えた服部には悪いけど、もうひと眠りしたい俺にとっては右から左。終着のみえない流れを断ち切る為に仕方なく重い口を開いた。

「んで、工藤は分かったから要件」
「なんや冷たいやっちゃなー!」
「要件ないなら切るよ、じゃあな」
「あ、ちょ、おい!」

誰が待つか。機械越しの、焦りの滲んだ悲鳴にも眉一つ動かすことなく通話終了ボタンに指をあてがう。正直、貴重な休暇を服部に割いてやるほどの義理もなければ、ましてや、こうして連絡が来ることも稀なのだ。厄介事を持ち込むこいつからわざわざ連絡が来たってことは、十中八九、朗報ではないだろう。嫌な予感しかしない。面倒事に巻き込まれる前に、と躊躇なく指先に力を込めた時「...聞かへんと後悔すんで?」トーンを落としたそれは、服部平次から叩きつけられた静かな挑戦状だった。いや、それより質が悪い。勝敗が五分五分の、フェアな勝負でもなければ逃げ道すら塞がれた、まさに負け戦。受けても受けなくても損をするのは俺で、聞いたところで吉報かどうかなんて本人にしか分からない。なにより癪に障るのは、俺が通話を切れないと確信している自信満々なその口調。勝ち誇った、ニヒルな笑みを携えている服部を想像して舌を打つ。話術に長けたこいつらと比べたらそこらのセールスマンのがよっぽどましだ。

「まあ当の本人は否定しとるみたいやけど、俺は知っとるで?みょうじが押しに弱い上に困ってる人見っけたらほっとかれへんごっつ優しいええ奴やってな!」
「ああもうほんとお前うっさいな、さっさと要件言えよ真っ黒くろすけさん」
「お前の照れ隠しはえろう棘あんな」

緩慢な動作でもう一度、仕方なく耳に押し当てたソレから聞こえたのは呆れるほどに弾んだ服部の声。大方、自分の推測が当たったのが嬉しいのだろう、全く掠りもしない俺についての自己分析をペラペラと披露されたところで喜べる訳がない。むしろ、拒否権すら無かった身からすれば照れるどころか馬鹿にしてんのかなんて青筋立てたいところだが、こいつの場合本気で褒めているつもりなんだろう。子供のように感情を素直に吐露するこいつの前では、もやもやとした蟠りの残る気持ち悪さも消沈だ。漸く、要件を述べた服部にやっぱり聞かなきゃ良かったと額を抑えたのはその数十分後のことである。



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「帰る帰りたい帰らせろ」
「なんやその三拍子。ここまで来たんや、帰らせるわけあるかァ阿呆」
「知るか、泳いででも帰る」
「あーいえばこう言いよって...ガキちゃうねんからええ加減腹くくらんかい!」
「腹くくるもなにもお前が無理矢理引っ張ってきたんじゃねーかふざけんな」
「ま、まぁまぁなまえ兄ちゃん、もう島に着くみたいだし、ね?」

鼻腔を掠める塩気を含んだ海のにおいと、肌を撫でるのはまだまだほんのりと冷たい潮風。ごうごうと畝る潮風に逆らう髪の毛のせいで視界は不良、ついでに俺の機嫌も急下降。どろどろと不穏な雲行きに小さな名探偵もたじたじだ。なんでこんなことに。耳元で騒ぐ元凶の関西人に非難をぶつけてみてもあっさり交わされるのも数回目。泳いで帰る、を本気で実行しようとした俺を多勢で止めにかかったこいつらのせいで上半身はびちょびちょで気持ちが悪い上に、隙あらばなんて安直な思考もがっしりと腰にまわされた腕により実現不可能。まったくもってめんどくさい。そもそも工藤に会いたいわけでもましてや高校生探偵でもない俺が同席してるの自体おかしいわけで。「着いたら変えの服貸したるさかい、はよその仏頂面もどしぃや」探偵甲子園、東西南北の名の知れた高校生探偵を集い競う番組企画らしいが頭脳平凡の俺なんかがいたところで役にも立たないどころか足で纏い。多難な予感に舌を打った俺の腰をぎゅうと引き寄せる服部のにやついた顔面に裏拳をお見舞いする。誰のせいだと思ってんだだれの。潰れた悲鳴を上げてひっくり返った服部の憐れな姿に大荒れの機嫌が高潮程度には収まった。

「で、そろそろ俺が連れてこられた理由、話してくれるよな?」
「そんなもん、お前おったらおもろいからに決まっとるやんけ」
「おまえほんとに嫌いだ」

どいつもこいつも利己で俺を振り回しやがって。再度、拳を振り上げた俺にまぁまぁと静止をかける眼鏡も同罪。小船に搭乗する前に「なまえ兄ちゃんも一緒だったら僕嬉しいなぁ〜」なんて胡散臭い笑顔で日売テレビのディレクター、槌尾さんに媚び売っていたのを知っている。あからさまに怒りを顕にした俺に冗談やって、と両手をあげて白旗を振った服部が陽気な口調で訂正をいれた。

「そりゃ工藤もおらんとなると俺の相手になるやつなんてそうそうおらへんからな。そんなんつまらんやろ。せやから、この工藤によう似た坊主とお前おったらやる気もでるちゅーわけやがな!」
「じゃあ参加しなけりゃよかったじゃん」
「あほぬかせ!関西の代表としてこの俺が呼ばれとんのに行かんかったら面目ないやろ」
「だからそれに俺を巻き込むなっつーの。そもそも俺なんかお荷物にしかならねーだろ」
「いーや、お前はぼーっとしとるようで意外と周り見とるからな...頭も切れるしええ勝負すると思うで」
「僕もなまえ兄ちゃんはいい線いくと思うよ」

なにをそんなに期待してんのか。結局、換えの下着の準備すら許してもらえず服部の私利私欲に引き摺り込まれた俺とコナンは被害者であり、興味もない探偵勝負の土俵に有無を言わさず立たされた俺の憤りの矛先は変わらない。それに、どれだけ服部が過信しようとも五本の指で数え切れる程度しか事件を解いたことがない俺を他の高校生探偵が土俵に立つことを許してはくれない、はず。「だからお前俺も呼んだのかよ...」こそこそと東西のわかりやすい内緒話には聴こえないフリをして、前の座席に腰かける二人の高校生探偵に意識を向ける。先程、二日酔いだと顔色が蒼白く嗚咽をこぼした槌尾さんに「てっぺん、越しちゃったんだねぇ」「ねぇおじさんこれ邪魔、笑ってくれない?狭いよ」と確証する為に二人がわざとカマを掛けたのには槌尾さん以外気づいていた。疑っていたわけではないが、二人とも有能な探偵であるとそのたった一言で示されたわけで、ただの一般庶民の俺に期待を向けるのはお門違いもいいところ。きっといい勝負になると思う。だから俺だけ帰らせて。そうジト目で睨んでみても眼鏡のガキと内密な関係を築くのに忙しい男は捉えてくれないくせに腰はがっちり掴んだままなのだからああほんとに面倒だ。俺にとってはこの男を振りほどくのが第一の課題だななんて結局逃げることもできず到着した島にそろそろ本気で泣きそうになった。