「皆様、ステージにご注目ください」

耳まで真っ赤に染めてぎゃーぎゃー吼える眼鏡のガキを尻目に、ひらひらと手を振ってトイレへと脚を向けた俺が用を済ませ会場に戻って来た時には、ステージの中央に工藤優作が会場の歓声を一斉に浴びて立っていた。なんでも今回仮想体験ゲーム機コクーンにある5つのステージの内ひとつを優作さんのアイディアを借りて開発したらしい。てーことは有希子さんもいるのかな。この世界に産まれて唯一感謝したことはあの豊満な胸に抱き寄せられた時くらいだ。才色兼備、秀外恵中という言葉が良く似合う彼女はとにかく心臓に悪い。さすが元大女優。演技だと分かっていてもあの綺麗な瞳を潤ませて見詰められたらどんなに横暴で迷惑極まりない要望でも頷かずにはいられない。彼女に何度振り回されたことか。物腰穏やかに有無を言わさぬオーラで執念に訴えてくる優作さんひとりでも厄介なのに。出来ることならあの整った容姿にして性質の悪い工藤夫妻にはお会いせずにやり過ごしたいところである。
元はといえば工藤に「闇の男爵読んでみたいんだけど」と零した言葉が発端なのには目をつぶりたい。嬉々として自宅に上がることを許可してくれた工藤の書斎で時間も気にせず読み深っていたところを優作さんに見つかり、責苦を味わうだなんて誰が予測できようか。俺はなにも悪くない。「息子の秘密を知りたくはないかね?」と穏やかに微笑む優作さんに「いえ、まったく、これっぽっちも興味ありません」と脱兎の如く逃げ出した俺を捕まえ小一時間程、有希子さんを交えて優雅なティータイムを過ごしたことは今思い出しても恐怖だ。ぶるりと悪感で震えた腕を擦り、躯を慰めていた俺の耳には照明が落とされ、コクーンの説明を淡々と述べる司会者の話も右に左に流れていった。

「なまえくんじゃないか」
「...優作さんお久しぶりですね」

仮想体験ゲーム機の披露も終え、選ばれた50人の子供達がコクーンに搭乗するまでの時間を各自思い思いに会場内で過ごしていた時だ。ぼんやりと壁際で絶え間なく漏れる欠伸を噛み殺していた俺の目に、できることなら顔を合わせたくないと願っていた相手が颯爽と歩み寄ってくる姿を捕らえて慌てて踵を返すも時既に遅し。肩を捕まれ名前を呼ばれてしまえば振り向かない理由にもいかず、こわれたブリキの玩具よろしく嫌々と優美に微笑むその姿を目に移す。取り繕えずにひくりと痙攣する歪な笑顔も指摘せずに「会いたかったよ」と優しい笑みを浮かべる優作さんには悪いが、俺はちっともお会いしたくなかったです。

「元気そうでなによりだ」
「優作さんもお元気そうで。ところで有希子さんは?」
「彼女のは久々の日本だからと、同窓会に参加しているよ」
「そうなんですか。有希子さんにもお会いしたかった」
「なまえくんにそう思って貰えていることを知ったら有希子のことだ、飛んででもくるだろう」

なんて笑えない冗談。自由奔放で破天荒な有希子さんのことだ。本気で俺が会いたいと嘆けばロスにいようが地球の裏側にいようが愛車を駆使してすっ飛んでくるだろうことが簡単に想像できて血の気が引いた。蒼白に狼狽える俺の様子にくつくつと喉で笑う優作さんは本当に食えない。からかわれたと分かって項垂れた俺の肩を優しく撫でた優作さんに「でも、君に何かが起こったら私達が飛んででも来るということは頭に入れといてほしい」と優しい眼差しで見つめられ思わず言葉に詰まった。この夫婦は本当にタチが悪い。俺が関わらないようにと距離を置いているのも全て理解した上で、付かず離れずの位置を保ち、辛くなったらいつでも逃げてこいと腕を広げて待っていてくれる。これだからこの夫婦は苦手なんだ。愛おしげに見据えられたらどう足掻いても拒絶できない。これも計算の内だったら詐欺で訴えてやるちくしょう。それでもほっこりと温まる自分の心は正直で、眉を寄せてくしゃりと笑う俺の頭を柔らかい掌が触れた。

「ところで、なまえくん。コクーンに興味はないかい?」
「全然興味ありませんが」
「そうか、残念だよ。私が手掛けたステージがあるのだが...」
「らしいですね」
「百年前のロンドンを舞台にしたステージでね。きっとなまえくんなら興味を持ってくれると思ったのだが、どうやら違ったようだ」

それではこれは捨てて帰るとしよう。そう言って指先で弄ぶキラリと光ったゲーム参加者のバッチ。え、なにそれ聞いてないんだけど。こう見えてもミステリー小説は好きだ。工藤宅でこっそり拝借させてもらうほど。闇の男爵の作者が優作さんだったことには心底頭を抱えたが、どっぷり沼に浸かって抜け出せなくなるくらいあの作品には魅了された。優作さんがアイディアを出したと聞いてまさかなとは思っていたが、本人からこうもあっさり吐露されてしまえば疑う余地もなくミステリー好きにとっては痛切に体験してみたいところであるが。当然、貧乏な俺がコクーンに搭乗できる機会なんてものはなく証明に照らされ、優作さんの手中で煌々と輝きを放つバッチだけがの唯一の望だなんて厄介でしかない。悪戯に笑う優作さんに胸中で舌を打つも、選択肢はひとつしかなく欲望に負けた俺は泣く泣くバッチを受け取った。「ぜひ感想を聞かせてくれ」と俺が受け取るだろうことを確信していた優作さんには脱帽する。背を向け立ち去って行った優作さんにひらひらと手を振りながら、いつだってあの人には適わないなと内心でごちた。