語の読者が登場人物から自分が読者であることを理解してもらうことは難しい。
 まず、自身が読者であるということを示す確固たる証拠の提示が難しいことがあげられる。登場人物に対して名乗るということは、既に読者は登場人物と同じ壇上か、近しい場所に立っているのだ。同じ舞台に立っている者が、自分は本当は舞台の外側の人間である、と話したところで生まれるのは理解ではなく困惑か嘲笑か、あるいは狂人の妄言に対する憐みくらいなものだろう。
 次いで、これがもっとも重要なものであるのだが、物語の世界は、あらかじめ組み込まれてでもいない限り、読者が物語の中に存在することや、その介入を許容できない。外的要因(イレギュラー)が働きかけることを物語は許容しない。
 で、あるから、物語の中でどれだけ働きかけようとしても、物語側が読者を読者として認めてくれないことが殆どなのだ。認めないように登場人物にも働きかける。ごくごく自然な流れで、誰も気づかぬうちに。
 それでも、何かのきっかけに、登場人物が読者の存在を理解してしまったとき。
 あるいは、何かしらの強制力が働き、その強制力が物語自体が持つ強制力を上回った時、

 ――物語は、破綻する。

   * * *

「つまるところ、君はこの物語に対しては非常に無力で非力で哀れな圧倒的弱者であるが、使いようによってはこの物語そのものを破綻させる劇薬足り得る、ということなんだよ」
「……はあ、よく、分かりませんけれど、分かりました」
「素直だね。美徳だよ、誇っていい」
「……いやあ、素直ではないと思いますけれどもね。それで、僕の立ち位置は理解しましたが……あなたの立ち位置は、一体全体どうなっているんでしょうか、神野三郎陰之さん」
「今ここにいる私は、私であって、私ではない。私は君が知りたる私であり、私そのものではない。あの物語を知った君が、君の中の想像と物語の私とを結び付けて映し出した、いわば幻のようなものだ。それでいて、確かに私は私でもある。君という人間の矮小さ故に私全体を正しく認識できなかったため、私の一部分、ある側面だけが抽出され、再現されているような状態、というわけだ。安心したまえ、少なくとも君の脅威たり得ぬよ、此処にいる私は」
「……はあ、まあ、言いたいことは理解しました。となると、私は私の妄想と話しているようなもんなんでしょうかね」
「近しいが決定的に違うのは、私は確かに今、ここにいて、君と話しているという点だろうね。私は君の認識次第で消えるものではなく、確固たる形と、君とはまた別の意思とを持って存在しているものだ」
「それならあなたは、」
「この問答は無意味だ。何故なら、既に君は答えを知っている」
「…………」
「言ってごらん、私が何か」
「………………、あなたは――――」
「素晴らしい」



 神の陰――改め、神の悪夢は笑った。

19.1.5

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