※微妙にホラーテイスト
※夢主に対し泉鏡花が冷たい
我が図書館の泉鏡花は、潔癖症かつ尾崎紅葉信者であり、どうにも徳田秋声との折り合いが悪いという点を抜きにすれば、人当たりは決して悪くはなく、むしろ付き合いやすい部類に入る(と思われる)。のだが、彼がただ一人蛇蝎の如く嫌っている人物がいる。
「あ、司書さん。こんにちは」
「こんにちは、名前ちゃん」
ぽやぽやと微笑んでみせる名前ちゃんに、片手をあげて応じる。
名前ちゃん。
少々複雑な事情を抱えているらしい彼女は、館長保護のもと、図書館で生活している。と言っても館長自身が忙しい身であるため、四六時中面倒を見ていることはできず、ぶっちゃけてしまうと殆ど野放しになっているような状態であった。
だからといって名前ちゃんが問題児なのかと言えばそういうことは全くない。普段からとてもおとなしく、誰かの邪魔をするようなこともない。少々優柔不断であり、実行力に欠けるところがあるようだが、それは大きな欠点とは言えないだろう。
「何をしていたの?」
「金魚を見ていました」
「金魚?」
見えていたのが名前ちゃんの背中だけだったため気が付かなかったが、前の方に回ってみれば、なるほど、小さな彼女の膝の上に抱えるようにして乗せられた金魚鉢があった。ゆらゆらと、出目金が尾ひれを揺らして優雅に泳いでいる。
「この間の縁日、館長さんが偶然お休みがもらえたそうで、一緒に行ってきたんです。その時に、金魚掬いの屋台の叔父さんがおまけをしてくれて」
嬉しそうに彼女は泳ぐ金魚を眺めている。
縁日のことならもちろん、俺も知っている。その日に休みをもらうため、館長がむりくり仕事を片付けているのも知っていた。
が、それは言わないでおく。男とはそういう生き物だ。
「私、不器用で。金魚すくいもまともにできないんです。隣で金魚すくいしていた男の子にへたくそだって笑われちゃいました」
視線は金魚鉢に落としたまま、名前ちゃんは目を細める。
「金魚、きれいです」
「ひらひら涼しそうに泳いでて羨ましいなあ、って思うよ」
「確かに涼しそうですね」
「俺も金魚になりたいなあ」
俺がそういった途端、楽しそうに微笑んでいた名前ちゃんは、笑顔を浮かべたまま固まった。
音が聞こえるとしたら多分ぴしり、だろうか。そんな具合で固まった名前ちゃんは、ややあってぎこちない笑顔のまま顔を上げ、俺を見る。
「なりたいんですか?」
「え、うん。だってほら、こんなに暑いしさ。水浴びとか、俺もしたいなあ、って。まあ本当になりたいわけじゃないけれど」
口早に、叱られて言い訳する子供みたいに俺は何故だか必死にそう言っていた。別にとがめられたわけでもないが、名前ちゃんのただならぬ様子が俺をそうさせていた。
名前ちゃんはあからさまに安心したような様子で息を吐いた。
「……びっくりしました」
俺の方がびっくりした、という言葉は寸でのところで飲み込んだ。代わりにちょっと様子がおかしかった件について何かしら尋ねようかと考えていたところ、とんとん、と軽く肩を叩かれた。
顔を上げて振り返ると、名前ちゃんを蛇蝎の如く嫌っている泉鏡花先生が、こぎれいな顔におっかない表情を張り付けて立っていた。おっかない、というよりも、なんというか、強張っていると言った方が正しいのかもしれないが。ともかく、普段の柔和な笑みとは程遠い表情を張り付けた泉先生がいた。
「あ、泉先生、どうかしましたか?」
「ああ、いえ、司書さんにちょっと尋ねたいことがありまして。お時間大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。名前ちゃん、それじゃあまた」
「はい」
泉先生に連れられる形で俺はその場を去った。一人ぽつんと残された名前ちゃんの背が、やけに小さく見えたように思った。
泉先生は名前ちゃんの姿が見えなくなったあたりで俺の方を振り向くと、先ほどのこわばった表情とは違う、あきれたような顔をしていた。
「彼女には近づかない方が良いですよ」
「泉先生、大体開口一番にそれを言いますよね」
「何度言っても、貴方が理解してくださらないからです」
「……なんだってそこまで彼女を嫌うんですか」
なんてため息交じりに尋ねるが、その質問に泉先生がまともに答えてくれたためしがない。
代わりに、
「今日はもう、あそこにはいかない方がいいですよ」
と、返された。
何故かと問えば、泉先生はあきれ顔から気まずそうな、何とも言えない顔になって、一言。
「人ではない何かが近くにいたようなので」
翌日朝早く、俺は金魚鉢を洗っている名前ちゃんを見かけた。
優美に泳いでいた金魚は見当たらなかった。
金魚はどうしたのか、俺には尋ねられなかった。
18.12.20
back