※ホラー
※近親相姦
※夢主に対し泉鏡花が冷たい
それが兄でないことは、言われる前から理解しておりました。
兄は死んだのです。死んだ人間は生き返りません。
兄は殺されたのです。お国のために、殺されたのです。時代錯誤にしか思えないその決断は、しかし、この国を支えている文学を守るためには致し方のないものなのだと、偉い人は口を揃えて言います。
人類の歴史は積み重ねられてきました。長い長い時間が、私たちの後ろに横たわっています。科学技術や医学が進歩し、動植物や虫は進化しました。けれども、積み重ねに反して人間は大して変わりません。屹度、人間だけはある地点から一歩も進めていないに違いありませんでした。
話がズレてしまいました。
私は兄がどうやって死んだのかを知っています。
なぜなら兄たっての希望で、兄を殺したのも、死ぬ瞬間を見届けたのも、死に顔を見たのも、私一人だけだったからです。兄は最後の瞬間から死に顔まで、全部私にだけ見せたいのだと言っていたのだそうです。だからお骨上げの時も、親類は皆外へ出払って、私一人が黙々と骨壺に骨をおさめていました。
何故そんなことをしたのか、今でも分かりません。自分でもわかりませんが、気が付けば、私は兄の骨を一つ、かすめ取っていました。罪悪感で胃がきりきり痛んで、心臓がばくばくと高鳴っていたことは覚えています。それでも骨を盗んだことは誰にも言いませんでした。
それからしばらくどうやって過ごしていたのか、殆ど覚えていません。ただ、確かに覚えていることが一つだけ。
私は夜な夜な兄の骨を砕いて、細かくして、粉薬のようにして飲んでいたのです。お酒が苦手なのに、わざわざ日本酒を用意して、日本酒で流し込みました。そうしてお酒がまわって、赤ら顔でうとうとしていると、いつの間にか兄が傍にいるのです。
私とうり二つな顔をした兄は、うとうとしている私の傍にいて、私が兄の存在に気が付くと、耳元で何事かを囁くのです。何を囁いていたのか、実ははっきりとは覚えていませんが、私は親に躾けられる子供のように、大人しくこっくりこっくりとうなずいて聞いているのです。しばらくすると兄は満足して、部屋から出て行ってしまいます。よく、幽霊はすぅっと目の前から消えると言いますが、兄の場合は生きている人間と同じように、障子を開けて廊下の向こうへ消えるものだから、まだ兄が生きているのではないかと錯覚しそうになるほどでした。
それが毎晩毎晩続きました。
骨一本というのは意外に大きなものでしたが、それでも毎晩すりつぶして飲み続ければ減るというもの。気が付けば、赤ん坊の掌にも収まりそうな小さな欠片だけが残りました。私はそれも同じように飲み下してしまおうと思ったのですが、何故だから名残惜しくなってしまって、それだけは大切にとって置こうと思ったのです。
その日の晩、骨も酒も飲んでいないにも関わらず兄が現れました。本当はそんなことをしなくても現れてくれたのかもしれませんが、実際のところどうであったのか、それは兄しかあずかり知らぬところです。
ただ、お酒の入っていない私の意識はとてもしっかりしていて、だから、その時の兄との会話はよく覚えているのです。
「これが最期だよ」
「逝ってしまうのですか、お兄さん」
「いいや、逝けない。僕の可愛い可愛い妹。愛しい愛しい妹。僕はどこにも逝けなくなってしまう。天にも地にも、逝けなくなる。輪廻の輪にも、入れなくなる。僕は僕ではなくなってしまう。折角僕は僕として生まれたのに、必要なのは僕ではなかった。それにも関わらずどうして僕であったのだろうかと思うと口惜しくて口惜しくて叶わない。ねえ、愛しい妹。この兄はどこにも逝けなくなるのだから、お前もね、何処にも逝かないでおくれ」
「お兄さん、私は人間です。人間は生きて、死ぬものです」
「ああ、ああ、そうであったね、そうだったね。そういうものだった。でもね、愛しい妹、何処にも逝かないで」
さめざめと兄は泣いておりました。泣いている兄を見るのは久方振りでした。泣いている兄を見ていると、私もだんだん悲しくなってきて、気が付けば私も泣いていました。
二人で何が悲しいのかも忘れてしまいそうなくらい泣きあった後、兄は泣きながら微笑んでこう言いました。
「可愛い妹、その最期の骨の欠片もね。余さず飲んではくれまいか」
私は兄に会えなくなりそうな気がして、名残惜しくなり、渋りもしましたが最後の最後には押し切られて飲み込みました。
私がしっかり骨を余さず飲み込んだのを見てから、兄はにっこりと笑いました。
「大丈夫、これでお前はどこにも逝かない」
と。
* * *
淡々とした語り口で、一切の感情の色も乗せぬまま、彼女はそう語り終えた。実話にしてはあまりにも作り話めいた話。山もなければ、落ちもない。
「怪談話、上手だね」
口をついて出たのは、ありきたりの感想。
「ありがとうございます」
彼女は反論も何もしなかった。ただ、ありきたりの感想に、ありきたりに微笑んで礼を言ってみせるだけだった。
これで骨を全て飲んでしまった“私”が兄に連れて逝かれでもしたら、インターネットの大型掲示板にでも載せられそうな話であったかもしれないが、残念、というには不謹慎ではあるがこの物語の“私”というのは、今目の前にいる彼女のことであり、彼女は今現在も五体満足で生きているため、悲劇的な落ちはつかない。
少しばかり後味の悪いだけの、話。
「喉が渇きましたね……お茶でも淹れてきます」
「ああ、うん、いつもごめんね。ありがとう」
「いいえ」
彼女がす、と立ち上がり、司書室から出ようとする。その背中を見つめながら、ふ、と俺は(今でもどうしてそんなことを尋ねたのかはわからないが)一つ気になったことがあり、頭に浮かんだ疑問をそのまま口に出して彼女の小さな背に投げかけていた。
「そういえば、お兄さんはそのあと現れたりしたのかい?」
先ほどの話に少し乗っただけの、からかいめいた疑問だった。多少不謹慎だったかもしれないが、俺は実話をもとにした作り話だろうと思っていたのだ。
彼女はぴたりと動きを止めた後、ゆっくりと俺の方へ顔を向け、柔らかく微笑んで見せた。
「いいえ。兄とはそれっきりです。もう会えません。兄はどこにもゆけなくなってしまったのです。……でも……」
「でも?」
彼女は自身の腹の辺りを撫でながら、微笑交じりにぽつりとつぶやいた。
「今でも兄は一緒にいるんですよ」
それから、何事もなかったように彼女は部屋を後にした。
一体どんな意味を込めて、どんな心持で彼女がそんなことを口にしたのかは分からない。
ただ、彼女が語って聞かせた怪談話よりも、彼女のその時呟いた言葉の方が、ずっとずっと鼓膜にこびりついて離れず、思い出すたびに背筋がぞっとする思いがするのだ。
「なあ、どういう意味だと思う。泉先生」
「……よりによって僕に尋ねますか」
「……先生があの子のことを毛嫌っているのは分かるんだけれど、こういうことに詳しそうなのは先生のような気がして」
「……はあ、まあ……言葉通りの意味なのではないでしょうか」
「言葉通り?」
「いつでも一緒という事でしょう」
「兄は死んでしまったのにか?」
「いいえ、」
「? どういう、」
「簡単なことです、」
――食べたのですから、血肉となって一緒にいるに決まっているじゃあありませんか。
ぞっとした。
18.12.23
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