※微妙にホラーテイスト
※夢主に対し泉鏡花が冷たい
目を覚ます。
私はどこにいるのだろうかと思案する。
思案して、ここが帝国図書館であったことを思い出す。
思い出して私は再び目を閉じようとした。
けれども閉じても眠りによる暗闇は訪れず、ただ瞼によって視界をふさがれただけの半端な闇が私の周囲を漂っていた。
ため息をついて、体を起こす。ぎしりと軋むベッドの音が、やけに響いて聞こえた。
こんな夜は寝つけない。
机に向かって何か新しい作品でも、とも考えてみたが、しばらく支給されたパソコンのキーボードの上に手を置いて思案してみても、書いては消してを繰り返すばかりで碌々進まないので、あきらめて部屋の外に出ることにした。
虫の鳴き声も聞こえない静かな夜。不思議なことに他の部屋も大変静かで、私は、世界に一人ぎり取り残されたか、そうではなければ神隠しにでもあったのだろうかと嫌な想像がよぎって不安な心持ちになった。
死とは、長き眠りであるという。
逆に言えば、眠りとは短き死ではないのか。
皆が寝静まった廊下は、さしずめ死体安置所の廊下か。
私は個室を宛がわれ銘々寝入っている死体の間を歩いていく。どの部屋に誰がいるのか分かっているから、その部屋の住人の死に顔を想像してみる。
やがてそれでは飽き足らず、どのように皆々が死を迎えたのかを想像してみる。
想像が残虐性を増していき、佳境に差し掛かった辺りで物音が聞こえた。
私はぎくりと体を強張らせる。
仄暗い廊下の奥から現れたのは、泉鏡花先生だった。
「ああ、なんだ、泉先生でしたか。こんばんは」
「こんばんは。こんな夜更けに、如何なさいましたか?」
美しい貌に柔和な笑みを浮かべ、優雅に泉先生は小首を傾げる。宛ら手弱女のよう。様になるその仕草は、しかし実のところ先生は男なのであるという事実を考えると、女として生まれてきた自分の存在が何だかとても恥ずかしいもののように思えてきてしまう。
羞恥にじわじわと頬に集まる熱を払うようにゆるゆると首を横に振り、私はそんな己の考えを振り払うように先生の質問に答える。
「ええ、なんだか寝付けなかったもので」
「そうでしたか。なんだか蒸し暑いですからね、今夜は」
「そうですか?」
「ええ」
「私にはなんだかとっても肌寒く感じられます」
「おや、それはおかしいですね。私なんて、ほら、じっとりと汗まで、ね。気持ちが悪くて湯浴みをしようと思っていたくらいなんですよ」
そういって泉先生がご自身のうなじを指さす。失礼を承知で覗き込めば、なるほど、白い項はじっとりと汗ばんでいて、髪が糸のようにぺとりと幾本か張り付いていた。
「本当におかしなことですね」
私の肌はどういうわけかひどく粟立っていて、ぷつぷつしている。潔癖症の泉先生には見るに堪えぬものだろう、と着物の上から腕をさする形で寒さを示してみれば、泉先生の目がほんの少しばかり、眇められたように思えた。
どうしてか、私は無意識に後ずさる。
半端に開かれた空間を埋めるように、泉先生が一歩、前に出た。
「あの、」
「本当に、本当におかしな話ですね」
「泉せんせ、」
「ところで、」
泉先生が私の手首を掴む。掴んで、引かれる。見た目の細さに反して、先生は刃を獲物としているだけあってか、力強く、抗うこともできずに私は前につんのめった。つんのめった拍子に、白茶色の髪がさらりとこぼれて視界にかかる。
泉先生と同じ、白茶の髪。
泉先生と、同じ。
「貴方は、どなた様でしょう?」
顔を覗き込んで尋ねる泉先生の顔は、無表情だった。
* * *
ふつりと糸が途切れた人形のように崩れ落ちた体を、反射的に抱き留める。直ぐに床に転がしてやりたい嫌悪感が競り上がってくるのをぐっと堪え、自分によく似た顔をした娘の体を抱き上げた。
娘本人の言ではないにせよ、確かに、その体は酷く冷え切っていた。かちかちと、意識はなくとも寒さは感じているのか、歯の音の噛みあわぬ音が小さく聞こえてくる。
全く運が悪い、と泉鏡花は嘆息した。
性質の悪そうな何がしに取り憑かれていたらしい娘。
放って置いてもよかったのだが、後に厄介ごとに発展しても困るし、何よりそれが師である尾崎紅葉にまで影響を及ぼすことであってはならぬ、と先手を打って出てはおいたものの、果たして。
この娘はいつも、人ではない何かしらに魅入られているらしかった。今回のこれが、決して初めてではない。本人に自覚があるかないかはさておいて、続くようならば、いっそ……。
そこまで考えて、鏡花は首を横に振る。
どうにも自分はこの娘のこととなると、思考が短絡的になる。徳田秋声と相対している時とは、また違ったざわつきを覚えるのだ。その正体がなんであるか、鏡花には分からない。
鏡花を転生させた司書の、上司にあたるこの図書館の館長や、連れの猫、娘自身には何かしら心当たりがあるようだが、今日に至っても彼らの口から何かしらの説明があったことはない。
触れてはならぬことなのだろう、と鏡花も深くは尋ねずにいる。
娘を抱えたまま、静かに廊下を歩く。
部屋からこぼれる灯りがゆらゆらと不安定に揺らめく廊下は幻想的でもあり、おどろおどろしくもある。
「……おにいさん……、」
「……」
不意に娘の口から小さく零れ落ちた言葉に、鏡花は足を止めた。
娘の意識は深いところへ落ちていて、起きる気配はない。
じぃっと、よく似た顔をした娘の顔を眺める。
心が酷く、ざわついた。
これでは暫く眠れそうにないだろう。
18.12.19
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