クソ生意気なガキを傍に付けた毛利が一番厄介なのかもしれないと、毛利探偵事務所の三階にあるリビングに押し込められた俺は台所から聴こえる鼻歌を背に数度目の溜息をこぼした。俺にとったらまるで不穏が背後から忍び寄ってくるような、不快な音にしか聴こえない。とんだ災難だ。早々にお暇させて頂きたいと慨嘆に叫ぶ心とは裏腹にさすがは健全な男子高校生、はやく満たしてくれと煩い生理欲求には勝てるわけがない。ここんところ財布がすっからかんで寂しいことも理由の一つだ。貧乏学生なめんなよこんちくしょう。結局、背に腹は代えられないと諦めに身を投じた俺は料理が並ぶのを大人しく待っているわけだが。ぐさぐさと遠慮の欠片も無く突き刺さる視線にそろそろ穴が飽きそうだ。先程までねぇねぇと執拗に掛けてきた声を尽く無視し続けていたのだが、攻め方を変更したガキからの容赦ない攻撃に精神が矢を射抜く速度で磨り減っていく。効果は抜群だ。あーもうめんどくせーとひとつ舌打ちした俺は決して交わらない様にしていた視線を渋々合わせた。

「んだよ」
「新一兄ちゃんって知ってる?」
「一方的には」
「えーでも新一兄ちゃんからはなまえ兄ちゃんのこと聞くんだけどなー」

へーそうかそりゃ良かったな。ぷつりと会話を切った俺は邪魔だと言わんばかりに手で払う。尚も食いついてくるガキに「新一兄ちゃん、俺のこと忘れてるんじゃないかって心配してたよ」と逆に手を掴まれてしまった。ええすっかり忘れてましたとも。むしろ小学校でちょっとクラスが一緒だった奴を一々覚えているこいつらの記憶力に感服している。そのまま永遠に忘れてくれりゃ良かったのにと胸中でごちた俺は、とりあえずこの中身高校生をどうやって引き剥がすかに頭を悩ませた。

「コナンくんと遊んでくれてるの?ありがとう」
「ちげーよばか。引っ付かれて困ってんの」
「でもコナンくん凄く楽しそうだけど」

美味しそうな匂いを引き連れて現れた毛利の言葉に言われて見下ろした名探偵は嬉しそうにえへへーと笑った。演技が様になっているようでなによりだが、中身を知っている俺からすれば胃が逆流しそうなほど不愉快でしかない。構われるんなら女の子に限る。蛙の鳴く様な声には難聴をうったえてガキの襟首を加減なく掴みあげた俺は、ポイッと床に放ると並んだ料理に早々と手を合わせた。

「ねぇ、なまえには新一から連絡きてる?」
「連絡もなにも...連絡先知らねーし」

また新一か。口を開けば新一新一と双方から念仏の様に聞かされていい加減耳にタコが生えそうだ。辟易したまま流れる様に、ここにいるじゃねーかと喉まで出掛かった言葉を慌てて料理と共に飲み込んだ。工藤が小学生になって事件を解決していることは毛利に伝えてはいけない規律だったはず。彼等が今後どういった事件に遭遇してどういう人生を歩んでいくのか俺には全くもって関係のないことではあるが、それがこの世界の秩序ならイレギュラーでしかない俺が勝手に崩すわけにはいかない。なんで俺が気を使わねばならんのだ。面倒この上ない。口篭った俺をどう解釈をしたのかうそ!と奇声を発した毛利は「昔っから新一ってなまえに構いっきりだったのに...なんで?」と怪訝な顔をして小首を傾げた。知るか俺にはその構われた記憶がない。

「そうだったけな」
「そうよ!だって新一ってば最初なまえのこと女の子だと思って接してたんだから」
「童顔で悪かったな」

あの親友ありにしてこいつもか。容赦なく人の傷口を抉ってくるところはどこぞの茶髪にそっくりだ。毛利の言葉に箸を持つ手が震えるも非力な俺には歪をいれることさえ叶わない。にっこりと青筋を浮かべて笑う俺に「あ、違うわよ!女の子だと思ってたのは新一だけで私は可愛い子だなって見てただけだから!」慌てて訂正を入れた毛利に残り僅かだったライフポイントが悲鳴をあげた。もうほっといてくれ。項垂れた俺には目もくれず、過去の知らない話を楽しそうに延々と掘り返す毛利に耐え切れなくなった俺は、料理の味も分からないほど脱兎の勢いで掻き込んだ。飲み込むように平らげた俺は驚きで見開く毛利達を尻目に席を立つ。ずたぼろの精神をこれ以上切り刻まれたら明日の朝には屍だ。事件に関与しておさらばするより先にこいつらに殺されるだなんてそんな冗談笑えない。ありがとな、ご馳走様。そう言って毛利家を逃げるように後にした俺は、翌日から頻繁に晩御飯を誘いに来る様になった毛利に安息が奪われるだなんて思いもしなかったのだ。お得意の空手を見せつけられ泣く泣く訪れた俺を気に入った毛利探偵と、ビール片手に意気投合し度々事件に同行させられる様になろうとは誰も思うまい。ちゃっかり携帯に登録された毛利と園子の名前に大事な携帯をへし折りたくなった。

「おめーな、少しは俺の心配しろよ」
「なんで覚えてもないお前のことを心配する必要があんだよ」
「...ほんとに覚えてなかったのかよ」
「だってガキの頃だろー」

毛利家から逃げるように帰宅を果たした俺は、濡れた髪をそのままに知らない番号から掛かって来ていた電話に出たのだが。日本代表も腰を抜かすほど驚異のスピードで通話終了ボタンを連打した。尚も煩い無機物を、テレビの音量を上げ右に左へ受け流していたのだが深夜を回っても鳴り止む事の無い携帯電話にだーもうしつけーなこんちくしょうと嫌々拾って耳に当てる。もしもしと口を開くよりも先に相手からの罵声罵倒に耳鳴りで頭がくらくらした。とりあえず相手の気が晴れるまで携帯を遠ざけた俺は落ち着いた頃を見計らってもう一度耳にやる。んだよ、工藤。そういった経緯で今に至るわけだが。

「で、何の用」
「用は別にねーけど...ただ、この間おめー見たからさ。元気してっかなーて」
「おーげんきげんき。んじゃあな」
「バッ...!ちょっとくれー昔馴染みと久しぶりの会話を楽しもうとかねーのかおめーはよ!」
「ないね。むしろ金輪際関わらないで頂きたいくらい」

情の欠片もない奴と貴重な時間を潰してまで話したいと思う程俺はお優しい人間でもない。むしろ俺の平穏な人生設計に支障をきたすから出来る限り関わり合いたくないんだけど。そうは思うも「俺は...おめーのことずっと気にしてたのによ」と悲痛な声で言われてしまえばどうにもお人好しな良心がじくじくと痛むわけで。あー嘘だよ、ちょっとくらいはうん。心配してたかも。そう苦渋に告げた俺はのちのちその選択を悔やむわけだが、ほっとしたように笑う彼にその時は心底安堵したのだ。名探偵と会うたびにねちねちお小言言われたんじゃ心臓がもたない。もう顔を合わせることが無いのが一番なんだけど。

「ていうか、この番号誰に聞いた?」
「蘭からだけど」

個人情報まで筒抜けか。俺の人権はどこ行った。脳裏に「もう、新一!ちゃんとなまえに連絡しなさいよ!」とお姑よろしく大変迷惑なお節介を焼いてくれた毛利が浮かぶ。女の子は何事も謙虚でいた方が好ましいことを教えてあげたい。それでも俺ことを思慮しての行為だと思えば強くは言えないのだが。つくづく女の子には弱いなと自嘲の吐息を吐いた。コナンのも教えといてやるよと無理矢理教えられた番号は登録は疎か記憶に留めてすらしない。