ヤタガラスさま、
ヤタガラスさま、
舌っ足らずな声で呼ばれる度に、うんざりしたような心地になった。
どういうわけかヤタガラスを親兄弟のように慕う幼い烏。大層聞き分けが良くて賢く、手こそ掛かりはしないものの、それはヤタガラスに言わせれば当然のことであるし、手がかからないからと言ってそれ自体が煩わしさを取り払ってくれる理由には、少なくともヤタガラスの場合はなりえなかった。
大抵は適当にあしらっていた。迷惑であると態度で、言葉で示せば、幼い烏は気落ちした表情を見せつつも素直に引き下がった。言われて引き下がる程度なら、初めから関わらなければいいだろうに。幼子の考えは理解不能だった。
「ヤタガラスさま、ヤタガラスさま、」
今日も幼子――ナマエはヤタガラスに話しかけてくる。
毎日毎日、懲りもせず、飽きもせず。あどけない顔をして、瞳にあからさまな好意を浮かべて。
「……なんですカ、毎日毎日鬱陶しい……」
攻撃したりせず、一応は話を聞いてやるだけでもまだ優しい方だ。少なくともヤタガラス的にはかなり譲歩している。
「あのですね、今日は、」
それを知ってか知らずか、ナマエは嬉しそうな顔で何か言わんとする。両手には何か持っているらしく、つぶさないよう、慎重な手でその何かを包み込んでいた。
「……今日は、ではなく、今日“も”、でショウ。貴方の場合。毎日毎日、よくもまあ飽きもせずにワタシに話しかけてこれるものデスネ」
それだけでなんとなく要件が察せ、聞く価値もない、とヤタガラスはばっさり話の途中で切り捨てる。冷たい声音で最後まで話を聞くこともなく返せば、ナマエはびくりと小さな肩を揺らした。
「ぁ、……ぅっと、ご、ごめん、なさい……」
「謝るくらいなら近寄らないでクダサイ。本当に鬱陶しい……」
「……」
しゅん、とした様子で引き下がるナマエに然したる罪悪感を抱くでもなく、ヤタガラスは鼻を鳴らしてその横を通りすぎる。そのまま太陽の巫女たる彼女の元へ飛び立とうと思っていたのだ。本当なら。
「おや、ナマエさん、こんにちは」
背後から、あの忌々しい陰陽師こと安倍晴明の声さえ聞こえていなければ。
「……あ、せいめいさま、こんにちは」
あまつさえ、あのガキ……ナマエがどことなく喜色の滲んだ声音でその声に応じていなければ。
この足が止まることなんてなかっただろうに。
「……おや、それは……、」
ちらちらと背中に刺さる晴明の視線が鬱陶しい。あからさまにヤタガラスの一挙手一投足を観察している。不愉快極まりない。
「あ、えっと……とてもめずらしい虫を見つけたのです。きらきら、ほうせきみたいな」
一方でナマエはそんな晴明の様子に気が付いてすらいないようだった。無防備に、無邪気な声音で、自身が捕えてきたらしい獲物をどこか自慢げな様子で見せているらしいのが聞えてくる会話や声音から察せられる。
突き刺さる視線と、何も気づいていないナマエの様子が腹立たしいが、後ろを振り向くのも癪に障る。
「これは本当に見事な虫ですね……どこで見つけられたのです?」
「えへへ、ないしょです」
「おやおや、内緒ですか」
「おしえたら、みんながいっせいにとりに来ちゃうかもです。そうしたら、虫がかわいそうです」
「なるほど、ナマエさんはとてもお優しい方なのですね。……では、こうしましょう。誰にも言いませんから、内緒で私に教えてくださいませんか?」
「ふふふ、いいですよ。せいめいさまは、うそはつかないですから」
お前の目は節穴かと抉り出してやりたい衝動をぐっとこらえ、ヤタガラスは手を握る。嘘をつかないどころか嘘だらけの男だ。あまつさえ、取り戻せるはずであったアマツカミの光を遠ざけた戦犯でもあるというのに。
なんだって、なんだって、なんだってこのガキは――!!
苛立ちはあっという間に臨界点を超え、くるりと振り向いたヤタガラスは一瞬硬直する。
想像していたよりも、ナマエと晴明の距離はとても近いものであった。寄り添いあう青年と幼い子供の姿は、両者が見目麗しいが故に一枚の絵のようにも見えるが、実年齢はともかく外見的な年齢差を考えるとどこか、背徳的な光景にも見える。
「えっとですね、 む ぎゅっ ――!?」
殆ど無意識の行動だった。
ナマエの襟首を引っ掴み、晴明から引きはがすように持ち上げた。
晴明が、血をこぼしたかのような赤い瞳を驚いたように見張る。
「おや、ヤタガラスさん、ダメですよ、幼子に乱暴しては」
「お黙りなサイ、貴方にだけは指図されるなんてごめんデス」
ぴしゃりと取り付く島もない様子で清明の言葉を一言のもとに切って捨てると、ヤタガラスはナマエをぶら下げたまま勢いよく空へ舞い上がる。
ぐんぐんと地上と晴明を置き去りにして上がっていく高度にナマエが何か言っていたような気もしたが、そんな抗議の声はヤタガラスの耳には入らなかった。
何もかもが気に入らなかった。
あの男はもちろんのこと、あの男に柔らかく笑いかけるナマエのことも。
「や、ヤタガラスさま、せいめいさまにしつれいで、」
「なんデス? 貴方までワタシに指図しようというのですカ?」
「ひっ……ご、ごめんなさいっ」
「……ふんっ」
ぎろりとにらみを利かせれば、ナマエはそれだけで口をつぐむ。
ああ、気に入らない。
奥歯を噛み締める。吐きだしたい罵詈雑言をどうにか喉元で止め、代わりに深く、長く、息を吐き出して自身を落ち着ける。
この子供の行動がいちいち癪に障るからと言って、逐一怒鳴りつけたり苛立っていては大人げない。
「……どこですカ」
「ふぇ?」
虚を突かれたように、呆けた声。
何故察せないんだとヤタガラスは深くため息をつく。今ので察せというのが無理だろう、という良識的なツッコミを入れられる者は今この場にはいない。
「その、貴方の見つけた虫とやらがいる場所ですヨ。あの男に教えて、ワタシに教えぬなんて真似はしないでしょうネ?」
「え、あ、えっと……で、でも……ヤタガラスさま、虫にきょうみなんて、」
尋ねられてあからさまに嬉しそうにしつつも、中途半端にヤタガラスのことを分かっているナマエはもじもじと変な躊躇いを見せる。
最初はその虫を見せるつもりで来たんじゃないのかこのガキは。
抑え込んだ苛立ちがまた顔を覗かせ口から転がり出てしまいそうだ。
「早く言いなサイ。それともこのまま落とされたいですカ?」
「い、言います、言いますっ!! ですから、おとさないでっ!!」
涙目になりつつ、つたない口調で虫を発見した場所をヤタガラスにナマエは教える。ヤタガラスがまだ足を延ばしたことのない場所であった。虫は不要だが、何かしらの発見はあるかもしれないとヤタガラスは翼をはためかせる。
一方で、心中ではナマエに対しての苛立ちもそうだが、自分自身に対して辟易してもいた。
あの男には楽しそうに伝えていたというのに、自分にはとても怯えている。自分が脅したのだから怯えていて当たり前ではあるのだが、その事実すらも気に食わない自分がいることに。
19.1.10
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